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学校法人立命館

学校法人立命館(がっこうほうじんりつめいかん、英字表記:Ritsumeikan)は、日本の学校法人の一つ。京都府京都市中京区西ノ京朱雀町1番地に本部を置く。全学園の学生・生徒数は約49,000名、教職員数は約2,500名(2009年現在) 。1913年12月13日、財団法人立命館の設立および学校名称変更発表式を開催。学校組織を財団法人立命館とするとともに、大学を私立立命館大学、中学校を私立立命館中学と改めることが発表された。学校名称の変更申請は、末弘威麿の名義で行われたが、財団法人立命館の設立申請は中川小十郎名義で為され、二つの申請がほぼ同時に文部省から認可されたため、財団代表者と学園設立者が異なるという事態が発生した。この問題を解消するため、同年12月16日、末弘と中川の連名による申請書「財団法人立命館ヲ私立立命館大学設立者ト為スノ件」が文部省に提出され、中川小十郎および末弘威麿の二人が「財団法人立命館理事 兼 私立立命館大学設立者」の座を共有することになった。財団法人立命館の理事は、終身理事・任期制理事(任期3年)の二人制で、初代終身理事には中川小十郎が、任期制理事には末弘威麿が就任した。理事の下には最大10名からなる協議会と、学園監事のポストが置かれた。なお、理事および監事は協議員を兼任するものとされた。初代の協議員は、京都帝国大学教授を中心に構成され、井上密、石坂音四郎、仁保亀松、戸田海市、織田萬、岡村司、勝本勘三郎、田島錦治らが選ばれた。また、立命館大学予科・立命館中学学監には京都帝大文科大学教授の小西重直が就任した。協議員会には大きな権限が与えられ、委員の三分の二が賛成すれば財団の解散も可能であった。また、財団「寄附行為」には、財団解散時には所有財産の全てが京都帝国大学に寄付されると明記されていた,。立命館大学は中川小十郎が開いた京都法政学校が起源であるが、その立命館という名は、西園寺公望が京都御所邸内に一時開いていた私塾立命館に由来する。この「立命館」は、孟子「盡心章(じんしんしょう)」にある「殀寿貳(ようじゅたが)わず、身を修めて以て之を俟(ま)つは、命を立つる所以(ゆえん)なり」(人間の寿命は天命によって決められている。修養に努めてその天命を待つのが人間の本分の全うである、という意味。)という一節から得ている。1905年、廃絶していたこの「私塾立命館」の名称を、中川小十郎の希望により、中川の創設になる「京都法政学校」が継承することを許可した。その際、西園寺公望は、次のような扁額をしたためている。西園寺公望は1869年 私塾「立命館」を創設。(中川小十郎{後の立命館大学創立者}の郷里の人間が多数学生となっている。)京都府庁(太政官留守官)の差留命令により1年弱で閉鎖された。公望は私塾立命館を閉鎖させた際、大層残念に思い再興を誓う。その後を継いだのが秘書官の中川小十朗だった。現在の立命館大学は、文部大臣当時の秘書官中川小十郎がその名跡を譲り受けたもので、大学組織的としての直接の繋がりはないが公望は事実上の創立者の1人として京都法政学校(現・立命館大学)創立にあたり有形無形の支援を行った。西園寺公望の実弟末弘威麿が学園幹事に就任、同じく実弟の住友財閥当主徳大寺隆麿(住友友純)による大口の寄付を行うなど、西園寺は自分の持つ政治力、人脈・金銭等を用い京都法政学校(立命館大学)に協力した。また教育面での貢献も大きく、中でも彼の寄付した書籍は現在も「西園寺文庫」として立命館大学に貴重コレクションとして保存されている。一回目の寄贈は1925年5月に行われたが、これは立命館大学(旧制)が大学昇格条件を満たすために為されたもので、英仏書187冊であった。その後、1930年10月16日に和漢書約300冊、1938年6月には西園寺家伝来の和綴本739部881冊の寄贈が為された。 この和綴書には、宮中儀式、有職故実関係、改元記録、和歌関係などの貴重文書が含まれている。そして最後、すなわち四回目の寄贈は1940年5月に行われている。この最後の寄贈資料は和漢書6,671冊にもおよび、西園寺公が特に愛読していたと思われるものが大量に含まれているのが特徴とされる。また公望は西園寺家家紋である「左巴」の旗を立命館大学が使用することを許可しており実際に使用されていた。中川小十朗が「立命館」の名称を用いる事を公望に申し出た際には『立命館』の名称と精神の継承(立命館の再興)を大層喜び『立命館と由緒』の大扁額を与えた。後に公望は「余が建設せる立命館の名称と精神を継承せる貴学」と現在の立命館大学の事を述べており、彼の作った私塾立命館を引き継ぐ存在としてその後も立命館大学に関わった。公望が没した1940年に立命館大学は、創立とその後の教育に大きく貢献した西園寺公望を立命館大学の「学祖」と取り決めた。西園寺家と立命館大学の交流は現代も続いており大学の行事に西園寺家の人々が出席している。立命館には校章とは別に二つの学園ロゴが存在している。立命館大学および立命館アジア太平洋大学において、雇止めに関連する訴訟が起こっている。現在もこの訴訟は進行中である。

出典:wikipedia

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