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ブラック・ジャック

『BLACK JACK』(ブラック・ジャック)は、手塚治虫による日本の漫画作品。『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)にて1973年11月19日号から1978年9月18日号にかけて連載したのち、1979年1月15日号から1983年10月14日号にかけて不定期連載された。全242話。略称はB・J。無免許ではあるものの、唯一無二の神業ともいえるテクニックにより世界中に名を知られる、天才外科医ブラック・ジャックを主人公に、「医療と生命」をテーマにそれぞれ据えた医療漫画である。「漫画家生活30周年記念作品」「手塚治虫ワンマン劇場」という煽りで、手塚治虫のスター・システムによるオールスター出演がウリの作品であり、短期間で終了する予定だった(後述)が、定期不定期合わせて10年近く続く長期連載作となり、単行本の発行部数は手塚の他作品を大きく引き離す、まさに代表作となった。読み切り連載形式になったのは、編集長の壁村耐三の編集方針であり、当時の『週刊少年チャンピオン』の連載作品すべてに適用されていたが、読み切りでないと手塚が流す回をやることから、それを防ぐためという話もあった。『週刊少年マガジン』で連載した『三つ目がとおる』とともに、手塚治虫の少年漫画における1970年代の最大にして、少年漫画家としては最後のヒット作である。また、本作品によって現代まで続く「医療マンガ」のジャンルが形成されるきっかけになった金字塔でもある。1960年代終盤の劇画ブームや『週刊少年ジャンプ』の新人発掘路線の影響をまともにうけた手塚治虫は、ヒューマニズムを描く古い漫画家というレッテルが貼られ、得意にしていた少年漫画の分野でヒット作品を出せなくなっていた。手塚本人が言う「冬の時代」(1968年-1973年)であり、少年誌での連載が激減し、読み切りが増加。少年誌において実験作を執筆したり、青年誌に進出するなどして方向性を模索するが、1970年には青少年向けの性教育を意図して執筆した『やけっぱちのマリア』が糾弾を受け、1973年には虫プロ商事と虫プロダクションが倒産し、まさにどん底にいた。そんな中『週刊少年チャンピオン』編集部は、手塚に漫画家生活30周年記念作品(ただし、1973年当時手塚はデビュー28年目である)として「かつての手塚漫画のキャラクターが全部出る作品」の企画を依頼する。編集部内で『週刊少年チャンピオン』編集長の壁村耐三が担当編集者の岡本三司に「死に水をとろうか」と相談をもちかけたくらいの状況に追い込まれていた手塚はこれを了承する。手塚は以前に『鉄腕アトム』「ひょうたんなまず危機一発」(1965年)において同様のスターシステムでのオールスターを執筆していた。間もなく、かつての手塚漫画のキャラクターが次々にブラックジャックという外科医にかかるという大体のプロットが出来上がる。ブラックジャックというキャラクターには医学生だった頃の手塚自身が反映され、また劇画ブームに対抗する(あるいは取り込む)意味でアウトサイダー的な存在として描かれた。『手塚治虫漫画40年』(秋田書店)によると「手塚漫画は正義の味方的な主人公が多いので、あえて、アウトサイダーな男の生き様を子どもにもわかるように描こうと考えた」。初期構想ではブラックジャックはあくまで狂言回しであり、メインはオールスターの方にあった。連載が安定化した後も時々ブラックジャックが狂言回しになるのはこのためである。担当編集者の岡本によると「最初の予定では、4・5回連載して最後は無人島でエンディング…」「一種のバラエティ番組的なニギヤカシ作品のはずだった」ことからあまりやる気が出なく、手塚にタイトルが決まったか聞いた際にブラックジャックと言われ「先生、サブタイトルじゃなく本タイトルを教えてくださいよ」と失言するくらいのゆるい扱いであり、いざ連載が始まっても、巻頭カラーもなく、地味な扱いが続いた。連載開始時人気は低くほぼ最下位であり、担当編集者の岡本は編集長の壁村から「どうする?」と聞かれ困ったというが、その後、じりじりと順位を上げ、50話「めぐり会い」で2位に浮上、以降軌道に乗った。なお、『週刊少年チャンピオン』編集長の壁村耐三は反応がなければ3回で辞める約束だったともいい、手塚自らが「これが最後」と持ち込んだ企画だったとも証言しており、編集者と編集長という当事者同士の間で話が全く食い違っている。なお秋田書店自体は前述の『手塚治虫漫画40年』で、編集部が企画を持ち込んだ説を取っている。当時の『ドカベン』『がきデカ』『マカロニほうれん荘』といった超ヒット作には及ばなかったものの、10年間にわたり安定して柱となり、『週刊少年チャンピオン』の黄金時代を支えた。「人生という名のSL」で定期連載は終了するが、その後も『週刊少年チャンピオン』誌上で散発的に13本発表された(最終作品は「オペの順番」)。手塚の息子である手塚眞によると、誰にも立ち入りを許さなかった手塚の仕事部屋に、担当編集者が無断で入ったことに怒った手塚が連載終了を宣言したという。これとは別の理由として、ロボトミーの描写に関する抗議事件の後、医学的な整合性について指摘を受けて描きづらくなったことを生前の手塚が書き残している。単行本は秋田書店の少年チャンピオン・コミックスにまとめられたのが最初で、その後も愛蔵版や手塚治虫漫画全集にも収められ、文庫版はミリオンセラーを達成し、1994年から始まった1990年代のマンガ文庫のブームの火付け役になった。単行本は新書版・文庫版・ハードカバー等を含めた発行部数が日本国内で4564万部、全世界で1億7600万部に達している。アメリカでは1995年からVIZ社が発行した月刊漫画雑誌『MANGA VISION』に連載された。本作には、医学的リアリティと大胆なフィクションが並存しているが、これは医学的事実よりも物語性を優先した、手塚の作劇術の一環である。異星人やミイラ、幽霊、感情を持つコンピュータを手術するなどという突飛な設定の話も存在する。架空の病気も登場したほか、ブラックジャックやピノコの医学的設定も現代の医療技術をも超越している。ブラックジャックがスターシステムで登場する別作品『ミッドナイト』では、ブラックジャック本人に人間の脳交換手術について「その様な事は漫画だから可能だ」と言わせている。手塚治虫自らが語る所によると、当時東大医学部の学生から嘘を書くなと抗議の手紙をもらったとの事である。それに対して手塚は、東大生ともあろうものが、漫画に嘘があることすら知らないのかとコメントしている。手塚は医師免許を持ってはいたが、医学的知識は昭和20年代(1945年から1954年)にとどまっており、外科医としての臨床経験がほとんどなかった。ブラックジャックの連載に当たり、医学書を買い込み独学したり、医療関係者に取材してはいたものの、劇中で治療困難な症例として扱われているものが、実際には連載当時の医療技術でも治療可能な症例であるというミスや、医学用語のミスを多発していた。中でもロボトミーに関する描写では糾弾を受け、新聞に謝罪文を掲載、連載中止の話まで出たという。同時期に発表された医療漫画では、執筆時点での最新の知識を取り入れた『夜光虫』(柿沼宏・篠原とおる)なども存在するが、手塚は自らの作劇術を崩さなかった。手塚は「ブラック・ジャックは医療技術の紹介のために描いたのではなく、医師は患者に延命治療を行なうことが使命なのか、患者を延命させることでその患者を幸福にできるのか、などという医師のジレンマを描いた」としている。第28話『指』は第227話『刻印』として改稿された(扉絵もそのまま流用だが背景にビルが描き足されている)ため、完全な状態での原稿は残っていない。また、第180話『土砂降り』は第179話『メス』の続編であり、単行本では『土砂降り』として1つにまとめられている。唯一、第113話の後で増刊号に掲載された『U-18は知っていた』だけはナンバリングされていない。連載終了後の読切全13話も雑誌掲載時はナンバリングされていなかったが、連載に続けてのカウントが通例となっている。第9話・第67話・第224話は2回、第238話は4回にわたり雑誌に掲載されて完結した話であり、雑誌発表時の全扉絵が完全収録されている書籍は秋田文庫『「BLACK JACK」IllustrationMuseum』(2001年/秋田書店)のみである。第188話『肩書き』内の台詞に登場する「J大学の鈴木教授」は実在の人物で、マンガの執筆当時に順天堂大学医学部胸部外科教授だった鈴木章夫である。★の後ろの数字は未収録話の数、※の後ろは愛称。単行本「1」から「8」の内、中心となる「1」「2」「4」「7」の各収録話は上の「各話タイトル」項を参照のこと。その他収録話を書くと、「3」「6」は「4」の秋田文庫「BLACK JACK」全17巻と同じ、「5」は「2」の手塚治虫漫画全集「ブラック・ジャック」全22巻と同じ。「6」・「7」・「8」は概ね雑誌発表時の順番通りに収録されているブラックジャックの容姿や手術シーンの描写などが影響してか、単行本化の際、少年チャンピオンコミックス8巻までは“恐怖コミックス”に分類されていたが、9巻以降は“ヒューマンコミックス”に改められた。単行本収録の際には差別用語など表現上の問題で一部セリフの改変がある。とくに第46話・第67話・第153話の設定変更は、その印象を大きく変える。2011年発行の冊子「まんだらけZENBU」第51号には、初出と「2」に収録のものとの差異が掲載されている(第67話と第85話を除く)。「1」の第4巻に初版から1977年頃の版まで収録されていた第41話『植物人間』は、のちに第70話『からだが石に…』に差し替えられた。その『植物人間』や第58話『快楽の座』の単行本収録が難しくなったのは、精神外科手術を取り扱っていたことから精神科医や精神外科手術反対の市民団体からのクレームがあったためとみられる。なお、実際にクレームがついたのは1977年、第153話『ある監督の記録』であった。この話では、脳性麻痺の患者の脳に電気刺激を与える手術に「ロボトミー」の語を使用しており、実際のロボトミー手術とは異なる描写が「ロボトミーの美化」であるとの抗議を脳性麻痺障害者団体とロボトミー被害者支援団体から受けた。これに対し秋田書店と手塚治虫は抗議グループとの話し合いで謝罪し、更に謝罪文を全国紙5紙に掲載した(1977年2月10日)。また、後に第153話を『フィルムは二つあった』と改題して単行本に収録する際には、脳手術の場面を別の病気(デルマトミオージス)の手術に描き換えた。第41話と第58話に関しては直接抗議があったわけではないが、手術内容を変えても話が成立する第153話と違い、脳手術そのものをテーマとしていたために描き替えもできず、単行本収録を中止したのではないかとされる。これ以外にコンビニ売りの単行本として秋田書店からトップコミックスとトップコミックスワイドのシリーズが刊行されており、第209話『落下物』の単行本初収録はトップコミックス「ブラック・ジャック 医師の使命編」(2005年)、第171話『壁』もヤングチャンピオン増刊「ブラック・ジャック スペシャル」(2005年)に袋とじ掲載された後、トップコミックスワイド「ブラック・ジャック 死にゆくものへの祈り編」(2006年)に単行本初収録された。初出以来一度も書籍に再収録されていないものは第28話『指』(連載時に第227話『刻印』として改稿)と第58話『快楽の座』(連載時オールカラー掲載)のみで、必然的にこれら初出掲載誌の古書価格は非常に高騰しているが、ともに国会図書館には所蔵があるため閲覧は可能であり、国際児童文学館をはじめとした図書館では遠隔複写サービスを行っている。"アニメ版では病院で勝手に手術を行ったため医師免許が没収されたとあった。"ブラックジャックは無免許ではあるが、正規の医科大学で教育を受けており、医大時代からの友人の手塚、医大時代の恩師の山田野、医局員時代の同僚の如月めぐみなどが登場していることから、ブラックジャックは医大を卒業してインターンになっていたと思われる(1967年以前であるならインターンは医師免許を持っておらず、インターンを途中でやめた場合は医師国家試験の受験資格がなくなり医師免許を取得できなくなるため、如月めぐみの手術を行ったことでインターンを辞めたとすれば説明がつく)。執筆の背景には、『少年チャンピオン』編集部から劇画っぽさを要求された手塚が、黒マントや初期のニヒルな性格、残酷描写など劇画の影響を受けたキャラクター造形にしたことが指摘されている。かつての貸本劇画には黒マントをまとった殺し屋が定番であった。BJがアウトローになった理由は劇画を取り込んだからだというのである。しかし、長期連載になるに従い、無免許であることに理由が必要となり、以下の様な理由が付け加えられた。高額の手術料金を要求するのは、無免許であることと併せて作品を面白くするための設定と思われる。BJという名前から連想されるとおり、異端児であるが独自の倫理観を持つという主人公の二面性を、この2点で表現しているといえる。義賊のように「金持ちには高額な治療費を突きつけるが貧しい人には治療費を取らない」といったことはなく、貧しい人が依頼者であっても容赦なく高額な治療費を突きつける。要求する手術料は、相手の支払い能力の限界を呈示することが多く、その額は数百万円から100億円以上にまで及び、ほとんどの場合は元患者(金持ちの場合が多い)が債務を負うことになる(もちろん、支払いを拒む者もいる)。しかし、特に依頼者が貧乏な場合には「●月×日までに」といった支払期限を設けることはほとんどない。その理由は作中に語られることはないが、患者の治療への意思の強さを試すためとみられている。また、依頼者が「一生かかってでも」と言い、全部支払おうと努力する姿に「それが聞きたかった」とつぶやいたり、かつて瀕死の重傷から過酷なリハビリを経て復帰を目指していた当時の自分を重ね、普段は隠されている人間の精神的な強さ(底力)を信じたい気持ちが表れているともいえる。その一方、稀ではあるが「1000円に負けてやろう」と言って治療代をたった1000円としたり、「手術料の代わり」としておもちゃの風車を受け取るなど、治療費をタダ同然にしたこともある、高額の手術代を払えない立場の者に対して免除する場合が多いが、本人が慈善行為で免除すると明言したことは一度もなく、あくまで気まぐれという態度を取っている。端的な例としては、3,000万円の小切手を紛失した患者の夫に対し、手術代の代わりとして無茶な内容の契約書を作らせたが、その後にわざと契約書を落として警察に遺失物として届出したことがある。また、他の医者が「自分以外にこの手術は出来ない」と豪語し、BJの医者としてのプライドを傷つけたりした際にも、挑発相手に対する返礼として無料で難手術を行ったりもしている。そのほか、一度高額の手術料を受け取ったあと、全額またはほとんどの額を依頼者に返したこともある。『未知への挑戦』では地球人から攻撃を受けて地球に不時着した宇宙人を手術し、高額の手術料を請求したが、宇宙人に「紙幣」の概念がうまく伝わらなかったため、100ドル札を見本として見せ、それを2000枚(20万ドル)持ってくるよう要求したところ、その紙幣をそっくりそのままコピーされてしまい、全て同じ番号で汚れやシワまでも全く同じ紙幣だったのを気が付かずに手術料として受け取った後、紙幣偽造の疑いをかけられて投獄されてしまう。紙幣を知らず悪気のない宇宙人の仕業だけに、これにはBJも苦笑するしかなかった。義理堅い性格であり、恩を受けた際にその謝礼として手術をする場合もある。『オオカミ少女』では、ヨーロッパ某所の国境の雪山で凍死しかけたところを1人の少女に救われ、彼女の先天的な口腔および唇の障害を手術して完治し、助けてもらった礼の意味も込めて治療費を取らない旨を伝えて去っている。病理学研究にも旺盛であり、珍しい症状の患者の手術を、実質無償で引き受けた(患者の体内から摘出した病巣を、手術代の代わりに貰い受けた)こともある(ただし、この時は寄付をねだる男につきまとわれており、手術料の半額を寄付すると約束させられたという事情もあった)。気まぐれに野生動物の手術も行うことがあり、当然ながら手術料は取れない。『シャチの詩』では診療所を設けて最初にやってきた患者のシャチのトリトンに対し、「特別サービスで治療費は負けてやるぜ」と言っている。数日後、トリトンは海から真珠をくわえてきて治療費代わりにBJに渡しているが、トリトンが人間に危害を加えていたことを知ったBJは、再び負傷したトリトンを治療しなかったうえに真珠も受け取らず、見捨てている。なお、手塚作品のスターシステムをとったテレビアニメスペシャル『海底超特急マリンエクスプレス』でも、BJが通りがかりに瀕死の男性(伴俊作)を発見して手術し、その費用を本人に請求するために同行する形で、物語が始まっている。治療費の使い道に関しては「無免許医は医療器具を正規ルートで買えないので必要経費が高くつくのではないか」との説がある。作中でBJは自分のメスを名高い刀匠に手入れしてもらっており、数千万円の報酬を渡している(刀匠はその紙幣を炉の燃料として使用している)。さらに、ガラス製のメスや緊急手術の為の閉鎖型透明テント(絶縁体製で「ビニールケース」と呼ばれている)など特殊な器具も多数所有しているほか、オリジナルの人工心臓を製作したこともある。また、謎のルートで移植用の死体などを調達している場面もあり、それらにも多額の費用を支払っているものと思われる。作中で判明している物では、以下が挙げられる。2004年10月のテレビアニメシリーズ放送開始に合わせ、秋田書店の各漫画雑誌にて複数の漫画家による『ブラック・ジャック』のリメイク作品が読切形式で掲載された(『週刊少年チャンピオン』のみ月1回掲載)。また、『週刊少年チャンピオン』創刊40周年・手塚治虫生誕80周年記念企画として、2009年及び2010年には『週刊少年チャンピオン』にて吉富昭仁の作画によるbjリーグとのコラボ作品が数度掲載された他、宮崎克作・吉本浩二画による連載当時の製作秘話を描いたドキュメンタリー漫画『ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜』など、『ブラック・ジャック』の特集企画も行われた。以下の表は作品名・掲載誌・執筆した漫画家の一覧である。リンクのある作品の詳細については、リンク先を参照。京都駅ビルの中にある手塚治虫ワールド内(現在は既に閉館)のみで上映。原作ストーリーからは『おばあちゃん』を採用。京都にまつわる歴史的なエピソードを紹介するアニメーションとの2本立てという形で 上映され、その2本を火の鳥がストーリー・テラーとなってつないで行く、という構成。作画監督、演出、共に西田正義。音楽はKARTE6以降のOVA版と同様に、川村栄二による劇伴を使用。上映後は『平安遷都(へいあんせんと)』という京都の歴史を紹介したアニメが流れる。アメリカでも AZN TV で放送されている。しかしBJ21とは違うバージョンで、こちらは約45分。絵も内容やストーリーもすべて大人向きになっている。台湾と香港でもアメリカとは違い、アニメ版だけではなくテレビドラマ版(本木版)も放送された。1994年上演。2013年2月上演。2008年宝塚ソリオホールで初演ブラックジャックのお天気ドクター - 東京電力の子会社・株式会社ウェザーラインが、手塚プロダクションと組んで始めたiモード向け天気予報サイト。ブラック・ジャック本人を案内人としたもの。無料サイトと有料サイトがあり、有料サイトの手続きをする際には「いただくものは、いたたくぜ」と表示されていた。2004年、ウェザーラインが株式会社ライフビジネスウェザーに営業譲渡する際に終了。医療漫画という新ジャンルを開拓し、アウトローの天才的プロフェッショナルを主人公とする一話完結の職業漫画のスタイルを確立した。手塚自身も『七色いんこ』(演劇界)という類似スタイルの作品を発表している。代表的な作品を以下に挙げる。医療漫画というジャンルの代表作とされ、強い影響下にある漫画も多い。この作品をきっかけに、医学の道へ進んだ者も多い。漫画『ブラックジャックによろしく』(2002年-2010年)でタイトルに使われる(BJは内容には直接関係しない)、実在する優秀な外科医にブラックジャックの愛称が用いられるなど、近年では作品の知名度の高さからBJのキャラクター自体が一人歩きし、神業の天才外科医の代名詞となっている。1998年、ドクター・キリコを称した男が自殺志願者にネット上で青酸カリを密売した通称「ドクターキリコ事件」が発生、社会問題となった。2003年、東京都の男性が単行本未収録の話や単行本で改変された話の雑誌版など10話を集めて自作した、架空の少年チャンピオンコミックス版26巻をネットオークションに1冊10万円で出品して著作権侵害で摘発され、罰金30万円の有罪判決を受けた。

出典:wikipedia

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