徳王稲荷社金刀比羅社(とくおういなりしゃ ことひらしゃ)は、愛知県岡崎市に鎮座する神社。通称、徳王神社(とくおうじんじゃ)とも言う。岡崎市中心部の西中町に鎮座し、徳王稲荷社と金刀比羅社の2社を合祀している。両社とも1945年の岡崎空襲により焼失し、1967年に合祀する形で新たに建立された。境内には藤棚があり、毎年4月下旬から5月下旬にかけて「藤まつり」が開かれる。徳王稲荷社は、1507年(永正3年)に今川氏親の発願により、稲熊の郷石山の地に稲荷大神が勧請されたのを起源とする。1893年(明治26年)1月3日に両町に移転し、同年1月26日に徳王稲荷社に改称された。1920年(大正9年)4月12日には村社に列せられ、7月9日に神饌幣帛料供進神社に指定された。1920年(昭和20年)7月20日の岡崎空襲により社殿が焼失した。一方の金刀比羅社は、建保の世(1215年頃)に本間三郎重光の臣伴隼人、北野天神の祠官として奉仕したのが起源とされている。永禄の世(1560年頃)に両町に住む伴孫太郎が徳川家康に弓弦を献じたことにより、弦指屋敷と称せられ、徳川家康も射的のために訪れたとされる。1813年(文化9年)10月に伴氏屋敷内に事比羅大神を奉祀、後に中町に移転した。1945年7月20日の岡崎空襲により社殿や藤棚が焼失した。 1967年(昭和42年)、徳王稲荷社・金刀比羅社の合祀が決定し、元金刀比羅社境内に新社殿を造営した。1945年7月20日の岡崎空襲により徳王稲荷社・金刀比羅社の両社殿、藤棚が全て焼失した。1967年に徳王稲荷社・金刀比羅社の合祀により元金刀比羅社境内に新社殿が造営された。その工事に伴い、境内の片隅に根だけ焼け残り蔓を伸ばしていた径5㎝ほどの藤3株を移植し、棚を設け大切に育てると、奇跡的に往古を偲ばす170㎝を超す長藤が復活した。毎年4月下旬には「東海道一の長藤」と讃えられる「こんぴらさんの藤まつり」が行われる。 5月上旬までは夜間照明が施される。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。