ビッグ・ジョン・パットン(Big John Patton)ことジョン・パットン(John Patton, 1935年7月12日 ミズーリ州 カンサスシティ – 2002年3月19日 ニュージャージー州モントクレア)は、ハード・バップおよびソウル・ジャズのジャンルで活躍したアメリカ合衆国のオルガニスト。ロイド・プライス楽団に籍を置いた後、ブルー・ノート・レーベルに積極的に録音を行ない、グラント・グリーンやルー・ドナルドソン、ジョン・ゾーンと共演ないしは録音を行なった。パットンの作風は、もともと楽曲に持ち込まれた基礎となるアーシーなグルーヴ感を決して失うことなく、モーダル・ジャズやフリー・ジャズの要素を取り込んで発展した。古典となった作品をいくつか作曲しており、それらはミュージシャンやジャズ愛好家に進んで覚えられている。主要な楽曲に《ファンキー・ママ("Funky Mama")》や《アロング・ケイム・ジョン("Along Came John")》などがある。1960年代後半には、ハロルド・アレクサンダーやジョージ・コールマンを共演者に迎えて、ブルーノート・レコードに『アンダースタンディング("Understanding")』や『アクセント・オン・ザ・ブルース("Accent on the Blues")』といったLPを録音し、いくつかの非常に実験的な楽曲を収録した。ジョージ・ブレイスやドン・ウィルカーソン、ルー・ドナルドソンとの共演によってブルーノートに録音された初期の音源の中でも特に注目すべきは、パットンが、ギタリストのグラント・グリーンやドラマーのベン・ディクソンとこの上ない共感で結ばれたことである。ソウル・ジャズの分野において、この三者を凌駕するオルガン・トリオは依然として現れてはいない。当時のブルーノート・レコードの音楽に対する関心が再浮上してから、保管庫に収蔵されていた多くのセッションが放出されてきた。発売が実際に検討されながらも決して実現されなかった『ブルー・ジョン("Blue John")』のようなLPや、2つの幻想的(かつ進歩的)なアルバム『ブーガルー("Boogaloo")』と『メンフィス・トゥ・ニューヨーク・スピリット("Memphis to New York Spirit")』がようやく日の光を見て、この並外れた芸術家の至芸を明らかにしたのであった。パットンは1990年代後半まで録音を続けており、そのアルバムは探し出すだけの値打ちがある。晩年には日本やヨーロッパで熱心な支持者が育っており、それらの地域で演奏旅行を行い大評判となった。アメリカ内外で激賞されたライブ演奏は、蒐集家によって録音されている。ごく最近では、ジョージ・ブレイスが自身のレーベルから『イーグル・アイ・ブルース("Eagle Eye Blues")』を頒布した。
出典:wikipedia
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