『ドラゴンクエストへの道』(ドラゴンクエストへのみち)は、監修:石ノ森章太郎、作画:滝沢ひろゆき、企画制作:エニックス出版局(現スクウェア・エニックス)による日本の漫画。ゲームソフト『ドラゴンクエスト』の製作過程を記録し、脚色を加えた作品。ファミリーコンピュータ用ソフト『ドラゴンクエスト』の製作に携わった人々の出会いから、ソフトの完成とその後に及ぶ話であり、本作品制作の際には、実際にソフトを作った堀井雄二・中村光一・すぎやまこういち・鳥山明が協力し、小説家の和智正喜が脚色した。1990年2月15日に『マンガ ドラゴンクエストへの道』という題名で発行された後、『月刊少年ガンガン』創刊(1991年3月)を経て、同年9月20日に単行本レーベル「ガンガンコミックス」にて再発行された。ガンガンコミックス版の発行にあたっては再編集がなされ、若干の内容が削除・変更された(詳しくは#改訂の節に記載)。1982年(昭和57年)、コンピュータゲームの制作に熱中する青年が2人、香川と東京にいた。高校3年生の中村光一と28歳の堀井雄二である。2人は翌年、ゲームのプログラミングを競う、第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストに入賞し、表彰式で出会う。彼らを引き合わせたのはコンテストの主催企業、エニックスとその社員である千田幸信だった。そしてこの年任天堂が発売したファミリーコンピュータは後に空前のブームとなり、エニックスもファミコンソフトの開発に乗り出すことになった。千田らが目指したのは一歩先の新しいゲーム、ロールプレイングゲーム(RPG)だった。『スーパーマリオブラザーズ』に代表され、1985年(昭和60年)当時ファミコンソフトの主流だったアクションゲームに比べ、RPGはプレイヤーに多くの数値や情報を判断させるため、子供たちが受け入れることの出来るRPGの製作というものは当時の大きな挑戦であった。彼らは次々に現れる困難を乗り越え、容量や納期と戦い、時には仲間同士ぶつかり合い、ひたすら子供たちのために考えを廻らせた。そうして最後の最後までこだわりぬかれて生まれたのが『ドラゴンクエスト』というゲームだったのだ。この作品の登場人物は、架空の人物や架空の人物像を含んでいる可能性がある。本作品は1990年に発行されたA5判の本(以下、オリジナル版)と、1991年に発行された単行本(以下、コミックス版)の2種類があり、細部が異なっている。以下『ドラゴンクエスト』およびエニックスに関する項目
出典:wikipedia
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