中村 耕一(なかむら こういち、1951年2月15日 - )は、日本のミュージシャン。北海道出身、元JAYWALKのメンバー(ボーカル、ギター担当)。北海道出身。函館で音楽活動開始。1980年、J-WALK(現・THE JAYWALK)結成とともに参加。1981年にデビュー。1993年、当時のヒット曲『何も言えなくて…夏』で第44回NHK紅白歌合戦に出場した。2011年3月10日を以て、結成から30年在籍したJAYWALKを脱退した。中村在籍時のJAYWALKは、彼の風貌や一部の曲の曲調から「和製 Alabama」と称されることがあった。2010年3月9日、中村は東京都港区西麻布の路上に止めた乗用車内で、覚醒剤を所持していたとして覚せい剤取締法違反(所持)で逮捕。同日、自宅の家宅捜索が行われ、他にコカイン・大麻・吸引器具2本が発見された。これにより、レーベル「3.14 records」の販売契約を結んでいたワーナーミュージック・ジャパンは契約を解除する旨と、2007年以降発売された商品を店頭から回収し、今後予定していたCDの発売も中止することを発表した。。さらに着うた、着うたフル、iTunesの音楽配信も中止となった。クラウン徳間ミュージック販売から販売されていた過去のアルバムも出荷停止となり、JAYWALKのすべての作品がCDショップ店頭から消えた。また、所属事務所は同年5月からの30周年記念コンサートツアーを中止すると共に、現時点で解散予定はなく、更生を何年でも待ちたいと表明した。これに伴い、4月3日にジュスカ・グランペール、FUNKY MONKEY BABYSと共に出演し奈良県吉野町で開催予定だった『さくらAIDチャリティーコンサート2010』も中止が決定。全員が謹慎することになった(公式サイト声明より)。5月12日、東京地方裁判所にて懲役2年、執行猶予4年の有罪判決(求刑は2年の実刑)。依存症治療と更生のため入院。2011年3月10日をもって、JAYWALKを脱退。このことに関連して、いくつかの事象が発生している。なお、中村の謹慎中は他のメンバー5人(知久光康ほか)がスペシャルユニット「JAYWALK5」として活動していた。逮捕から1年後の2011年3月10日付を以て、中村は、所属事務所であるフリーウェイと双方で協議した上、同社側が専属契約を解除するとともに、JAYWALKを正式に脱退した。奇しくもJAYWALK結成30周年の記念すべき年に不祥事を起こしたことにより、ファンに失望を与えただけでなく、残ったメンバー(知久ら)やスタッフも「このような結果となってしまい、とても悲しい想いでいっぱいです」とした。なお、中村本人も公式サイト内にて書面を発表し、脱退に至った経緯、事件への反省を表している。現在は判決後に通い始めたクリニックに通院しながら、社会復帰に向けて一日一日を大切に過ごしているという。そして「私の取り柄は音楽しかありません。いつまたみなさまの前で歌うことができるのかは分かりませんが、将来その日が来たときにはどうぞよろしくお願い申し上げます」と締め括った。中村脱退後の2011年5月27日、JAYWALKは新メンバー2名を迎えて再始動した。さらに6月1日には中村在籍時のJAYWALK最後のアルバムとなった30周年記念アルバム『WE ARE+FINAL BEST』が2枚組による1万枚限定生産で発売された。なお、同アルバム発売記念の広告およびスペシャルムービーにて『JAYWALK ボーカル 中村耕一 脱退 最後の歌声は、きっと最高の歌声』の大見出しがつくとともに、このようなメッセージが綴られている。2012年5月、三宅伸治のライブにサプライズ出演。 その後も三宅のブログで、ライブでの競演やレコーディングの様子が綴られている。2013年2月27日、三宅伸治プロデュースのアルバム「かけがえのないもの」をリリース、事実上のソロデビュー(形式上は再デビュー)である。きっかけは、ライブで競演した三宅が中村に「一緒に曲を書きませんか?」ということで、東京のスタジオで楽曲を制作し、名古屋でも1曲レコーディングを行い完成させた。同年2月15日と17日には、同アルバムのリリースを記念したライブが名古屋と東京でそれぞれ開催。2014年6月13日放送の爆報! THE フライデーに出演した。
出典:wikipedia
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