杉本 正(すぎもと ただし、1959年5月3日 - )は、静岡県駿東郡小山町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。娘はLinQのメンバーである杉本ゆさ。御殿場西高校卒業後、大昭和製紙へ入社。の第51回都市対抗野球大会ではチームの優勝に貢献し、最優秀選手の橋戸賞を受賞している。同年のドラフト会議で西武ライオンズから3位指名され入団。初登板(対日本ハム戦)を完封で飾ると以降は先発ローテーションとして活躍。同年8月22日の対南海戦(上越市高田公園野球場)では4イニング1/3で降板したものの試合が6回で降雨コールドとなり西武が勝利し、公認野球規則10.17b項(勝利投手の規定)の適用外となり5イニングを投げきらないままで勝利投手となった。キャンプイン直前に田尾安志との交換トレードで大石友好とともに中日に移籍。12勝するも13敗喫している。翌に新監督の星野仙一に開幕投手に指名され巨人戦に先発するも吉村禎章、駒田徳広にホームランを打たれ、敗戦投手になっている。チームが優勝したは6勝6敗、1988年の日本シリーズ(対西武戦)では古巣相手に第4戦で先発するが4回途中3失点で敗戦投手。は3勝4敗に終わる。から登板が減り、途中に山内和宏との交換トレードで高島覚とともに西武時代の先輩田淵幸一が監督を務めるダイエーへ移籍。1993年は登板なしに終わり戦力外通告を受け同年限りで現役を引退。現役時代、日本シリーズには先発で5回登板しているが成績は0勝1敗に終わっている。中川充四郎によると杉本は1982年の球宴前に全パの監督大沢啓二に懇願して監督推薦でオールスターゲーム初出場を果たしたとされている。1987年のオールスターゲームでは石毛宏典に3ランを打たれ敗戦投手。引退後はRKB毎日放送解説者()を経て、ダイエー( - ・ - 二軍投手コーチ、 - 一軍投手コーチ)、西武( - ・ - 一軍投手コーチ, 二軍投手コーチ)、横浜(一軍投手コーチ)、起亜(一軍投手コーチ)、楽天(編成部スカウト)でコーチ・スカウトを歴任。2008年は特に怪我者が多く投手陣が低迷し、チーム防御率が1点近く悪化したこと(チーム防御率4点台は2004年以来4年ぶり)が12年ぶりの最下位の一因となり、この年限りで解任された。救援防御率は4.42と低迷、12球団最下位だった。当時楽天の監督だった野村克也は「杉本がマウンドに行くとホークスの投手はよくストレートを投げるからそれを狙えと指示している。彼はダメコーチ」と酷評していた。2007年 5月31日、巨人との交流戦で矢野謙次に代打逆転満塁ホームランを打たれた際、評論家の豊田泰光に「稚拙な継投」、「投手の起用法も酷いし、指導力があるとは思えない」と酷評された。2009年からは横浜ベイスターズの一軍投手コーチに就任したが、前年同様セ・リーグ唯一の4点台となるチーム防御率に低迷し一年で解任された(被安打1326,被本塁打164,失点685,自責点612もリーグ最下位)。2010年からは前年優勝した韓国プロ野球・起亜タイガースの一軍投手コーチに就任したが、チーム防御率は3.92から4.39と低迷し7月23日付で二軍投手コーチに降格となり、チームも6位と低迷、一年で解任された。2011年、楽天編成部のスカウトに就任。2012年より、西武の一軍投手コーチとして復帰。同年はチーム防御率5位と低迷した。2013年は勝負どころの8月に投手陣が防御率5.23と崩れ、リーグワーストの被本塁打数を記録している。2014年より、二軍投手コーチに配置転換された。同年10月2日に来季の契約をしないことを通知された。からは文化放送の野球解説者、スポーツニッポンの野球評論家となった。
出典:wikipedia
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