エレナ・ムヒナ(Елена Мухина/Elena Mukhina:1960年6月1日 - 2006年12月22日)は、ソビエト連邦の元女子体操競技選手。父とは離別、さらに5歳で母とは死別(火災による)し、祖母に育てられた。1976年、ソ連国内のジュニア大会で優勝するが、同年のモントリオール五輪の代表選考には間に合わなかった。1977年、ソ連国内だけでなく、欧州選手権でも活躍。欧州選手権では、種目別で3つの金メダル、個人総合で銀メダルを獲得。翌1978年、初出場した世界選手権ストラスブール大会において個人総合優勝。なお、表彰台はソ連勢が独占した。他にも団体総合・種目別ゆかでの2つの金メダル、種目別での2つの銀メダルを獲得した。低年齢化・アクロバット化が進んでいた当時の女子体操界では、やや遅咲きの18歳だった。1980年には怪我も重なり、春のソ連選手権では9位にとどまった。そのため練習に打ち込んだ結果、直前に負傷。同年7月8日、オリンピックソビエト連邦選手団筋から、段違い平行棒の練習中に負傷し、モスクワ五輪出場が絶望になったと発表がされた。当初、ソ連側はムヒナが五輪を欠場する旨のみ発表し詳細を伏せたため、一時は死亡説が流れたり、事故の原因も様々な説が広がった。また、同年11月には、ムヒナが手術の結果「座ることができ手を動かす機能も回復しつつある」とし、今後もリハビリを続け歩行機能回復を目指すと発表した。しかし実際には、1980年7月3日、床運動でトーマス(:w:Thomas salto)を練習中にあごから落下。脊髄損傷という重傷で、その結果、四肢に身体障害を負っていた。その後、トーマスは女子の禁止技となった。彼女には、ソ連政府や国際オリンピック委員会(IOC)から勲章が与えられた。1984年に大学を卒業した。2006年に死去。死因は公表されていない。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。