レッドスパーダ (") は日本の競走馬、種牡馬。東京サラブレッドクラブにおける募集価格は9.5万×400口の3800万円。馬名の「スパーダ」はイタリア語で「剣」。2008年、父タイキシャトルと同じく藤沢和雄厩舎に入厩。11月15日に東京競馬場で行われた父の得意距離でもあった芝1600メートルの新馬戦でデビュー。父への騎乗経験もある横山典弘が騎乗し、2番人気で逃げ切り勝ちを収めた。1か月後のひいらぎ賞(中山芝1600メートル)では、スタートで出遅れてしまい後方からの競馬で、出走16頭中最速の上がりだったものの5着に終わった。年が明けての3歳初戦は、2月14日の500万下条件戦。新馬戦と全くの同条件で3番人気に支持され、好位から抜け出して2勝目を挙げた。次走に陣営が選んだのは皐月賞トライアルでもあるスプリングステークス。レースでは好位追走から直線でも粘ったが、アンライバルドに差され2着に敗れた。GI初挑戦となったNHKマイルカップ。同一条件で2戦2勝という成績もあり5番人気に支持された。レースは、道中ゲットフルマークスとジョーカプチーノが後続を大きく突き放し、離れた3番手集団を進んだ。直線では好位から33秒台の脚を見せたものの直線半ばで先頭に立ったジョーカプチーノを捉えられず2着。夏の間は休養に出され、復帰緒戦は富士ステークス。東京マイルの実績もあり、初の古馬混合戦ではあったが1番人気におされた。しかし、前走から22kg増と余裕残しだったこともあってか、15着に敗れた。続く鳴尾記念では、横山典弘がサンライズマックスに騎乗したため、内田博幸が騎乗して出走。果敢に先行したものの粘れず5着に終わった。明けて4歳となり、オープン特別のニューイヤーステークスから始動。好位からエーシンフォワード以下を抑えて11ヶ月ぶりの勝利。続く2週間後の東京新聞杯でも同様に好位追走からトライアンフマーチ以下をおさえて優勝。初の重賞制覇を飾った。その後、初のダート戦となるフェブラリーステークスに出走したが、エスポワールシチーの12着と大敗した。休養をはさんで12月の阪神カップでは果敢にハナに立って逃げたが、直線でキンシャサノキセキに交わされクビ差の2着に敗れた。オーシャンステークスから始動。2番手を追走し、直線で一旦先頭に立ったがダッシャーゴーゴーとキンシャサノキセキに交わされ3着。高松宮記念では4・5番手を追走が直線で伸び5ず5着に敗れた。休養をはさんで11月のキャピタルステークスで復帰、2番手追走も直線で伸びを欠き6着。2013年1月13日の中山のニューイヤーステークスで約1年2ヶ月ぶりに復帰した(4着)。そして4戦挟んで東京のパラダイスステークスで東京新聞杯以来約3年ぶりに勝利すると続く関屋記念でやはり東京新聞杯以来の重賞2勝目を飾った。秋は毎日王冠から始動し、7番人気ながらも勝ち馬エイシンフラッシュと0.2秒差の4着と見せ場を作った。続いて天皇賞・秋に出走するも17着と大敗。年内はこれが最後の出走となる。前走の天皇賞から約3ヶ月半の休養を経て前年に勝利を収めた東京新聞杯に出走し13着と大敗。続いて5歳時に3着に入った実績のあるオーシャンステークスに出走すると、9番人気という評価ながら3年前と同じく3着となり次走の高松宮記念では18頭立ての最低人気で、勝ち馬のコパノリチャードから2.5秒離された17着であった。続いて出走した京王杯スプリングカップでも10番人気と低評価であった。レースは前走の高松宮記念を制したコパノリチャードが好スタートから逃げを打つなか、同じくレッドスパーダもスタートが良く2番手を追走する展開となる。直線コースに入っても上位2頭の位置取りは変わらずも残り400メートルを通過したあたりでコパノリチャードが急に失速。しかし、レッドスパーダは脚色が衰えることなく先頭に躍り出て好位を追走していたクラレントも迫ってくるがそれでも勢いは止まらず後方から追撃する馬も馬も届かずそのまま先頭でゴールを切り、8歳にして重賞3勝目、初のG2競走制覇を飾った。2着のクラレントとは1馬身1/4差の完勝であった。9月に右前脚屈腱炎を発症していることが発表され、9月24日付けで競走馬登録を抹消された。引退後はアロースタッドで種牡馬となる。
出典:wikipedia
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