株式会社米子銀行(よなごぎんこう)は、日本の鳥取県米子市にかつて存在した普通銀行である。明治20年代(1887年 - 1896年)には、米子で銀行と称すべきものは第八十二国立銀行米子支店が一行あるだけであったので、各種企業の発展のためには地元に本店を持つ銀行の創設は必須の要件であった。そのような時代の要請から県下で初めての普通銀行として創設されたのが、明治27年(1894年)2月19日に東倉吉町三十二番地に開店した米子銀行である。当初の資本金10万円、初代役員、頭取坂口平兵衛、取締役野坂茂三郎、名島嘉吉郎、衣笠光遠、監査役松村吉太郎、門脇重雄、住田善平であった。開業当時の営業種目は、貸付金、諸預り金、手形割引、送金為替、振出手形、荷為替などで、明治27年(1894年)末の預金3万円、貸出金8万円であった。また為替取組先は、現在、山陰合同銀行に保存されている「為替取組先下札」によれば、山陰全域、山陽各地、北九州方面、近畿一円、四国の一部、北陸の一部、東京、朝鮮(釜山)など約60ヵ所であった。『鳥取県史』近代、経済篇は、「米子銀行の株数2000株の大部分が坂口平兵衛を中心とする同族一門の出資であったところから、“米子銀行は坂口家の事業の機関銀行であった”といっても過言でない」と記している。昭和16年(1941年)に松江銀行と合併し山陰合同銀行となった。元米子市長野坂寛治によれば「合同銀行米子支店は、元米子銀行本店の建物で、播磨屋呉服店跡に建った。」という。同行創立前後の状況について、大正9年(1920年)発行の新築記念株式会社米子銀行営業案内は次のように述べている。
出典:wikipedia
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