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湯原春綱

湯原 春綱(ゆはら はるつな)は、戦国時代の武将。出雲国の戦国大名・尼子氏の家臣。後に毛利氏に降って、その家臣となった。名前の『春』は吉川元春からの偏諱と推測される。天文9年(1540年)の吉田郡山城の戦いにおける池ノ内の戦いで、兄の湯原宗綱が討死したため、湯原家の家督を継いだ。尼子氏が毛利氏の圧迫を受け、劣勢に追い込まれると、永禄5年(1562年)に天野隆重や桂元忠、児玉元実の勧誘により毛利氏に降った。これより毛利家臣として吉川元春に従い、中国地方各地を転戦した。また、中国地方だけではなく海を越えて毛利氏の伊予出兵にも参加した。永禄12年(1569年)に尼子勝久を首領に戴く山中幸盛率いる尼子再興軍が隠岐国より出雲国へと侵入すると、春綱の叔父、米原広綱らがそれに呼応して寝返った。この際にも春綱は毛利氏に従い、再興軍の撃破に貢献した。湯原春綱は水軍の武将でもあったので、元亀2年(1571年)には隠岐島に渡海し、尼子方の隠岐氏を降伏させた。天正8年(1580年)の美作国医王山城攻防戦では、城に援軍として入り、福田盛雅、塩谷元真、小川元政らとともに宇喜多軍の攻撃から死守した。天正19年(1591年)に死去。家督は嫡男の元綱が継いだ。

出典:wikipedia

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