中正式歩槍は中華民国が製造したボルトアクションライフルである。モーゼルライフルのコピーであり、Gew98短縮型のモーゼル・スタンダードモデル1924をモデルとしたものは中正式歩槍一式と呼ばれ、kar98kをモデルとしたものは中正式歩槍二式と呼ばれた。中正とは蒋介石の諱(本名)である中正(介石は字)に由来し、ここから転じて蒋介石歩槍(Chiang Kai-shek Rifle)、あるいは1935年(民国紀元24年)に製造が開始された事から二四式歩槍とも呼ばれる。中正式は国民革命軍により1935年8月ごろに設計され、1935年後半から製造が始まったとされるが、その段階では先に正式採用されていた旧式の漢陽88式小銃(Gew88のコピー品)の生産がより優先されていた。中正式が全軍に行き渡るのは日中戦争が始まってからになる。HY1935刺刀(漢陽1935年式銃剣の意)と呼ばれる銃剣が装備可能で、これはGew98やKar98kの銃剣よりも長く、軍用装備として致命的に旧式化していた大刀に取って代わることとなる。しかし、民兵組織などいくつかの部隊では中正式のような近代兵器が長らく給与されず、それらの部隊は大刀など旧世代の兵器で日中戦争を戦い続けた。中正式は中国の標準的な軍用ライフルの一つとして、中独合作により輸入されたオリジナルのモーゼルライフル以上に広く運用され、モーゼルC96拳銃やM35ヘルメットと共に、蒋介石の国民革命軍など20世紀前半における中国の軍閥を象徴するものとなっている。当初、中正式はオリジナルのモーゼルライフルと同様の工作精度を保って製造された高性能なライフルだったが、日中戦争が勃発すると中華民国の兵器生産能力はみるみる圧迫されてゆく。やがて漢陽、金陵、広東の三大兵工廠間で品質の差が顕著に現われ始めたが、第二次国共合作などを経て拡大を続ける国民革命軍にこのライフルを行き渡らせる事が最優先された。結局、すべての兵工廠では生産速度のために品質を犠牲とし、多くの中国兵が手にする中正式は工作精度や実射性能においてモーゼル・スタンダードモデル1924やkar98kから酷く劣ったものばかりとなり、オリジナルのモーゼルライフルや高品質な中正式は蒋介石の直轄部隊など一部が手にするだけに限られていた。侵攻に伴い、いくつかの兵工廠を占領した日本軍はモ式小銃の名前で中正式の生産を続けさせた。これらの多くは満州国軍やタイ王国軍などの同盟国軍、また南京政府軍などの中国国内の協力組織に配備された。中正式は重くて銃弾の再装填にしばしば手間がかかったものの、日本軍の制式小銃である三八式歩兵銃が用いる6.5 mm弾に比べて、中正式の8 mmモーゼル弾はストッピングパワーが高く、初速と有効射程の面でも有利であった。また、全長はkar98kやモーゼル・スタンダードモデル1924と同程度で、三八式歩兵銃と比べて短かった。1935年から1945年までに中正式は500,000~600,000丁が生産されたとされる。第二次世界大戦後も中正式は国共内戦で国共両軍によって使用された。また朝鮮戦争の際には、国連軍と対峙した中国人民志願軍によって使用され、第1次インドシナ戦争ではベトミン軍とベトナム国軍双方によって使用された。その後、国民革命軍(後に中華民国国軍)ではトンプソンやスプリングフィールドM1903のようなアメリカ製銃器の、紅軍(後に中国人民解放軍)ではモシン・ナガンなどのソ連製銃器の配備が進み、旧式化した中正式は両軍から姿を消していった。しかし、一部の民兵組織では人民解放軍が払い下げたものが1980年代まで使用されていたと言われる。
出典:wikipedia
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