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アルゼンチン・タンゴ

アルゼンチン・タンゴはラ・プラタ河口近辺で演奏されるタンゴの一伝統様式を指す言葉である。もともとタンゴは四分音符と八分音符で構成されるリズム・パターンの一つであった。起源は1880年ごろと言われているが確実な証拠はない。これにヴァルスやミロンガ、カンドンべ、フォックストロットなどのパターンも取り込み、ピアノ・バンドネオン・ヴァイオリン・コントラバスの編成で楽団が組織されるようになって、タンゴはパターンからジャンルへ進化したと考えられている。タンゴの編成に固定されたものは全くなく、フルート、ヴァイオリン、7弦ギター、バンドネオンという編成をとっていたのもファン・マグリオだが、当時の録音技術は劣悪でフルートは蚊が飛んでいるほどの音でしか取れなかった。このためフルートは早い段階で除去され、7弦ギターではなくピアノに取って代わられた。またタンゴの速度も一定ではなく、ロベルト・フィルポ楽団は妙に速い吹き込みを行っている。このころの楽団は消滅したものも多く、ほとんどデータの残っていないオルケスタ・ティピカ・テレ-フォンのようなケースも多い。吹奏楽のタンゴというtubatangoといったものさえあった。この時期、オデオン社は「五大楽団」を構えていた。フィルポ、カナロ、カロー、ロムート、フレセドの各楽団は次々とSP盤に吹き込んでは片っ端から音源化を行っていった。その一方でビクター社はオデオン社では抱えることの難しい若手を次々とスカウトした。その典型例がオルケスタ・ティピカ・ヴィクトルだが、若手ばかりをかこっていたのではなく、フリオ・ポジェーロ楽団やファン・ギド楽団、マフィア=ラウレンス・バンドネオンデュオなど、古典タンゴの名手もビクター79000番台に録音を行い続けている。この時期のタンゴの録音の海賊版は2010年代になってもリリースが相次いでおり、いまだに聴取者の層が薄くならない。クラシックピアノをフェルッチョ・ブゾーニに師事しながら廃業し、タンゴに転身したアドルフォ・カラベリの耳が、いい加減な録音を逃さず光っていたという説もある。1930年代に入ると、和声や対位法やテクスチュアといった点に1920年代の伝統を打破する兆しのようなものが見え始める。1920年代に活躍した楽団の差異を聞き取ることはかなり難しいが、30年代に入ると録音技術を利用したエフェクトが次々と入ってくるようになる。この変化が明瞭に表れているのがファン・ギド楽団である。テンポの遅さを維持していた1920年代に低迷していたのが、のちの巨匠ファン・ダリエンソである。カルロス・ガルデルがウルグアイに産み落とされた私生児であったことから、ウルグアイとアルゼンチンの文化対立はすでにこの時から始まっており、「ウルグアイ・タンゴ」と「アルゼンチン・タンゴ」を区別するべきという強硬派まで生まれている。アルフレド・ゴビ、フリオ・デ・カロ、カルロス・ディ・サルリに代表されるモダン・タンゴの時代が幕を開くことになる。伝統タンゴによって守られていたスピードは急激に上げられ、その限界に挑戦するファン・ダリエンソスタイルが一世を風靡する。この時代を決定づけるものは、録音技術の向上を意識した音楽様式の変化である。音色が立体的に造形されていることをレコードが初めてとらえるようになり、「極端なまでのレガートとスタッカート(Di Sarli)」・「リズムパターンの鋭い交代(De Caro)」・「楽器編成の拡張(Canaro)」・「ジャズのテンションコードの導入(Francini=Pontier)」、「楽器編成または音色の対比(Gobbi)」など、次々と新発明を施してはタンゴのイディオムを広げていった。この時期は競争が最も激しく、どこかの楽団に入っては出るを繰り返すといったメンバーも相当数に上っており、ダリエンソに至ってはダリエンソ以外全員脱退という事件も起こしている。ただし、このような楽団のメンバーの著しい変更こそがモダン・タンゴの起爆剤になったことは否定できず、このころ裏方の編曲に回って腕を磨いたのがオラシオ・サルガンである。タンゴに電子機器を用いることを決断したのがフランシスコ・カナロであり、カナロがハモンドオルガンを操っているジャケットや電子楽器を使ったと思われるテイクも存在する。1950年代に入るとかつてのスペイン来訪で知られた国・日本が戦時統制の枷から抜け出し、自前のタンゴ楽団を抱え、タンゴ番組がラジオでかかり続けるという爆発的な流行を迎えた。演奏家の質も向上し、「オルケスタ・ティピカ・東京」・「坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニヤ」は人気を博し、「オルケスタ・ティピカ・ポルテニヤ」は現地民の要求に合わせたアレンジが高い人気を国外でも誇った。彼らはタンゴの衰退期に入った1960年代に入っても活動をつづけ、あまりの出演過多に悩んだ坂本政一は日本へ帰国してタンゴ低迷期には忘れ去られたが、早川真平はそうなることを免れた。トロイロ=グレラ四重奏団は単なる偶然からできたバンドネオンソロ、ギター、7弦ギター、コントラバスという編成だが、ギターのタンゴ演奏の復活に大きく寄与した。もともとタンゴの終止にルールのようなものはなかったが、ダリエンソは音を丸々カット、プグリエーセは終止の前拍の強調、デ・カロはACCELを加えたそっけない打ち方、など各楽団ごとに個性がみられるようになる。ディ・サルリが1960年に死去したことで、タンゴの黄金期は終わりを迎えた。プレスリーやビートルズをポルテニアっ子が聞き出すようになると、タンゴの人気は激減する。この時期をタンゴ低迷期と呼ぶが、トロイロやプグリエーセ、ポンティエルの各楽団は録音点数をそれなりに残している。しかし、これらを「過度期のタンゴ」と呼んで敬遠するファンも多い。この時期に最も名をあげたのがアストル・ピアソラであり、彼は70-80年代に入っても人気が衰えなかった一方で、反ピアソラ派の攻撃の対象にもなっていた。タンゴアルバムのパーソナリティ岡田寛によると、日本ではほとんどが反ピアソラ派でほとんどの識者が固まっていたにもかかわらず、現地の人間は「これからはもうアストル・ピアソラだよ」と平然と答えていたことに衝撃を受けたらしい。SP時代のタンゴをLPに復刻してよい音で聞きたいという願望が強まったのもこの時期で、ファン・ダリエンソ楽団は新録に加えて旧録を売れるほどの需要があった。この時期はフランシスコ・カナロのただ一度だけの来日公演が知られているほか、オスヴァルド・プグリエーセ楽団も初来日を果たしている。LP時代のアニバル・トロイロはSP時代のトロイロとは打って変わって歌手やピアノに名人芸を施すようになり、録音技術の精度の高さとともに過度期タンゴの折衷的な特徴を見事に表している。かつては人気のあったアルフレド・デ・アンジェリス楽団はこの時代の変化についていけず、録音点数が激減している。オラシオ・サルガンのピアノ・ヴァイオリン・コントラバス・バンドネオン・エレキギターの五重奏に改組した「キンテート・レアル」の日本公演やそれに伴うスタジオ録音は、過度期タンゴではあるが前衛的な視点を失わなかった稀有な例として知られる。メンバー間の音の混濁を嫌ったサルガンならではの生存策であった。この時期の最後に、近代和声とリズムの探求を極限まで突き詰めた前衛タンゴの雄エドゥアルド・ロビーラが55歳で亡くなった。タンゴを求める人種が北米やロシア、ヨーロッパにまで及ぶようになり、その内北米に至っては「アメリカン・タンゴ」、フィンランドに至っては「フィニッシュ・タンゴ」と呼んで差支えのない編成が次々と出現した。これらはアルゼンチンになかったトロンボーンを入れた編成、古典的なピアノトリオ、などアルゼンチン人のパレットになかった編成でアルゼンチン・タンゴの本質に迫る試みを打ち出しており、近年注目されている。1992年にピアソラが没するとどこのCDショップでもピアソラがかかりギドン・クレーメルのアルバムが世界的な大ヒットになるなど、一時的にはピアソラブームを生み出した。また、イヴァ・ミカショフは世界の作曲家へタンゴを委嘱するプロジェクトを実現、タンゴ復興がアルゼンチン人の目論見とは明後日の方向で実現する珍現象が見られた。アルゼンチンもタンゴの電子化には逆らえず、現場で演奏されるタンゴも何らかの形で電子機器を使っていることはもう珍しくなくなった。日本もタンゴ音楽家の二世が出現するようになるなど音楽家の質の向上には問題がないものの、日本タンゴアカデミーなどアルゼンチン・タンゴを取り囲む環境は少子高齢化・「タンゴ名曲への著しい偏重」が常に指摘されている。また、SP盤の著作権問題も深刻になっており、当の発売会社が版権に無頓着な理由で海賊版が出回る事態は改善されていない。タンゴは亡くなった音楽家・早世してしまった人物も多く、最も海賊版問題が解決していないジャンルの一つである。これはクラシックや現代音楽の世界が常にメジャーレーベルが監視している環境と比べ対照的である。その代わり、熱心なファンやコレクターの手でディスコグラフィーや音盤リストが整備されるなど、熱狂的な信者が絶えることがないという点において、即廃盤になったのち誰も復刻できない現代音楽の世界とは逆の状況である。2016年にルイス・スタソ、マリアーノ・モーレス、フアン・カルロス・カビエージョとオラシオ・サルガンが亡くなり、タンゴ黄金期を率いた人物はすべてこの世を去った。にもかかわらず、商業的に成功するのかしないのかといった問題を除けば、タンゴは決して衰えてはおらず、黎明期にまで典拠を求めた楽団までが数百もひしめいており、その混迷はとくにヨーロッパで顕著である。日本ではダリエンソ・スタイル、プグリエーセ・スタイルなどかつて昭和の時代に来日を果たしたスタイルの後継者が好まれるようだが、世界的にはそうとは言えない。2010年代は国際的にファンの交流が進んでいるなど、横のネットワークの整備も進んでいる。Club Tango Argentino、La Asociación De La Musica Porteña、Disco Latinaなどによる有志の善意による復刻で多くのアルゼンチン・タンゴのCDが販売されたのが、この2000年代である。すでにアルゼンチン・タンゴを良い音で復刻する作業は1980年代からあったが、CD一枚の値段が暴落した「ゼロ年代」に入ってその復刻作業はペースを上げた。現在はゴビ、プグリエーセ、トロイロ、ラウレンスほかの全集がbuenos aires tango clubから通販で入手可能であるほか、AmazonミュージックやSpotifyでもかなりのCDが収録されている。2010年代にはタンゴアルバムやブエノスディアス・タンゴでおはようなどのタンゴ専門番組も改めて注目されているほか、ラジオ関西のオールディーズセレクションにもアルゼンチン・タンゴがピックアップされた。また、昭和30年代から聞き込んだ聴取者の根強い支持による各種Webサイト、西村秀人によるNHK公開講座ほかが話題となっている。

出典:wikipedia

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