北条 義宗(ほうじょう よしむね)は、鎌倉時代中期の北条氏一門。赤橋義宗とも称される。鎌倉幕府第6代執権・北条長時の嫡男。赤橋流北条氏第2代当主。叔父・北条時茂の没後、その後任として六波羅探題北方となった。着任早々の文永9年(1272年)に執権・北条時宗の命により時宗の異母兄・北条時輔追討を命じられ、二月騒動で討ち取る。同年には嫡子の久時が生まれた。建治2年(1276年)に鎌倉に下向、翌年評定衆に任ぜられるがまもなく没した。享年25。※日付=旧暦
出典:wikipedia
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