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ラミリーズ (戦艦・2代)

ラミリーズ (HMS Ramillies, 07) はイギリス海軍の戦艦。リヴェンジ級の1艦。名の由来は、スペイン継承戦争において英軍が勝利したラミイの戦い(The Battle of Ramillies)の英語読みから。ラミリーズは第一次世界大戦中の1916年6月12日に進水し、1917年9月1日に就役した。進水時に舵を損傷したために就役は予定より1年遅れた。ますます高まる魚雷の脅威に対抗するために、イギリス戦艦で最初に対水雷防御用のバルジが取り付けられた。就役すると、本国艦隊(グランド・フリート)の第一戦艦戦隊に配属された。1920年にはトルコとの対立に応じて地中海に派遣され、海岸を砲撃した。1924年に大西洋艦隊の第二戦艦戦隊に配属され、その後1926年には地中海艦隊に配属された。1932年6月から1934年8月まで大規模な修理を受けた。ラミリーズを含めたリヴェンジ級戦艦は、クイーン・エリザベス級戦艦と比較して排水量が小さく、船体が細いため、もっとも必要なスピード向上のための機関換装が困難で、従って大改装には不向きとみなされ行われなかった。1939年には、もともとの最高速の23ノットを達成することは不可能になっており、せいぜい18ノットから20ノットが限界であった。この低速のため、搭載する15インチ砲は想定できる敵艦に対して充分な威力を有していたものの、リヴェンジ級戦艦をどのように活用するかはイギリス海軍の頭痛の種であった。しかしながら、ラミリーズは第二次世界大戦において、船団護衛から艦砲射撃まで、多彩な任務でほぼ戦争の全期間活躍することとなった。開戦直後は、ドイツ商船の本国への帰還を阻止するため北大西洋で活動した。9月には兵員輸送船団を護衛してアレクサンドリアに向かい、年末には東に向かい、ドイッチュラント級装甲艦アドミラル・グラーフ・シュペー捜索に参加した後、翌年にかけてニュージーランドやオーストラリアから西方への兵員輸送船団の護衛に当たった。1940年6月にイタリアが参戦すると、ラミリーズは地中海艦隊に配備され、主に船団護衛に当たった。11月にはスパルティヴェント岬沖海戦でイタリア艦隊と交戦した。その後、本国に帰還すると北大西洋で船団護衛に当たった。1941年2月8日には、船団護衛中にドイツ巡洋戦艦シャルンホルストとグナイゼナウに遭遇した。数は二対一、しかも両艦とも新造艦でありドイツ側が優勢であったが、ドイツ側はラミリーズの旧式で砲門数も少ない15インチ砲を必要以上に恐れ、「優勢な敵との交戦を避けよ」というヒトラーの命令に従って交戦を避けて退避した(ベルリン作戦)。ラミリーズの無言の勝利である(ただし、両艦はその後他船団を次々と襲い、大戦果を挙げて無事帰国している)。その後、5月のドイツの大型戦艦ビスマルク追撃戦では、デンマーク海峡で巡洋戦艦フッドが撃沈された後(デンマーク海峡海戦)、ラミリーズはニューファンドランド島の東方でビスマルクの西南に位置しており、このままビスマルクが大西洋で通商破壊作戦を継続すれば、ラミリーズがビスマルクを迎え撃つことの出来る唯一の主力艦であった。ラミリーズは船団護衛を離れてビスマルクを迎撃するよう命令を受けたが、ビスマルクはフランスに向かって反転したため、遭遇することはなかった。1942年3月には、インド洋で日本軍の進撃を迎え撃つために急遽再建された東洋艦隊に配属されたが、ラミリーズを含む艦隊主力は日本艦隊との交戦を避けて退避した。5月、マダガスカルのディエゴ・スアレス攻略作戦(アイアンクラッド作戦)に参加。作戦後大半の艦船はディエゴ・スアレスを離れたが、ラミリーズはディエゴ・スアレスに留まっていた。5月29日に日本の潜水艦伊10搭載機がそれを発見し、それを受けて伊16と伊20が特殊潜航艇を発進させた。5月30日に湾内に侵入した特殊潜航艇は雷撃に成功し、ラミリーズとタンカーに魚雷を命中させた。ラミリーズは左舷のA砲塔前部に被雷し、前部15インチ砲の弾薬庫などが浸水したが、機関は無事であった。ラミリーズは応急修理を受けた後ダーバンへ向かった。ダーバンには6月9日に到着し、そこで修理を受けた後9月にはイギリスへ向かい、修理された。この間弾火薬庫の上面に2インチの装甲を追加され、対空装備を増設された。ラミリーズが再就役したのは1943年5月のことであった。1944年6月のノルマンディー上陸作戦では、艦砲射撃による支援を行った。ラミリーズはソード・ビーチ正面を担当し、作戦期間中に1002発の15インチ砲弾を発射した。途中ドイツ軍によって雷撃や爆撃を受けたが被害を受けず、わずかに陸砲の射撃によって軽微な損害を受けただけだった。その後南フランス侵攻作戦でも艦砲射撃を行った。1945年1月には予備役となり、翌年売却され、1949年にスクラップにされた。

出典:wikipedia

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