小室ファミリー(こむろファミリー)とは、音楽プロデューサーの小室哲哉を中心にした芸能人ファミリーであり、同人がプロデュースまたは楽曲提供した歌手たちを呼ぶ総称。ファミリー入りするための定義はないが、小室プロデュースの曲が代表曲になると、たとえ1曲の提供であってもファミリーだと世間的に認知されることが多い。また、小室の右腕とされる久保こーじのプロデュースも含まれ、小室ファミリーと定義される歌手は100組を軽く超えるとされる。ただし篠原涼子(TPD時代を含む)やtrfをはじめ、小室がプロデュースするのは大概2~3年程度であり、globeのように10年も続くというのは稀有である。これは契約期間が最初から定まっているためであり、「いずれは小室の手から離れてアーティストを送り出す」という意味合いもあるが、悪い印象をもつ者もいる(「#衰退期」の項も参照)。またビーイング所属アーティスト同様、dosやKiss Destinationなど、解散宣言が出されないまま自然消滅したグループもある。小室ブーム(こむろブーム)とは、1990年代半ばに起こった、小室哲哉のプロデュース楽曲がオリコンチャートの上位を埋め尽くした現象のこと。1992年 - 1993年、バンドブームが衰退し「ビーイングブーム」が起こった。その後、ビーイングブームの沈静化と前後して、TM NETWORK終了のころから複数のアーティストへのプロデュースを本格化し、trf、ANISS、大谷健吾、観月ありさ、hitomiによる小室ファミリーの原型ができ上がった。しかし、trf、ANISS、hitomiのデビュー曲ではオリコンチャートの100位以内にも入ることができずラジオでもオンエアされることは少なかった。また、当時小室はソニー・ミュージックエンタテインメント所属であり、他レコード会社の楽曲をプロデュースすることに対する反感も相当強かった。その後、trfの「EZ DO DANCE」(最高位15位)「寒い夜だから…」(初登場16位、最高位8位、当初はノンタイアップ)などがロングヒットし、中森明菜の「愛撫」がアルバム曲ながら注目を集め、東京パフォーマンスドールの篠原涼子が「篠原涼子 with t. komuro」名義で出した「恋しさと せつなさと 心強さと」が、初登場27位からチャート1位まで上昇し、大谷健吾が原宿を中心に人気を集め(オリコン「The Ichiban」などのアンケートで上位に入った)、ここからプロデューサーとしての小室哲哉に注目が集まった。trfは「Survival dAnce 〜no no cry more〜」「BOY MEETS GIRL」「CRAZY GONNA CRAZY」など5作品連続でミリオンセラーを記録、ダウンタウンの浜田雅功に「H jungle with t」名義で提供した「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」が予言通りダブルミリオンを獲得したことでプロデューサーとしての地位を確固たるものにした(→小室哲哉提供楽曲一覧参照)。楽曲提供のみに留まらず、エンジニアリングからA&R業務までのプロジェクト全体を統括するプロデューサーとして業界内でも期待を集めた。しかし、1994年から95年前半にかけて丸山茂雄が設立したアンティノスマネジメントによる欧米型マネージメント体制(ワン・アーティスト/ワン・マネージメント)は、プロデューサーとしての楽曲大量生産に対応できるものではなく、やがて破綻した。楽曲製作以外の部分を肩代わりする存在の出現が望まれ(1994,オリコン年鑑など)、プライム・ディレクションとバーニングパブリッシャーズなどバーニンググループによる集団管理体制が次第に構築されていった(月刊Views, 1996年8月号, 講談社など)。これに伴い、この時期以降の安室奈美恵を除くほとんどの小室作品は、バーニングパブリシャーズが音楽出版上の原盤権を所有している。この体制のもとでglobe、dosなどがデビューし、安室奈美恵、華原朋美などのプロデュースとともに成功を収め、1996年から1998年にかけて、いわゆる小室ファミリーによる小室サウンドが大量生産されていった。電通内に小室哲哉チームが作られ、コンサートの冠スポンサー、ウェブサイト「TK Gateway」との連携など単なるタイアップ曲の枠を越えて重層的なメディアミックスが仕掛けられた。この時代にプロデュースを受けたアーティストが小室ファミリーに分類されることが多い。その一方で、同時期に華原朋美は予想外のブレイクによりアイドル歌謡曲指向への転換を余儀なくされ、リミックスアルバムが発売中止となり、H.A.N.D.は1年余りでプロデュースが終わり、海外向けプロジェクトEUROGROOVEも終了した。1995年から1999年までは『ASAYAN』などで小室名義のオーディションが数回企画されたり、TVCMやテレビアニメ主題歌とのタイアップを付けて有望新人を小室プロデュースでデビューさせることが流行った。しかし、鈴木あみ以外思うような売上が出ず、皮肉にも同じファミリーメンバーでの競争も起こった。このような形態でデビューし、現在も活動している歌手は非常に少ない。なおこのブームに乗って、小室哲哉と親交がある嘉門達夫(嘉門達夫もイニシャルはT.Kである)は、小室哲哉プロデュース作品の替え唄を集めた「TK替え唄メドレー」を2作リリースしている。嘉門は替え歌メドレーを発表するときは、原曲の著作権者(作曲者・作詞者・歌唱者)の許可を得てからリリースしているが、小室哲哉は非常に協力的だったといわれる。1997年1月1日には、プロデュースしてきた歌手などに声をかけ「TK presents こねっと」として『YOU ARE THE ONE』をリリース。ちなみに「こねっと」とは「小室ネットワーク」ではなく「子供ネットワーク」からきており、小学校や中学校にインターネットを普及させようとする小室独自のプロジェクトの名称である。この活動に参加した歌手たちを小室ファミリーの集大成・最盛期と見る人も多い。1996年以降、小室以外のプロデューサー(avex創業メンバーや伊秩弘将など)やA&Rの台頭により、小室ファミリー以外の歌手(主にグループ)によるミリオンセールスのCDが増え始めた。これと反比例するように1999年頃から小室楽曲の作風が変化し、小室プロデュース作品の勢力は衰え始めていくことになる。1997年に安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」が年間ランキング1位を獲得したものの、翌1998年は小室作品がTOP30にランクインしないなどその失速は急激なものであり、同年globeが第40回日本レコード大賞を受賞したのを最後に、一連の賞レースから遠のくこととなった。そして2000年頃から、小室自身が日本の音楽シーンの中心からやや離れたプログレやトランスに傾倒し、ミリオンセラーに届くヒット曲を出さなくなった。ちなみにCD不況に突入するゼロ年代に向け、CDバブル崩壊の1999年から2000年にかけての歌謡界は以下の流行を見せていた。これらの影響が一気に押し寄せたことに加え、2000年に小室系として唯一ミリオンセラーを達成していた鈴木あみが「Reality/Dancin' in Hip-Hop」を最後に歌手活動停止状態に陥り、小室ブームは事実上終焉した。なお小室ブームが終焉に差し掛かった2000年3月に、1993年以降の小室プロデュースによる楽曲CDの累計発売枚数が3000万枚を突破したことを記念して、avex traxから当時の小室ファミリーの集大成として3枚組のコンピレーション・アルバム『ARIGATO 30 MILLION COPIES -BEST OF TK WORKS』()が発売された。小室は2001年1月にソニー・ミュージックエンタテインメントとの専属プロデューサー契約を解除し、前受報酬(印税)18億円の返還を求められることになり、この返済と自身の浪費のために借金を重ねることになる。そして2008年に小室は詐欺事件が原因で逮捕、活動停止状態に陥るが、皮肉にも同時期から小室の楽曲が再び注目されるようになる。その後、2010年に小室は活動を再開し新曲を発表する一方、小室ファミリー出身者のメディア登場も再び活性化する。近年は小室自身に加え、ファミリー出身者では特に華原朋美とTRFメンバーのメディア登場が活発化しており、小室ファミリー時代の楽曲について取り上げられる機会が増えている。※順不同。単発および、現在は別プロデュースのミュージシャン、歌手も含む。以下のミュージシャンおよび歌手については、基本的に当ファミリーとしては扱われない。
出典:wikipedia
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