M18 57mm無反動砲()は、アメリカ合衆国で開発・製造された無反動砲である。アメリカは、1906年のデイビス砲で世界に先駆けて無反動砲の開発に成功したものの、その後長く顧みられることはなかった。一方、ドイツのクルップ社はその成果に注目して、1930年代より無反動砲の開発に着手し、を完成させた。これは、クレタ島侵攻作戦より実戦投入され、高く評価された。第二次世界大戦間の装甲技術の著しい発達の結果、歩兵部隊および他の軽武装部隊の対装甲攻撃能力は極端に脆弱化しており、このことから中距離において対装甲攻撃能力が十分に高く、かつ歩兵部隊によって容易に運ぶことが可能な兵器が必要されていた。1943年、第二次大戦中の北アフリカ戦線においてアメリカ軍はLG40を鹵獲し、ただちにこれを参考にした無反動砲の開発に着手した。開発は法務局携帯兵器部門によって行われ、比較的短期に完了した。これによって開発されたのが本砲であり、米軍が配備した最初の無反動砲である。M18は、の単なるコピーではなく、いくつかの新機軸を導入している。反動減殺の方法として、新開発のクロムスキット式を採用した。これは、発砲と同時にカウンターウェイトを後方に射出するデイビス式、カウンターウェイトを発射ガスで代用したクルップ式よりも高初速を確保でき、大威力になるというメリットがあった。また、砲弾に既成導子と呼ばれる軟金属製のバンドを巻きつけて、これによって砲弾そのものと砲身との摩擦を減らしつつ旋条効果を得られるようにしたことで、砲身の軽量化にも成功した。これにより、在来型の大砲のような大がかりな砲架が不要になり、砲架にはブローニングM1917重機関銃の三脚架が使用されることが多く、また、ジープに搭載しての運用も行われた。M18は、1944年ごろより製造に入った。大戦中の戦車の急速な進歩により、既に57mm口径では有効な対戦車兵器とは言えなくなっていたが、軽量ゆえに歩兵が携行できたことから、小銃中隊レベルで使用できる大口径の直射火力として重宝され、多くが太平洋戦線に投入された。大戦後も配備は継続され、アメリカ軍では小銃中隊の無反動砲分隊に2門が配備されていたが、朝鮮戦争では、北朝鮮軍のT-34戦車に対して有効な打撃を与えることができなかった。このように戦車の進歩に追いつけなくなってきていたことから、大口径の携行型無反動砲として開発されたM67 90mm無反動砲、のちには新開発のドラゴン対戦車ミサイルによって代替されて退役した。日本の警察予備隊にも供与されたが、同様に供与されたM20 75mm無反動砲が陸上自衛隊に改変後も長らく用いられたのに対し、威力不足から早々に退役していった。
出典:wikipedia
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