クリス・スレイド(Chris Slade、1946年10月30日 - )は、イギリス、ウェールズ出身のロックドラマー。ウェールズ南部のグラモーガン()地方ポンタプリーズ()出身。スレイドは1963年よりトム・ジョーンズのバック・バンドで活動。1969年にはオリビア・ニュートン=ジョンとともに映画『"』(1970年公開)の作中バンドToomorrowに参加するが、映画およびサウンドトラック・アルバムには不参加となり、カール・チェンバースがスレイドの後任を務めた。1971年から1978年までは、マンフレッド・マンズ・アース・バンド()のメンバーであった。1980年より2年間ユーライア・ヒープに在籍し、その後ゲイリー・ニューマンのアルバム『アイ・アサシン』のレコーディングおよびツアーに参加。1984年にはデヴィッド・ギルモアのツアーに参加するが、ギルモアから参加依頼を受けた直後にジミー・ペイジの新バンドにも勧誘され、ギルモアのツアー終了後にペイジと合流。ペイジ、ポール・ロジャース、トニー・フランクリンと結成された新バンドは、スレイドの案によりザ・ファームと名付けられ、1986年まで活動。1989年、ゲイリー・ムーアのアルバム『アフター・ザ・ウォー』に伴うツアーのリハーサル中にコージー・パウエルが離脱し、スレイドが代役としてツアー・ドラマーを務めた。スレイドが最も注目を浴びたのは、1989年に、オーストラリアのハード・ロック・グループAC/DCから、サイモン・ライトの脱退を受けて、バンドへの参加を求められたときだったといえるだろう。ヤング兄弟(アンガスとマルコム)は、当初はスレイドを一時的な代役として雇い、やがて次のアルバムのレコーディング中にバンドの正式メンバーとなることを求めた。スレイドはアルバム『レイザーズ・エッジ』と、それを受けてのツアーに参加した。しかし、4年後、ヤング兄弟は、自分たちのスタイルのロックにぴったりの「グルーヴ」を出せる、として元メンバーのフィル・ラッドを復帰させることにし、スレイドに離脱を求めた。AC/DCを離れたスレイドは、数年間、イギリスの田舎で生活していたが、プログレッシブ・ロック・グループのエイジアのジェフ・ダウンズからバンドへの参加を求められた。最終的に2005年9月に脱退するまで、スレイドは6年間エイジアに在籍した。その後は、Chris Slade Steel Circle "CS/SC" という、AC/DCのトリビュート・バンドを率いる一方、セッション・ドラマーとしても活動していた。しかし、2014年にフィル・ラッドが不祥事により逮捕されたのを受け、2015年2月の第57回グラミー賞授賞式よりラッドの代役としてAC/DCに再加入し、その後のワールド・ツアーにも参加。トム・ジョーンズ トム・パクストン ()マンフレッド・マンズ・アース・バンド ()テラ・ノーヴァ (Terra Nova)カイ・オルソン (Kai Olsson)フランキー・ミラーユーライア・ヒープゲイリー・ニューマン ()デニー・レインザ・ファームAC/DCエイジアブラッドストック (Bloodstock)ダメージ・コントロール (Damage Control)
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。