マリオ・ボラッティ(Mario Bolatti, 1985年2月17日 - )は、アルゼンチンコルドバ州ラ・パラ出身のプロサッカー選手。アルゼンチン・プリメーラ・ディビシオンのベルグラーノ所属。ポジションはミッドフィールダー。2006年までボラッティは、アルゼンチンのサッカー2部リーグであるプリメーラB・ナシオナルに当時所属していたCAベルグラーノの下部組織で成長する。トップチームデビューは2006年8月に行われた対アルヘンティノス・ジュニアーズ戦であった。2007年にチームが1部リーグであるプリメーラ・ディビシオンに昇格を果たす。チームは低迷したが、初のトップリーグでボラッティは最高の選手の1人であり、実際にアルゼンチンの強豪クラブであるCAインデペンディエンテやイタリアセリエAのユヴェントスFCが獲得に興味を示していた。2008年にポルトガルのビッグクラブであるFCポルトへステップアップを果たす。出場機会は限られていたがポルトにてスーペル・リーガを制し、初のタイトルを得る。2009年1月に、出場機会を求めたボラッティは買取オプションのつかないローンにてCAウラカンに移籍する。故郷のリーグに戻り、ボラッティはCAウラカンの中盤の舵取り役として再び輝きを取り戻す。チームをリーグ2位に導き、リーグ屈指のセンターハーフと認知されるようになった。2010年1月1日にローンの期間を終え、再びFCポルト所属の選手となる。2010年1月14日に650万ユーロの移籍金でACFフィオレンティーナと契約すると報道され同年1月18日にACFフィオレンティーナが公式に獲得を発表した。2009年8月12日に行われた国際親善試合のロシア代表戦に招集され、代表戦初出場を果たす。同年10月14日には2010 FIFAワールドカップの南米予選最終戦である対ウルグアイ代表戦に招集される。勝ち点1差(アルゼンチン25、ウルグアイ24)で迎えたこの試合は負ければ本戦出場を逃すという大一番であった。敵地エスタディオ・センテナリオで行われた同試合でボラッティは後半79分にゴンサロ・イグアインと交代し出場すると、わずか5分後である後半84分に引導をわたす試合唯一の決勝点を上げた。この得点によりアルゼンチン代表の本戦出場を決定的なものにした。大柄なセンターハーフであり、成績不振で本戦出場が危ぶまれた2010 FIFAワールドカップの南米予選において、本戦出場を決定付ける印象的な得点をあげた。FCポルトからローンで移籍していたCAウラカンにおける成功からアルゼンチンのサッカー1部リーグプリメーラ・ディビシオンで2009シーズンのベストプレーヤーの1人とされ、FCバルセロナ等のヨーロッパ中のクラブが注目したとされる。展開力に優れ、高身長であることとボールタッチの優雅さからフェルナンド・レドンドに例えられる。またボール奪取にも優れることや、フィオレンティーナのスポーツディレクターであるパンタレオ・コルヴィーノが獲得した経緯から、イタリアのメディアは「新たなフェリペ・メロ」と呼んだ。
出典:wikipedia
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