山手線(やまのてせん)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)が運営する鉄道路線である。「山手線」には、次の4つの意味合いがある。旅客案内および運行管理上は2.が多用される。以降、本項において特記のない場合は、2. の運転系統としての山手線を指すものとする。山手線は、日本の首都である東京の都心部で環状運転を行い、多くの駅において、都心から各方面へと伸びるJR(在来線・新幹線)や私鉄各社の放射路線、および都心部を走る地下鉄各線に接続している。1周の長さは34.5km、1周の所要時間は内回り、外回りとも標準で59分、朝ラッシュ時は61分、夕方ラッシュ時は60 - 61分(いずれも大崎での停車時間を除く)である。ラインカラーは1963年登場の103系電車の車体の色に使用されたウグイス色(、国鉄黄緑6号)であり、以降登場したステンレス車両の帯の色や旅客案内(路線図・サインシステムなど)にも使用されている。山手線は、日本の文明開化期に私鉄の日本鉄道が当時国内有数の貿易港であった横浜港と関東地方内陸部の各地(埼玉県、群馬県、栃木県)さらに東北地方および北陸地方方面を結ぶ貨物線として建設した、赤羽駅 - 品川駅(および大井町駅)間を結ぶ鉄道路線(当初は品川線と呼称)である。当時の東京の人口密集地域であった下町を避け、街外れだった山手に建設された。その後、同じく日本鉄道が現在の常磐線方面と横浜港方面間の接続を目的として建設した池袋駅 - 田端駅間(当初は豊島線と呼称)を加え現在の山手線の線路の原型が完成、国有化の後、戦後の高度成長期に池袋駅 - 赤羽駅間を現行の赤羽線として分離した。開業以来、武蔵野線が開通するまでは、関東北部および東北方面から横浜港方面に向けの輸出品輸送、逆方向の輸入品輸送の大動脈であった。現在も少数であるが東北本線方面と東海道本線方面を結ぶ貨物列車が毎日運行されている。旅客輸送については、開業当初は新橋 - 品川 - 新宿 - 赤羽間を往復する列車が1日数往復のみ運行され、その後東京山手の人口増に伴い上野駅を起点として池袋駅、新宿駅、渋谷駅、品川駅、新橋駅を経て東京駅方面に至る環状運転が開始され、その後、上野駅 - 東京駅間の開通により京浜線と東北本線の相互直通運転が開始された時期と同じくして、現在の運行形態へと移行、定着した。明治後期から昭和期にかけての私鉄各社は、地下鉄道であれば東京地下鉄道や東京高速鉄道のように東京15区内に路線を敷設することができたが、地上線となると東京15区内が東京市電の路線網内だったこともあり敷設が難しく、山手線の各駅に隣接して都心側のターミナル駅を設置することとなった。戦後も引き続き山手線内に新設する路線はすべて地下鉄道であることが条件となったため、私鉄の資本力では山手線内に直通することは実現不可能となった。山手線の各駅は都内交通への乗り継ぎ・中継地となり、やがて各私鉄が自力で都心延伸するよりもターミナルに自社の商業施設を集中した方が利益になると判断し始め、大手私鉄のターミナル駅となっていた渋谷、新宿、池袋は副都心として発展を遂げていく。こうした新都心を相互に連結する山手線は、東京の交通網の基本路線として機能しており、戦後、私鉄が営団地下鉄(現在の東京地下鉄〈東京メトロ〉)や都営地下鉄と相互直通運転を開始し、郊外から電車が直接都心に乗り入れるようになっても、依然東京山手の副都心間を結ぶ路線等として機能している。一方で、地下鉄網の発達や並行する山手貨物線の旅客化、山手線自身の6ドア車導入による11両化により、以前よりも混雑が緩和されている(田端 - 品川間で併走する京浜東北線も近年混雑が緩和されている)。現在の朝ラッシュ時最混雑区間は外回りの上野駅 → 御徒町駅間で、数値は216%にのぼる。これも上野東京ライン(東北本線の上野駅 - 東京駅間列車線延伸)の開業で緩和される見通しである。平均駅間距離はJR東日本管内の路線では最も短く、JRグループ全体でも大阪環状線に次いで2番目に短い。山手線の読み方は「やまのてせん」であり、太平洋戦争前も「やまのてせん」と読んでいた。開業時の申請書には表記を「山ノ手線」とする旨が書かれており、開業時表記は「山手線」となったが、読みは「やまのてせん」のままだった。ところが終戦直後、連合国軍最高司令官総司令部 (SCAP) の指示により、鉄道施設や道路標識などにローマ字併記が進められた際、山手線には国鉄部内での通称だった「ヤマテ」につられて「YAMATE=Loop=Line」とローマ字を振ったことがきっかけとなり、その後「やまてせん」という読み方が一般に定着してしまった。現在は「やまのてせん」と呼ばれているが、元に戻ったのには2つの理由がある。1つは1970年から始まったディスカバー・ジャパンキャンペーンで、駅名や路線名を分かりやすいようにしようとする動きが起こったためである。もう1つは、群馬県内の吾妻線(あがつません)が開通したことである。吾妻線が「あづません」と読まれないようにするため、国鉄では全路線の線路名称にふりがなを付けることを決定。山手線には「やまてせん」ではなく「やまのてせん」というふりがなを振り、吾妻線が大前まで開通した1971年3月7日から実施した。国鉄当局が「やまてせん」ではなく「やまのてせん」を選択し復活させた理由は、線名の由来・発祥からして、「やまのてせん」の方が伝統的に正しいことと、根岸線に山手駅(やまてえき 1964年5月開業)が存在していたことによる混同を避けるためである。これに伴い、その趣旨を徹底させるため、電車に掲出される方向幕の行先表示は、漢字表記は「山手」を「山手線」に、ローマ字表記は「YAMATE」を「YAMANOTE LINE」に改めることとなった。これに関連したこととして、当路線や中央線の名称を歌詞に盛り込んだヨドバシカメラのコマーシャルソングでは1990年代初めまでは当路線を「やまてせん」と歌う歌詞だったが、客から「歌詞が『やまのてせん』でないのは何故か?」と指摘があり、その部分を差し替えた。現在テレビCMや店内放送で流れているのは「やまのてせん」バージョンである。山手線は、もともと日本鉄道が現在の東北本線および東海道本線を連絡するために品川駅 - 赤羽駅間の山の手に敷設した線路であるが、東京市街地の拡大に伴い、市街を巡る大都市の基幹交通路線に性格を変えていった。電車が運行を開始したのは1909年、現在のように環状運転が実施されるようになったのは1925年のことである。日本鉄道品川線と呼ばれたこの路線は、港があった品川・横浜方面と東京の北側を結ぶ日本鉄道第一区線の一部として計画された路線であった。しかし起伏地の山の手に線路を敷くには技術的にも資金的にも困難であったことから、まずは日本鉄道第一区線の開業を優先し、1883年(明治16年)7月28日に江戸下町の北部にあたる現在の上野駅の地を起点として開業、その後1885年(明治18年)3月1日、当初の計画に準じ、日本鉄道第一区線と官設鉄道(現在の東海道本線)とを連絡する品川駅 - 赤羽駅間(現在の山手線品川駅 - 池袋駅間と赤羽線池袋駅 - 赤羽駅間)が開業した。当時、日本鉄道の南端は上野駅、官設鉄道の北端は新橋駅で、この両駅を結べば建設距離は短くて済んだが、両駅間の土地は江戸の下町に当たるため、そこに鉄道を敷設することは難しかった。一方で山の手を通すと遠回りにはなるものの、当時の山の手の居住人口は少なく、鉄道敷設への理解も得られ易く、この経路が選ばれた。開業後の1886年(明治19年)7月1日時点では、新橋駅 - 品川駅 - 赤羽駅間には毎日4往復の直通旅客列車が運行されていた。1891年(明治24年)9月1日に日本鉄道第一区線から第五区線が全通し、横浜・新橋・品川・上野方面と、高崎・宇都宮・福島・仙台・盛岡・青森方面が鉄路で結ばれた。一方、同じ日本鉄道の路線である土浦線(1901年に海岸線に改称、現在の常磐線)と品川・横浜方面の連絡線の建設も計画された。土浦駅 - 南千住駅 - 田端駅間を結ぶ日本鉄道土浦線は、1896年(明治29年)12月25日、日本鉄道第一区線上に田端駅を開業すると同時に開通、土浦、水戸方面と東京の北側を直結させた。この海岸線と山手線を結ぶ短絡線(山手線枝線、当初は豊島線と呼称)は、1903年(明治36年)4月1日に日本鉄道品川線に池袋駅を開業し、同時に田端駅と池袋駅間を結ぶ線路の開通によって営業を開始した。この建設に当たっては、当初目白駅を分岐点とする計画もあったが、同駅周辺に十分な用地の確保が困難だったため、現在の池袋駅が開設され分岐点となった。駒込駅 - 巣鴨駅間で線路が南西を向いているのは、当初目白駅を分岐点としていた名残といわれる。この短絡線は当初、豊島線と呼称されていたが、開業に先立つ1901年(明治34年)11月16日、日本鉄道は逓信大臣の認可の元、定款の区線名称を変更し品川線と豊島線(当時未成線)を合わせ山手線とした。開業後、東北・信越・常磐線のみならず中央線と東海道線を結ぶ役割も担うようになり、また、日露戦争の勃発などで貨物輸送量が大幅に増え、1904年の新宿 - 池袋間を皮切りに1910年まで複線化が行われた。この際池袋 - 赤羽間は複線化から取り残され、支線的性格を強めた。日本鉄道が国有化された1906年(明治39年)11月1日時点では、品川駅 - 赤羽駅間に貨物列車のほかこの区間を単純往復する旅客列車も運行された(毎日9往復)。1909年(明治42年)10月12日の各鉄道路線に路線名が付与された際は、池袋駅 - 赤羽駅間も含め現在の山手線区間(品川駅 - 池袋駅 - 田端駅間)と合わせて東北線の部 山手線となった。この当時は、池袋駅より北側は現在の赤羽線を経由して赤羽駅までが山手線本線、旧豊島線区間は山手線の支線であった。その後、同年12月16日から現在の烏森駅(現・新橋駅) - 新宿駅 - 上野駅間が電化され、電車の「C」の字形運転が開始された。この時、品川駅 - 烏森駅間は京浜線(現在の京浜東北線)に乗り入れる形を採っていた。東海道本線が東京駅まで延伸開業し、中央線も同駅まで延伸されると、中央線と山手線を接続し、中野駅 - 新宿駅 - 東京駅 - 品川駅 - 新宿駅 - 池袋駅 - 田端駅 - 上野駅間で「の」の字運転が開始され、この頃から現在の赤羽線区間が山手線枝線の運行形態になった。1923年の関東大震災で一時中断したが、1924年4月25日までこの形態は続いた。1925年(大正14年)11月1日に東北本線の秋葉原駅 - 神田駅間が完成し、東京 - 上野間が高架で複線化された時に中央線への乗り入れは中止され、環状運転が開始された。この時京浜線も田端まで延伸されている。環状運転開始当時のダイヤは、基本的に毎時5本(12分間隔)で運転され、一周の所要時間は72分、池袋駅‐赤羽駅間(現在の赤羽線)の所要時間は10分であった。この他通勤時間帯には臨時電車が運転されたほか、田端駅‐田町駅間は京浜線電車も運転されていた。戦後、復興に伴う輸送量の増大で山手線、京浜線とも増発が行われ、1956年11月19日から共有だった両者の線路(田端 - 田町間:11.7km)を分離し、内側を環状運転を行う山手線、外側を往復運転を行う京浜東北線(分離時に改名)が走るようになった。1972年(昭和47年)には、当初山手線本線であった赤羽駅 - 池袋駅区間の線路名称が赤羽線に変更された。赤羽線は山手線の本線として運営されてきたため池袋駅では10両編成化に伴う新ホーム設置(現行3・4番線)までは山手線外回り始発電車ホーム(現行8番線)を発着していた。ラインカラーもかつて山手線で使われていた「カナリア(黄色)」が、山手線が「ウグイス(黄緑色)」に塗装変更された後も使われ続けた。1985年(昭和60年)9月30日、赤羽線は埼京線の一部として運行される現在の形態に移行した。車両については1960年代初めまでは72系が使用されていたが、1961年からカナリア色の101系が使用され始めた。その後1963年からウグイス色の103系が主力となったが、老朽化のため1988年6月で運行を終了し、205系が取って代わった。この時導入されたサハ204形が6扉車のはしりである。この後E231系500番台に置き換わったが、6扉車はサハE230として継承された。しかしホームドア設置のため2011年9月4日に全車運用を離脱し、廃車となった。*が付いている駅は、後に路線分離により赤羽線の駅となった駅。山手線は、首都から放射状に伸びる鉄道網の起終点となる主要ターミナル駅を結ぶ首都内完結路線として、高頻度の運転を実施している。複数の線区(山手線・東北本線・東海道本線)を走ることや、運行形態が環状運転であるため、運行方向は旅客案内上上り・下りではなく外回り・内回りという表現が用いられる。環状線路の複線外側を左側走行する列車が外回り(時計回り:品川駅 → 渋谷駅 → 新宿駅 → 池袋駅 → 上野駅 → 東京駅 → 品川駅)、複線内側を左側走行する列車が内回り(反時計回り)である。運転本数は都心部の旅客需要を満たすため非常に多くなっており、平日の朝夕ラッシュ時が約2 - 3分間隔、日中が約4分間隔、土曜・休日は約3分間隔で運行されている。ただし、始発・最終付近(早朝・深夜)は運行間隔が広がる。非常に高頻度のダイヤとなっているが、平日朝の本数は中央線快速よりも少ない。これは、新宿駅など利用者の多い駅での乗降に時間を要するため、山手線の運転間隔を短縮することができないためである。中央線快速でも新宿駅では乗降に時間を要しているが、一方向につき1面2線のホームを設け、先行列車と後続列車を別々の番線に振り分けて乗降を行う相互発着ができるのに対し、山手線ではこれができないためである。当路線には列車種別設定がなく、すべての電車で停車駅パターンは一定で、平行ダイヤが組まれている。1周34.5kmにかかる時間は日中(b速)の場合は59分(起・終点駅での停車時間をのぞく)である。当路線自体には列車種別設定がないが、京浜東北線が快速運転する日中の時間帯には並行区間において山手線が各駅停車の役割となる、事実上の緩急分離運転が実施されている。快速停車駅間、特に田端駅 - 上野方面間、上野駅 - 東京方面間、秋葉原駅 - 浜松町方面間、東京駅 - 浜松町方面間の各区間乗車の場合、京浜東北線快速を利用した方が速いが、それぞれ運転間隔が異なるため京浜東北線を利用しても必ずしも早く到着するとは限らない。同様の環状運転を行う大阪環状線とは異なり、直接他線区から乗り入れ種別が変わったり、途中駅で折り返して反対方向に運転する電車はない。一度運用についた電車は、基本的には終日同じ方向への環状運転を行っている。途中駅が終点となる電車は、朝ラッシュ終了後(平日のみ)の池袋行きと夕方ラッシュ終了後から終電にかけて(毎日)の品川・大崎行きのみである。また、途中駅が始発となる電車は、始発列車からラッシュ開始前にかけて(毎日)の田町発と、夕方ラッシュ前(平日のみ)の池袋発がある。列車番号は、ダイヤ上の分界駅である大崎駅を基準としている。外回りは奇数、内回りは偶数で、「大崎駅発時(24時間)」+「当該編成の当日の運用番号」として、末尾に「G」を付けている。したがって、山手線を約1時間かけて1周した電車は、大崎行きでなければ同駅で列車番号の「大崎駅発時」部分を変えて引き続き運転される。なお、他の駅が始発駅となる電車で大崎駅を00分以前に発車する電車については「始発駅発時(24時間)」を-1する。山手線は平日には外回りが328本、内回りが322本、計650本が1日に運行されている。土曜・休日には外回り297本、内回り286本の計583本になる。2007年3月18日の改正で外回りでは平日の朝ラッシュ時に1本増発、夕方ラッシュ時に1本減便し全体での本数は変わらず、休日も変動はなかったが、内回りは平日は4本、土曜・休日は5本の減便となった。この改正以降、1時間あたり2分20秒間隔で25本運転している。改正前日の17日までは2分30秒間隔で24本の運行であった。これは車両が205系からE231系になり、アナログATCがデジタルATCになったことで1分 - 1分40秒短縮することができたためである。例外的な運用として、後述のリフレッシュ工事の日で田端駅 - 田町駅間を京浜東北線と線路を共有する時間帯については、同区間の本数を削減するために池袋駅と大崎駅の間を往復する電車が5本に1本程度設定される。このため、大崎駅 - 田町駅間および池袋駅 - 田端駅間は運転間隔が少し長くなる。また、1956年11月19日に山手線と京浜東北線の線路が分離され、両者とも増発されたが、増えた車両数に対応する車庫の建設が追いつかなかった。そのため、一部電車を京浜東北線の蒲田電車区や下十条電車区(現在の下十条運転区)に留置させる必要が生じ、京浜東北線へ乗り入れる蒲田行きや東十条行きとして運転した上で入庫させたことがあった。この列車は1967年に品川電車区(現・東京総合車両センター東エリア)が完成したことにより廃止された。毎年10月の休日(ほとんどは体育の日)に途中無停車の団体専用臨時列車が運行されている。これは大崎周辺まちづくり協議会主催によるイベント「しながわ夢さん橋」の企画として運行されるもので、大崎駅から出発し山手線を1周して大崎駅に戻ってくるものである。2006年までは内回り方向、2007年以降は外回り方向で走っている。これ以外にも、8月最後の土曜日の東京総合車両センター一般公開と合わせて、びゅうが企画するツアーの申込者を限定とした団体列車が運転されることがある。これも「しながわ夢さん橋」企画と同じく、大崎駅出発で途中駅をすべて通過し、大崎駅へ戻る臨時列車である。この他にも2005年に運行された「山手線開業120周年」記念列車も途中ノンストップであった。大晦日から元旦にかけての終夜運転は、外回りが10分間隔、内回りが12分間隔で運転される。この時、原宿駅では明治神宮参拝客用臨時ホームが利用される。2011年度の山手線の最混雑区間は外回りの上野駅 → 御徒町駅間で、この区間の朝ラッシュ時間帯の混雑率は200%に達していた。これは日本の鉄道路線としては2番目に高く、1990年の274%から11両化後の1995年には247%、E231系導入後2005・2006年度は216%、2007年度は205%、2008年度は204%、2009年度には202%と徐々に下がってはいるものの、非常に高い水準である。JR東日本は、混雑緩和策として輸送力の高い新型車両の導入や、時差通勤・通学の推奨を行っている。さらに宇都宮・高崎・常磐各線を東京駅まで延伸するための線路が2015年3月14日に開業した(「上野東京ライン」を参照)。そのため今後は最混雑区間の混雑が緩和される見込みである。国土交通省は、同線の混雑率を2015年までに180%以下にすることを目指している。JR東日本が公表している『会社要覧2016-2017』によると、外回りの最混雑区間は上野駅→御徒町駅であるものの、乗車率は163%と大幅に改善されており、上野東京ラインの開業効果が大きく表れた結果になっている。なお、京浜東北線(南行き)も最混雑区間が川口駅→赤羽駅に変わっている。なお各種データは、JR東日本が公表している『会社要覧』の「輸送」の章などを参照のこと。全体的に減少傾向または微減微増を行ったり来たりしている傾向にある。急激に増加傾向にある駅は、新しく乗換駅として機能している大崎駅、日暮里駅、何らかのブームにあわせて訪れる際に利用する乗客が多い新大久保駅、両方がある秋葉原駅くらいである各年度の平均通過人員、旅客運輸収入は以下の通り。数値は品川駅 - 渋谷駅 - 新宿駅 - 池袋駅 - 田端駅間のみ。田端駅 - 上野駅 - 東京駅 - 品川駅間は東北本線および東海道本線に合算され公表されている。全列車において東京総合車両センター所属のE231系500番台電車およびE235系電車が使用されている。11両編成で統一されており、E231系は車体に巻かれた帯が、E235系は先頭部と側面ドア部分がウグイス色()となっている。E231系は、2002年4月21日に順次営業運転を開始し、2005年4月17日までに全52編成が出揃った。E235系電車は、2015年11月30日から運用を開始した。7・10号車には以前、片側が6ドアの車両が連結されていた。平日の始発から朝10時までは混雑緩和のため座席が収納され使用できないが、朝10時を過ぎた時点で座席を使用することができるようになっていた。しかし、山手線の混雑緩和が進んだことから2010年2月19日からは座席収納をとりやめ、終日座席の利用が可能になる。なお、前述のホームドアの設置に伴い、2011年9月4日までには6ドア車の4ドア車への完全な置き換えがなされたほか、ホームドア対応機器の設置が予定されている。この置き換えで4扉の付随車104両が新造されている。この付随車は1人当りの座席幅を既存車より10mm広い460mmとし、台車や空調、VISなどは廃車流用品を用いている。E231系の導入によりVISが表示できるようになった。各ドア上部にはVIS表示用の液晶ディスプレイ (LCD) が2つずつ設置されている。右側の画面は次駅案内や所要時間(半周分のみ、目安30分以内)、近隣自社および主要他社・局路線の遅延状況、工事予告などが表示される。左側の画面は、ニュースや天気予報、CM、ナイター速報、エンターテインメント情報が流れる(トレインチャンネルを参照のこと)。液晶ディスプレイ自体は205系時代からあったが、文字とVTRしか放送できなかった。2014年3月から、スマートフォン向け情報配信サービス「山手線トレインネット」がJR東日本アプリのコンテンツとして始まった。対応列車内では音波ビーコンによって、スマートフォンで号車別混雑率や室温、次の駅のホーム出口位置など、号車・乗車位置に応じた情報を受け取れる。2014年度内に山手線全列車で対応するように車両の改造工事が進められる。また、1年後の2015年3月には、音波ビーコンにより号車・乗車位置を特定する機能を「山手線チェックイン機能」と称し、他社のスマートフォンアプリに開放することが発表された。発表段階では、NTTドコモとサントリービジネスエキスパートが当該機能を利用するサービスを展開することを表明している。以下はすべて電車。 山手線一周の線路・沿線の概況を、品川駅を起点に外回り方向に記述する。なお近接する地下鉄路線については一部をのぞいて省略する。東海道新幹線と京急本線が接続する品川駅を出ると、京急本線と国道15号(第一京浜)をくぐり、500mほど京浜東北線・東海道線・横須賀線・東海道新幹線と並行して掘割を南方向へ進む。やがて大きく右へカーブして東海道線・京浜東北線と分かれて横須賀線・東海道新幹線とともに目黒川を渡る。その先、横須賀線上にある旧目黒川信号場で、新宿・池袋方面発着の特急「成田エクスプレス」が走行する山手貨物線が横須賀線から分岐。横須賀線(品鶴線)・東海道新幹線が左方向へ離れていき、山手貨物線は以降、田端駅手前まで電車線に並行する。車両基地である東京総合車両センターからの引込線が左手から合流すると大崎駅。山手貨物線を挟んで西側には品鶴線に繋がっている大崎支線があり、その線路上に湘南新宿ライン・埼京線・東京臨海高速鉄道りんかい線のホームが設けられている。大崎駅を出ると大崎支線が山手貨物線に合流し、湘南新宿ラインや埼京線電車などは同貨物線を走行する。北西方向へ進み、目黒川を再度渡ると、西側から伸びてくる東急池上線のホームをくぐり、五反田駅へ。同駅は国道1号(桜田通り)を跨ぐ形で設けられている。首都高速2号目黒線をくぐり北方向に進路を変えると、駅ビルの直下に設けられた目黒駅。地下ホームに発着する東急目黒線との接続駅である。都道312号(目黒通り)をくぐって北進すると山手貨物線が電車線の下をくぐって左側から右側へ移る。恵比寿ガーデンプレイスの西側を抜けると恵比寿駅。同駅は1996年(平成8年)に山手貨物線ホームが設けられ、2002年(平成14年)のりんかい線開業まで埼京線の起点駅となっていた。都道416号(駒沢通り)を跨ぎ、北北西に進むと都心西側のターミナルのひとつ、渋谷駅に至る。JRの駅は山手貨物線ホームと電車線ホームが大きくずれた場所にあり、また電車線ホームの直上に首都高速3号渋谷線と東京メトロ銀座線ホーム、直下に国道246号が交差しており、電車線ホームの西側に京王井の頭線の駅がある。このほか地下には東急田園都市線・東京メトロ半蔵門線、東急東横線・東京メトロ副都心線なども乗り入れている。駅周辺は渋谷の繁華街である。渋谷駅を出ると都道305号(明治通り)や東京メトロ副都心線(地下)に沿ってに北上し、明治神宮の東側に差し掛かると原宿駅に至る。明治神宮の最寄り駅であり臨時ホームが設けられているほか、北側の山手貨物線上には皇室専用ホーム(原宿駅側部乗降場)がある。また駅東側の表参道は商店街となっている。明治神宮沿いを北上し、首都高速4号新宿線をくぐると山手線内側(右側)から複々線の中央本線(中央快速線、中央・総武緩行線)が現れて電車線と山手貨物線の間に入り、山手線電車と中央・総武線各駅停車が停車する代々木駅へ。同駅を出るとすぐに新宿駅構内の南端に差し掛かり、左側から小田急小田原線が近づく。そしてタカシマヤタイムズスクエアの脇を抜けて中央・総武緩行線の西行線が山手電車線を跨ぐと、都心西側のターミナルの一つである新宿駅に至る。駅構内の中ほどで東西方向に伸びる国道20号(甲州街道)が跨いでいる。駅西側には京王電鉄と小田急電鉄の駅があり、それぞれ京王百貨店・小田急百貨店を併設。またJRの駅舎もデパートのルミネ・ルミネエストを併設している。駅西側は高層ビルが立ち並ぶ西新宿のビジネス街、東側は新宿三丁目や歌舞伎町の繁華街が広がっている。新宿駅を出ると「新宿大ガード」で都道4号(靖国通り)を跨ぐ。西武新宿駅の西側で中央本線が北西方向へ分かれていき、ここから高田馬場駅まで西武新宿線と並行する。都道433号(大久保通り)を跨ぐ手前に新大久保駅がある。周辺にはコリア・タウンが広がり、中央・総武緩行線の大久保駅とは300mほどの距離である。病院や学校が立ち並ぶ中を北上すると学生の街・高田馬場にある高田馬場駅。山手貨物線にはホームが無いが、西武新宿線との接続駅となっている。都道25号(早稲田通り)と、西へ向かう西武新宿線を跨ぐと北北東に進み、学習院大学の西側に位置する目白駅。駅のすぐ北で都道8号(目白通り)をくぐる。西側から現れた西武池袋線をくぐり、同線と並行すると都心北西部のターミナルで渋谷・新宿と並ぶ池袋の繁華街に囲まれた池袋駅に至る。JRの駅の西側に東武東上線、東側に西武池袋線の駅があり、東武百貨店・西武百貨店をそれぞれ併設。また山手線の運行上の拠点の一つであり、車両基地(池袋運転区)への引込線が分岐している。池袋駅を出ると、山手貨物線から埼京線(赤羽線)が分岐し、山手線(電車線と山手貨物線)は東へと方向を変える。首都高速5号池袋線をくぐり、住宅街の中を東南東へ進むとまず大塚駅がある。同駅では東京都心で唯一となった路面電車・都電荒川線と接続する。続いて掘割を東北東へ進み、国道17号(白山通り)をくぐると巣鴨駅。「とげぬき地蔵」こと高岩寺の最寄駅で、周辺には高齢者でにぎわう地蔵通り商店街がある。さらに掘割を進むと都道455号(本郷通り)をくぐり駒込駅。こちらは都立六義園の最寄り駅となっている。山手線電車線で唯一の踏切を通過すると、湘南新宿ラインが走行する山手貨物線が電車線の下に潜り左側にカーブして離れていき、電車線は反対に右側にカーブし上野方面を目指す。左側から現れた高架の東北・上越・北陸新幹線(以降まとめて「東北新幹線」)と並行し、京浜東北線の北行・南行線路の間に挟まれる形で勾配を下ると田端駅。周辺には新幹線の車両基地や、貨物列車用の田端信号場駅が広がっている。田端駅から東京駅までは、正式には東北本線の電車線を走行する区間となり、山手線電車は京浜東北線の北行・南行線路に挟まれて南へ進む。田端駅を出ると800mほどで東京メトロ千代田線と接続する西日暮里駅。同駅手前から左側の東北新幹線の向こう側に複々線の東北列車線(宇都宮線・高崎線)の線路が現れて並行し、西日暮里駅を出てさらに進むと京成本線と常磐線が東側から現れて日暮里駅に至る。同駅ではほかに日暮里・舎人ライナーも接続するが、宇都宮線・高崎線に駅は無い。また東北新幹線は同駅付近から地下に潜っていく。日暮里駅から上野駅までは山手線、京浜東北線、宇都宮線・高崎線、常磐線を合わせて10本5複線の線路が並行。まずはこれらの線路を京成本線が跨いでいく。都道319号(言問通り)をくぐると東側にある上野恩賜公園の脇に差し掛かり、山手・京浜東北線の鶯谷駅へ。続いて公園沿いに右へカーブし、宇都宮・高崎、常磐の各線の線路が高架線と地上線に分かれると、東北・信越各方面へのターミナル駅である上野駅に至る。宇都宮線・高崎線と常磐線はかつて、同駅を運行上の起点としていたが、2015年(平成27年)3月14日にはこれらの線路がこの先の東京駅まで繋がった(上野東京ライン)。また地下には東北新幹線のホームもあり、かつては新幹線も上野駅を始発駅としていた。駅西側の上野恩賜公園内には上野動物園があり、京成本線は同公園の地下を通ってJR上野駅南西にある京成上野駅に発着している。上野駅を出ると山手線は京浜東北線・東北新幹線と並行して高架上を南下し、東京駅を目指す。左側には上野東京ラインの線路がある。また100mほど東側に首都高速1号上野線が並行している。右側のアメ横通りに沿い、都道453号(春日通り)を跨ぐと御徒町駅。そのまま市街地の中を南下すると、総武緩行線との交差地点にある秋葉原駅へ。駅周辺の秋葉原は電気街となっているほか、サブカルチャー関連の店も並んでいる。また常磐新線として建設されたつくばエクスプレスが同駅の地下に発着している。秋葉原駅からは東北新幹線が地下から地上に現れ、駅を出るとすぐに神田川を渡る。都道302号(靖国通り)を跨ぐと山手線内側から中央線が近づき、国道17号(中央通り)を跨いで神田駅。上野東京ラインは同駅付近では新幹線のさらに上の高架を通ることになっている。上野東京ラインが山手線と同じ高さまで下りると、首都高速都心環状線をくぐり、今度は右側の中央線が高々架に上がる。また北東側からは地下を走る総武快速線が近づく。そして国道1号(永代通り)を跨ぐと東京駅に至る。同駅は東北新幹線・東海道新幹線と東海道線・中央線、地下ホームに発着する京葉線の始発駅となっているターミナル駅で、さらに正式な路線名としては東北本線・総武本線の起点でもある。皇居側(丸の内口)には赤レンガ駅舎を備え、反対側の八重洲口では高層ツインタワーのグラントウキョウが建設されるなどのリニューアルが進められている。東京駅から品川駅までは正式には東海道本線の区間となり、引き続き京浜東北線に挟まれて高層ビルが林立する中を南南西方向へ進み、左側には東海道線(列車線)と東海道新幹線が並行、また地下には総武快速線と直通運転を行う横須賀線の線路が通っている。東京国際フォーラムの東を通り過ぎると有楽町駅。駅の東側には銀座の繁華街が広がっている。有楽町センタービル(マリオン)の横を過ぎると、新幹線のさらに左側に東京高速道路(KK線)が並行し、同道路が左にカーブして離れると新橋駅に至る。同駅の南東はかつての初代新橋駅、後の汐留貨物駅の跡地であり、現在は汐留シオサイトとして再開発が行われている。新交通ゆりかもめの起点駅もその中に位置している。また新橋駅は東京駅 - 品川駅間の中間駅で唯一東海道線・横須賀線にホームがある。新橋駅を出ると国道15号(第一京浜)を跨ぎ、高架から地平へと降りる。左側にゆりかもめが並行し、それがお台場方面へ離れていくと、空港連絡鉄道である東京モノレール羽田空港線との接続駅である浜松町駅。駅のすぐ東には旧芝離宮恩賜庭園、1kmほど西側には東京タワーが位置する。また500mほど東側は海(東京港)であり、山手線でもっとも海に近い駅である。浜松町駅を出るとすぐに東京モノレールが右側から左側に移り、首都高速都心環状線をくぐる。モノレールは次の田町駅手前まで並行し、またモノレールの下には休止路線となっている東海道貨物線の用地が続く。緩やかにカーブして南西方向を向くと、モノレールが別れていき田町駅に至る。田町駅を出て再びカーブして南へ向くと東海道線の上下線の間が離れ、間に同線の留置線が広がる。また同留置線の横で京浜東北線北行線路が山手線の外側へ移り、方向別複々線から線路別複々線に変わる。山手線内側にはビル群を挟んで国道15号が並行。右側で都営地下鉄浅草線に直通する京急本線が地下から高架に、また左側で横須賀線線路が地上に上がると、東海道線の上下線が近づいて品川駅に至る。山手線は、線路名称としての山手線区間(品川駅 - 田端駅間)に加え、東北本線区間(田端駅 - 東京駅間)と東海道本線(東京駅 - 品川駅)の線区を走行する。これらの他線区区間でも、山手線は専用の独立複線上を走行する。並行する独立した線路を有する運転系統と区間山手線と並行する区間のみ記載。( )内の駅は、山手線と並行するものの連絡する駅施設がない駅。なお、各駅で連絡する鉄道路線については、本節には記さない。駅一覧を参照されたい。1988年3月13日に京浜東北線で日中に快速運転が開始されるまでは、田端駅 - 東京駅 - 田町駅間(厳密には田端駅南側の渡り線と田町駅北側の渡り線との間)で日中の閑散時間帯に同線の電車と交互に同一の線路を走行させ、使っていない側の線路はその時間を利用して保守工事が行われていた。使用する線路は1か月ごとに交代していた。中間の各駅では、例えば、当時存在していたホームの路線名案内看板の番線表示が「[3]←|[3]←」「[3]←|→[4]」「→[4]|→[4]」のように矢印付きで切り替え可能(島式ホームの反対側に矢印を向けられる)になっていて、時間帯や月によって表示する番線を変えていた。その後も年に数日程度「リフレッシュ工事」と称してこの区間の保守点検作業を日中10 - 16時頃の間に行うことがあり、その間は京浜東北線も各駅停車で運転して、山手線と京浜東北線が同一の線路を走行する。そのために、山手線11両編成化後、この区間では京浜東北線ホームも11両対応に改修された。なお、両線の転線は現在でも田端駅・田町駅のポイントで行われている。軌道はTC型省力化軌道が採用されている。架線はインテグレート架線が用いられている。踏切は、貨物線のみのものをのぞけば、田端駅 - 駒込駅間の「第二中里踏切」が現在では唯一のものである。なお、2005年1月12日までは池袋駅 - 目白駅間に「長崎道踏切」が、さらにその前には「第一中里踏切」が第二中里踏切の駒込寄りに存在していた。跨線橋は、アメリカ橋(恵比寿南橋)などがある。トンネルは、かつて駒込駅 - 田端駅間に「道灌山隧道」、目黒駅 - 五反田駅間に「永峰隧道」があったが、現在は環状運転線上からは消滅している(貨物線のトンネルについては後述)。各駅には乗車位置の案内が掲示されている。東京の路線の乗車位置案内は東京メトロ・都営地下鉄では駅に多数掲示されているが、JR東日本では珍しい例となった。その後、ドア幅より長い乗車位置テープが設置され、京浜東北線など他路線でも色違いの同型が採用された。各駅のホームには時刻表が掲示されているが、始終発の時刻しか掲載されておらず、余ったスペースを出口や乗換案内に活用している。また、早朝や深夜以外は運転間隔が短いので、LED式発車標はホーム以外に設置されていない駅が多い。山手線では、2010年から可動式ホーム柵(ホームドア)の導入を進めており、2014年現在においては、18駅での設置が完了している。それに伴い、列車を駅の定位置に停車させるシステムである定位置停止装置(TASC)を車両側と地上側とで導入している。山手線でのホームドア導入を決定した理由には以下の3つがあるJR東日本は2008年3月31日に発表した「グループ経営ビジョン2020 -挑む-」と称した方針の中で、乗客のホームから線路への転落事故を防止するため、JRの在来線としては初となるホームドアの導入を明らかにした。その後の発表と総合すると、駅の大規模改良が予定されている浜松町駅、新橋駅、渋谷駅、新宿駅、東京駅を除く全駅で2017年度末までの設置を目指しており、このことに関して、2008年6月3日の定例会見において、ホーム構造・幅員などの特徴や乗務員の取扱い誤り防止などの観点により、恵比寿駅・目黒駅の両駅を先行導入箇所とし、約2年の検証期間を経た後に、山手線各駅への導入を進めることになり、2010年度には、両駅でホームドアの使用を開始している。その後、2012年度には大崎駅・池袋駅で、2013年度には巣鴨駅・駒込駅・大塚駅・目白駅・高田馬場駅・新大久保駅・田町駅、2014年度には御徒町駅・鶯谷駅・田端駅・有楽町駅・原宿駅・五反田駅・西日暮里駅、2015年度には秋葉原駅、代々木駅、上野駅、神田駅、日暮里駅、2016年度には品川駅に導入されている。これに関連して、上野東京ラインの開業による混雑率の低下および西日暮里駅 - 浜松町駅間で乗り入れる可能性がある京浜東北線の電車との関係により、2010年2月19日より編成に組み込まれた6ドア車の4ドア車への置き換え(置き換え期間中の6ドア車の平日朝の座席格納は中止)や、床下にホームドア対応機器の設置が進められ、両駅間の6ドア車だった停車位置へのホームドア設置は置き換え後に開始されている。なおホームドアにあるウグイス色のラインは、後乗防止のため内回りと外回りで表記が異なり内回り側は単線、外回り側は二重線である。ホームドアの高さは、乗客の寄りかかりや乗越え、車掌から見た車両とホームドアの視認性、安全性などを考慮して1300mmとし、開口幅は、車両の扉の開口幅の1300mmと定位置停止装置(TASC)が±350mmの精度であるのを考慮して2000mmとしている。ホームドアの厚さは、ホームの通路幅や建築限界離隔を考慮して、本体部150mm、センサー部90mmとしており、駆動機構の薄型化が図られている。また、ホームドアには、引き込み検知装置・支障物センサー・戸挟み検知装置などにより、人や物が挟まれた場合においてホームドアを開かせる安全装置と非常時においてホームドアを開かせる非常解錠スイッチを備えているほか、火災や故障などで列車が駅の定位置に停車できなかった場合において、乗客を安全に誘導するための緊急脱出口を備えている。ホームドアの扉は、乗客が乗車前に足元の安全を確認して安心して乗車できるようにガラス製としている。ホームドアの開閉のシステムは、車両側に搭載されたホームドア車上子から地上側に設置されたホームドア情報伝送地上子(PO地上個子)との間で通信を行いホームドアと車両の扉が連動して開閉を行う。また、ホームドアの状態を遠隔故障監視システムにより遠隔監視することで、故障の早期復旧と連絡体制の強化を図っている。山手貨物線(やまのてかもつせん)とは、山手線の品川駅 - 田端駅間(新宿駅経由)の電車線に並行して走る複線の通称である。略称は山貨(やまか)。現在においては主に埼京線と湘南新宿ラインの電車・列車が走行する線路である。元来、旅客輸送の増大から、大正期に主に電車線を増設する形で複々線化が行われて成立した。田端駅(田端信号場駅)では東北本線の貨物線(東北貨物線)、大崎駅では現在の旅客ホームの北側で大崎支線へとつながり、また大崎駅 - 品川駅間の目黒川信号場では品鶴線(現在の横須賀線の経路)と合流しており、それぞれ各線から流入する貨物を別の線に中継する役目を果たしていた。1960年代には当貨物線の輸送力が限界に近付いたため、外環状線の建設が計画され、1973年に武蔵野線として開業した。そのため山手貨物線の役割は薄くなり、特に1986年の埼京線乗り入れ、2001年の湘南新宿ライン運転開始以後は、日中のほとんどの列車がこの2系統の旅客列車で占められ、貨物線としての役割はかなり低くなっている。現在運行されている貨物列車は、新鶴見信号場を発着し田端信号場駅を通り東北本線などへ直通するものと、田端信号場駅から隅田川駅へ向かうもののみである。高速貨物列車は下り列車(田端信号場駅方面)が1日6本でそのうち隅田川駅行が3本、上り列車(大崎駅方面)が4本運行され、専用貨物列車は下り列車が2本、上り列車が1本運行されている。高速貨物列車の上下1本をのぞき、早朝、深夜または旅客列車の本数が少ない時間帯に運行されている。また、天皇の行幸に際して原宿駅を発着する「お召し列車」が通る線路でもある。駒込駅 - 田端信号場駅間にある中里トンネルは、現在では山手線で唯一のものである。ただし、駒込駅 - 田端駅間はかつて現在の富士見橋の下を掘割ではなく、トンネルで通過していたが、電車線増設と貨物線の中里トンネルへの移設により廃棄され、戦後に瓦礫で埋め立てられたという。トンネルの東側出口のポータルの角が埋めきれずに富士見橋の東側の現内回り線のさらに内側に飛び出している。第一次世界大戦以降東海道と東北・常磐方面の間の貨物輸送量は日露戦争時以上に増え、山手線は複々線化されることになった。まず品川 - 大崎間が1918年12月20日に複々線化され、1925年3月28日に全線の複々線化が完了した。この時にできた貨物線が山手貨物線である。同様の事業は他の線区でも行われた。1929年8月21日には東海道線の貨物を分離するために品鶴線(17.8キロ)が新設され、2つの貨物線の分岐点には目黒川信号場が設置された。その後1934年12月1日には大宮操車場・田端操車場から山手貨物線を経由して新鶴見操車場(現・新鶴見信号場)に貨物列車を直通させるため大崎支線が開通し、品鶴線との分岐点に蛇窪信号場が開業した。過去に運転されていた列車全線がJR東日本東京支社の管轄である。前身である日本国有鉄道(国鉄)の時代は、五反田駅 - 目白駅間が東京西鉄道管理局、池袋駅 - 秋葉原駅間が東京北鉄道管理局、神田駅 - 大崎駅間が東京南鉄道管理局の管轄であった。また、全線が旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「東京近郊区間」、東京地区の電車特定区間(E電)、特定都区市内制度における「東京都区内」()、およびIC乗車カード「Suica」の首都圏エリアに含まれている。また、山手線は運賃計算上においても特殊な路線で、「東京山手線内」()の指定も受けており、山手線内の駅を発着する場合、運賃計算上の特例の影響を受けることがある。ここでは山手線の各駅と営業キロ・接続路線・所在地の一覧を、駅番号順に東京駅から内回り方向に並べ東京駅まで記す。『鉄道要覧』記載の山手線の正式な起点は品川駅、終点は田端駅、運転系統上の起終点は大崎駅である。山手線で駅間距離が最も長い区間は、田町駅 - 品川駅間のおよそ2.2km、最も短い区間は日暮里駅 - 西日暮里駅間のおよそ500mである。目黒駅 - 恵比寿駅間で目黒区を、巣鴨駅 - 駒込駅間で文京区を、神田駅 - 東京駅間で中央区をわずかに通るが、駅はない。品川駅 - 池袋駅 - 田端駅間にあった信号場。( ) 内は品川駅起点の営業キロ。2012年1月4日、品川駅 - 田町駅間(現在の東京総合車両センター田町センター周辺)に当路線では40年振りとなる新駅を2013年(平成25年)に着工を目指すと報じられた。報道によれば、東北縦貫線(上野東京ライン)完成後に田町車両センターの機能を縮小し、空きスペースの再開発を進めると共に、線路を現在より外側に移し、品川駅の北側約1キロ地点に新駅を作り、山手線と京浜東北線が停車する計画で、開業は早ければ2020年ごろの見込みとしていた。2014年6月3日、JR東日本から田町駅から約1.3km、品川駅から約0.9km付近に新駅を設置し、2020年の東京オリンピック・パラリンピックにあわせて暫定開業を予定していると正式に発表された。駅名については公募を含めて検討する。また、東京都や港区、関係鉄道事業者と再開発計画をまとめることにしている。構想では1階部分にはホームの他バスターミナルを設け、2階のコンコース部分にはイベント広場などを設ける予定となっている。至近にある泉岳寺駅との連絡設備の設置も検討している。品川 - 新宿 - 田端間について記す。このほかにも、山手線の駅にまつわるエピソードをモチーフにした小説も存在している。内容は、現時点で29駅あるはずの山手線に、30駅目が在るという噂を巡るミステリー小説である。
出典:wikipedia