妙義龍 泰成(みょうぎりゅう やすなり、1986年10月22日 - )は兵庫県高砂市出身の境川部屋所属の現役大相撲力士。本名は宮本泰成(みやもと やすなり)。身長187cm、体重150kg、血液型A型、最高位は東関脇(2012年9月場所 - 11月場所、2013年7月場所 - 9月場所、2014年9月場所)。趣味は釣り。Facebookを利用している。得意手は押し相撲だが、右を差して寄る相撲も見せている。自動車の板金塗装を営む家庭に生まれる。幼少期から元気な子供であり、他の子供が補助輪を付けて自転車に乗っているときに宮本は補助輪なしで自転車をこいでおり、この様子を見た両親は競輪選手にさせようと考えたという。子供の頃からそろばん、習字、水泳や体操、柔道など多くの習い事を経験したが、相撲に出会ったのは小学2年生の時であった。[その時、近所の神社で行われた祭りの相撲大会で優勝した、そこで1対1の勝負に勝つという楽しさを知った宮本は兵庫県姫路市の広畑少年相撲教室に通うようになった。チームメイトには同県龍野市(現在のたつの市)出身で中学卒業後に北の湖部屋へ入門した同級生の北磻磨がいた。しかし実際に相撲教室で行ったことは追いかけっこのような遊びが主体であった。楽しく1年を過ごした後、前回優勝したよろこびが忘れられず、また神社の相撲大会に出た。この時は決勝で負けてしまい、この悔しさから相撲に本格的に打ち込むようになり、以来祭りなどの催し的なものではなく、市大会や県大会のような公式戦に出場するようになった。高砂市立荒井中学校時代には3年生の時に兵庫県大会で2位の実績を挙げたことで全国中学校体育大会(全中)への出場を果たした一方で陸上部に籍を置いて円盤投げや砲丸投げにも取り組んだ。ただ、この頃は相撲教室には2ヶ月に1回しか通っておらず、完全に相撲に対する興味が薄れおり、釣りを楽しんだりゲームセンターで遊んでいたりした。また、この頃は不良グループに入っており、髪を茶髪にしたり、深夜まで学生服を着て遊んだり、時には喧嘩をしたりしたが、問題になると決まって父から痛い仕置きを受けた。中学時代はトラック運転手に憧れていたが、将来の夢について両親と真面目に話し合った時に、サボっていた相撲を「もっと本気でやってみないか」と言われた。全中に出場した際、埼玉栄高校の相撲部監督に見学を薦められ、その縁で同校に入学。2年生の時まで公式戦に出る機会がなく、ひたすら雑用をこなしながら稽古場の隅で鉄砲を打つ日々を送っていたが、2004年には同級生の豪栄道と共に全国高等学校総合体育大会(高校総体)に出場し、団体戦では豪栄道が主将・妙義龍が副将としてチームを引っ張った。個人戦では豪栄道が高校横綱、妙義龍は準優勝に輝いた。日本体育大学時代には1年生の頃から公式戦に出場する機会を与えられ、なかなか勝てない中監督は辛抱強く宮本を試合に出し続けた。その甲斐あってか、4年生の2008年には大分国体成年個人の部で優勝し、大相撲の幕下15枚目格付出の資格を獲得した。複数の部屋から誘いがあったが、2009年5月場所前に豪栄道が所属する境川部屋へ入門し、5月場所で2007年3月場所の森以来となる幕下15枚目格付出として初土俵を踏んだ。入門に関して宮本は後年「親方の人柄で決めました」と話している。初土俵となった2009年5月場所では、デビュー戦では黒星を喫したものの、その後4連勝して5勝2敗と勝ち越しを決めた。その後、同年7月場所・9月場所・11月場所と3場所連続して5勝2敗と勝ち越し、同年11月場所後の番付編成会議で2010年1月場所における新十両への昇進が決定。兵庫県からの新十両は、2004年9月場所の若麒麟以来。昇進と同時に、四股名を本名である「宮本」から、「いろいろな技を出せるように」という意味を込めて、埼玉栄高校時代の恩師らと考案した「妙義龍」へと変更した。新十両の場所となった2010年1月場所では、初日に十文字を押し出しで破って初勝利を挙げたが、2日目の臥牙丸戦で左膝前十字靭帯断裂という重傷を負って3日目から休場し、以後は再出場することなくこの場所を1勝2敗12休で終えた。翌3月場所以降も休場が続き、同年7月場所では番付が三段目まで降下した。同年9月場所において復帰して7戦全勝の成績を収め、優勝決定戦では大学の後輩である千代桜に敗れたものの、翌11月場所にて幕下へと復帰した。その11月場所では6勝1敗の成績を挙げて、優勝決定戦も制して幕下優勝を果たした。2011年1月場所でも6勝1敗という好成績を挙げ、翌5月技量審査場所では東幕下8枚目の位置で4勝3敗という成績だったものの、大相撲八百長問題で関取から多数の引退者が出た影響もあり、翌7月場所において再十両を果たした。その7月場所では11勝4敗の成績を挙げ優勝決定戦まで進出し、優勝決定戦では舛ノ山を破って初の十両優勝を飾った。翌9月場所でも圧倒的な強さを見せ、13勝2敗の成績を挙げて2場所連続2回目となる十両優勝を達成し、翌11月場所において新入幕。兵庫県からの新入幕は、2011年5月場所の栃乃若以来。新入幕となった2011年11月場所では11日目に勝ち越しを決め、最終的には10勝5敗という好成績を挙げた。翌2012年1月場所でも12日目に勝ち越しを決め、9勝6敗の成績を挙げて初の技能賞を受賞した。自己最高位となる東前頭筆頭の位置で迎えた翌3月場所では、横綱・大関陣に対して1勝もできず、早々と11日目に負け越しが決まってしまったものの、結果的には7勝8敗と1点の負け越しに抑えてこの場所を終えた。翌5月場所では4大関を破る活躍を見せて、9勝6敗の成績を挙げて2回目の技能賞を受賞した。翌7月場所では新三役へ昇進(東小結)した。兵庫県からの新三役は、1991年5月場所の貴闘力以来。その場所は3日目に大関・鶴竜を破り、8日日にそれまで全勝だった大関・把瑠都を破る活躍を見せて、8勝7敗と勝ち越しを決めて3回目の技能賞を受賞した。翌9月場所には新関脇へ昇進(東関脇)。兵庫県からの新関脇は、1991年7月場所の貴闘力以来。その場所は初日に大関・稀勢の里戦で敗れたが、2日目から6連勝し、11日目に勝ち越しが決定。最終的に10勝5敗の好成績を挙げて4回目の技能賞を受賞した。3場所連続しての技能賞受賞は、1987年5月場所から同年9月場所にかけての旭富士以来25年ぶりのこととなった。翌11月場所は序盤から苦戦して、早々と10日目に負け越しが決まってしまい、結果的にも6勝9敗に終わったものの、11日目に鶴竜を破り、12日目には新横綱の日馬富士を破り、13日目には大関・琴奨菊を破って意地を示した。翌2013年1月場所では3日目に横綱・白鵬を破り自身初となる金星を獲得。千秋楽に勝てば初の殊勲賞受賞だったが、大学の後輩である千代大龍に敗れて7勝8敗となって負け越したために受賞を逃した。同年5月場所では2日目に横綱・日馬富士を破り2個目の金星を獲得し、11勝4敗の好成績を挙げて5回目の技能賞を受賞した。翌7月場所で三役に復帰したが、初日は千代大龍戦でまげを引っ張ってしまい、初の反則負けを喫してしまった。9日目には横綱・日馬富士を2場所連続で破ったが、千秋楽に8勝7敗とようやく勝ち越しにとどまった。翌9月場所では新入幕場所以来となる初日白星で発進したが、中盤から終盤に崩れて14日目に負け越しが決まり、最終的には6勝9敗に終わった。2014年1月場所は初日の碧山に敗れた一番で脇腹付近を痛めた上に3日目に豪風に敗れた際に脇腹の負傷を悪化させ、結局初日から3連敗を喫した末に4日目から「右後腹膜血腫で約2週間の安静加療を要する」との診断書を日本相撲協会に提出して休場した。途中休場を喫した直後は食事を摂るだけで青黒く腫れた患部に強い痛みが走ったというが、患部の画像を携帯電話に残して見返すことでそのころの辛さを忘れないようにしたと伝わっている。同年7月場所は11勝4敗の好成績を挙げて復調を示した。この場所は技能賞獲得の可能性が取り沙汰されるも、三賞選考委員会の賛成が過半数に満たず受賞はお預けとなった。9月場所は1年ぶりに東関脇の地位で迎えたが、左目網膜剥離により全休。境川は「約1週間前から目の違和感を訴えており、稽古も休んでいた。休場は残念だが、早く手術した方がいいので決断した」と話した。9月11日に東京都内の病院で左目の手術を受け、その後入院せず部屋での静養を行っている模様。東前頭11枚目まで番付を下げた翌11月場所は、11日目に勝ち越しが決定し、最終的に9勝6敗。東前頭8枚目だった2015年1月場所は、13日目に勝ち越しが決定し、最終的に9勝6敗。翌3月場所では小結に復帰(西小結で7勝8敗だった栃煌山は、東前頭筆頭に下がった)。この場所では、2日目に大関・稀勢の里を破った。なお、大関との取組での勝利は、2013年11月場所4日目の琴欧洲戦以来(対戦しての勝利は、2013年9月場所8日目の鶴竜戦以来)。14日目には、2013年7月場所(当時関脇)以来となる三役での勝ち越しが決定し、最終的に8勝7敗。翌5月場所では、関脇に復帰し、この場所は7勝8敗と負け越して小結に落ちるも、8勝7敗と勝ち越して9月場所で関脇に復帰。この場所は2013年7月場所以来2年ぶりに関脇で勝ち越した。翌11月場所では、足首の状態が良くなかったためか2勝13敗と自身初の2桁黒星を喫したが、5日目に横綱・鶴竜を2場所連続で破った。1月場所は東前頭8枚目で迎え、8勝7敗と勝ち越し。東前頭6枚目に番付を上げた3月場所は、12日目終了時点で10勝2敗と優勝の争いの一角に加わっていたが、13日目以降は平幕力士相手に3連敗を喫し、脱落。それでも10勝5敗と大きく勝ち越した。東前頭筆頭で迎えた5月場所は、初日から4連敗し、その後も勝ち星を伸ばせず12日目に負け越しが決まり、最終的には6勝9敗だった。西前頭3枚目で迎えた7月場所は、夏場所後に足首を手術した影響を残したのか序盤から負けが込んで10日目にして8敗を喫し負け越しが確定。しかしそこからは5連勝で7勝8敗まで戻して面目を保った。187cmの長身ながらも膝を割って腰を落とした低い体勢のまま鋭い出足を活かして前に出て繰り出す押し相撲を得意としており、これは強い下半身がもたらす卓越した型と呼べる。引き技にも落ちにくく、そのまま追尾して引き・叩きに乗じるように勝負を決めることも多い。特に引きに乗じる相撲は上位陣に対して大きな威力を発揮している。この押し相撲の相撲の型が評価されてこれまでに技能賞を5回獲得している。押し相撲だけでなく右差しから寄る相撲もこなすことができる。一方で守勢に回ると脆く、突き押しを受けると後退しやすく廻しを取られると粘れない部分がある。2016年9月場所終了現在
出典:wikipedia
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