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東方神起

東方神起(とうほうしんき、韓:동방신기)は、韓国出身の男性デュオ。レコード会社兼芸能事務所のSMエンターテインメントに所属し、韓国や日本を中心に活動している。2003年の結成時から2010年までは5人組ボーカルグループで活動していたが、うち3人が所属事務所に対する訴訟を提起した事により、2010年4月、5人での活動が無期限休止され、翌2011年1月カムバック以降は2人で活動している。事務所を離籍した3人はグループ「JYJ」として活動。デビュー当初は「アカペラ・ダンスグループ」を自称していたが、現在はダンス・ボーカル・グループと紹介されるのが一般的。2003年に結成され、2004年1月に韓国で、2005年4月に日本でデビューし、以後両国を中心に活動している。グループ名は「東方の神が起きる」という意味で名付けられたものであり、漢字の通用する中国、韓国、日本を中心に世界に広く知られるグループになるようにという思いが込められているそうだ。公式のラテン文字表記は「TVXQ!」(ティー・ブイ・エックス・キュー。「TVXQ」「TVfXQ」とも)。これは「東方神起」の中国語読みをローマ字表記したつもりの「Tong Vfang Xien Qi」の頭字語から名付けられたものである。(実際には上海蘇州弁、湖南方言、ベトナム語以外の漢字音にVという音価が入ることはなく、中国共通語で正しくつづるとDFSQ: Dong Fang Shen Qiである。Vfangというのはミススペルである。)日本では、これに代わり日本語読みのローマ字表記「Tohoshinki」が使われている。メンバーはコーラス、アカペラ、ダンスをこなし、全員がメインボーカルを担当できる形式を採っている。また、一部楽曲では作詞・作曲・編曲も手掛けている。スタイル的にはユ・ヨンジンが生み出した「SMミュージック・パフォーマンス」(SMP) を継承し、ただH.O.T.と違い、俳優業も行っている。公式グローバル・ファンクラブの名前は「Cassiopeia」(カシオペア)で、これとは別に日本には「Bigeast」(ビギスト)という公式ファンクラブもある。グループカラー(応援色、風船色)は「パールレッド」。どのメンバーも、現在、「JYJ」或いはソロとして活動中。2003年、韓国大手芸能事務所のSMエンターテインメント(以下「SM」)が、それまで韓国アイドル界で一般的であった役割分担を廃し、メンバー全員がメイン・ボーカルを務められる「アカペラ・ダンス」という新たなスタイルのボーイバンドを企画。自社に所属する練習生の中から様々な組み合わせが検討された結果、それぞれソロや別グループでメインボーカルとしてデビューの準備を進めていたジュンス、ユンホ、チャンミン、ジェジュン、ユチョンの5人が選抜され、事務所では『ドリームチーム』(金英敏)と呼ばれるグループが誕生した。当時、SM内では中国本格進出の切り札として位置付けられていたことから、中国風の漢字4文字のグループ名と芸名が与えられ、同年12月26日にSBSの特別番組で初披露されたのち、翌2004年1月14日にシングル「HUG」でCDデビューを果たした。デビューには総額80億ウォンに上る多額の投資がなされたが、このころの韓国歌謡界は1990年代後半から続いていた第1次アイドルブームが下火となり、ピなどソロ歌手が全盛を極めていたため、デビュー当初は活躍できる余地はないと見る向きが多かった。しかし、デビュー曲は『SBS人気歌謡』の「ミュティズンソング」に3週連続で選ばれ、同年末の主要音楽賞でも本賞や歌手賞を受賞するなど、予想を覆す活躍で瞬く間に同国のトップグループへと伸し上がった。彼らの成功が与えた影響は大きく、SS501など他のアイドルグループの結成を促す効果をもたらして、のちの韓国アイドル界再興の端緒をも開くこととなった。2004年3月に台湾で1stシングルのライセンス盤を発売したのを皮切りに海外進出を開始させ、同年11月にはグループ結成時からの目標であった中国進出の手始めとして、現地で中国限定の中国人メンバーを選抜するためのオーディション番組を製作することを発表した。同時期に40億ウォンを投じて日本での活動もスタートさせ、翌2005年4月にはSMの提携先であるエイベックスのレーベル「rhythm zone」から日本語曲「Stay With Me Tonight」で正式に日本デビューを果たした。日本ではアイドル色を薄めてアーティスト色を強めたイメージで売り出し、またJ-POP歌手として継続的に活動するため、当時日本でブームとなっていた韓流からは距離を置いて活動をした。日本でのデビュー後、2005年9月に韓国で2集(2ndアルバム)『RISING SUN』を発表し、同月に蚕室総合運動場主競技場で5万人以上の観客を集めるショーケース・ライブを開催。その後、翌2006年2月にはソウル・オリンピック公園体操競技場でグループ初となる単独公演、同年5月から6月には日本で初めてとなるライブツアー、翌7月と9月にはマレーシアとタイで「ライジング・サン・ファースト・アジア・ツアー」と題した韓国国外では初となる大規模公演を成功させた。タイ公演を終えると、すぐに韓国で3集『“O”-正・反・合』を発表。プロモーション中にユンホがファンを装った女から接着剤が入った飲料水を飲まされるという災難に見舞われたものの、同アルバムは年間1位となる30万枚超の売上を記録して、同年のゴールデンディスク賞で大賞を受賞した。また、このほかMKMFでは「今年の最高アーティスト賞」、ソウル歌謡大賞やSBS歌謡大典では大賞を受賞し、韓国の主要音楽賞を制覇する活躍を見せた。その間、中国への本格進出はメンバーの追加が先延ばしになるなど事実上頓挫していたが、日本での活動は不祥事でジェジュンが一時活動を自粛するハプニングがあったものの継続的に進められていた。しかし、歌える環境が整っていないステージに立たされるなど、デビュー後すぐにトップスターとなった韓国では経験してこなかった歌手としての地道な活動の連続に、メンバーらは戸惑いや苦々しさを感じていた。それでも、「とにかく日本で実績を残してから韓国に帰らなければ」との思いを抱きながら、その後も活動を進めた結果、徐々に知名度や人気が高まり、2007年6月には日本武道館での2日連続公演を成功させ、翌2008年1月にはシングル「Purple Line」で初めてオリコンチャートの1位を獲得するなどの成果を収めるようになっていった。そして、自身初の日本でのアリーナツアーと前年からソウル、台湾、マレーシア、タイ、中国で断続的に行われていた2度目のアジアツアーを同年6月までに終えると、3か月後の9月には日本での成功を引っ提げて、韓国でのオリジナル・アルバムとしては2年ぶりとなる4集『MIROTIC』を発表し、史上初となるソウル広場でのショーケース・ライブをもって韓国への本格復帰を果たした。かなりのブランクがあったことから復帰前はメンバー間に不安が広がっていたが、現地のトレンドに合わせるため、これまで東方神起の代名詞となっていた「SMミュージック・パフォーマンス」(SMP) の要素を弱め、より大衆性の強い楽曲で勝負を賭けたことが功を奏してファン層が拡大し、本作4集は市場全体のフィジカル・セールスが落ち込むなか46万枚を売り上げて、自身2度目となるゴールデンディスク賞の大賞を獲得した。ジェジュンは、この成功を「国民的アイドルグループから生まれ変わったようだ」と評した。日本では、2008年末に自身初となる日本レコード大賞ノミネート(優秀作品賞受賞)とNHK紅白歌合戦出場を果たすと、翌2009年3月には新たにバーニングパブリッシャーズのバックアップを受けてアルバム『The Secret Code』をリリースし、東方神起の作品としては初めて日本レコード協会からプラチナ認定を受けるヒットへと導いた。その余勢を駆って、同年7月には韓国出身歌手としてはピやリュ・シウォンに続き3組目となる、デビュー以来の目標であった東京ドーム公演を2日連続で開催し、これを成功させた。その間、日本以外でも、日本での活動の合間を縫って2009年2月からソウル、タイ、中国を巡回するアジアツアーを開始した。このほか、2008年末にジェジュンが主演映画の撮影を行い、翌2009年7月にはユンホやチャンミンも韓国でテレビドラマへの主演が決まるなど、それまであまり見られなかったソロ活動にも本格的に挑戦し始めた。そんな中、ジュンス、ジェジュン、ユチョンの3人が急激に関係が悪化していたSMからの離脱を図るべく、2009年7月末、専属契約内の契約期間や収益配分に関する規定の不当性を訴えて、SMとの専属契約の効力停止を求める仮処分をソウル中央地方法院に申請。これにより、東方神起は突如、分裂の危機に立たされた。同裁判所は残る2人に対する信義とファンクラブ会員への公人としての責任を重んじるべきとして、和解を勧告した。3人側は「契約内容に画期的な変更があるならば可能性はある」としたが、SM側は「合意のもとで更新してきた契約」という立場を固守した為、調停に失敗。結局、同年10月に同裁判所は専属契約に公序良俗に反する規定があるとして一部を認容、専属契約の効力を一部停止して、SMとの契約は残るものの、本案訴訟が終結するまで3人のSM以外での芸能活動を認める仮処分を決定した。この直後、ユンホとチャンミンは東方神起を作り上げたSM以外で活動するつもりはないとして3人に復帰を呼び掛けたが、訴訟を取り下げることになるこの要求を3人は聞き入れることなくSMと決別し、同年11月から独自の活動を開始した。このため、グループ活動はアジアツアーが中止になるなどエイベックスの管理下にある日本を除いて休止状態に陥った。分裂した訴訟組、残留組双方の関係がその後悪化している旨、日本側所属事務所社長からのTwitter情報等を基に報道がなされたが、3人側が本案訴訟を提起しなかったため事態に進展が見られず、2010年に入ると日本でも作品がリリースされるのみでグループとしての活動は行われなくなった。そして、2010年4月3日、エイベックス側が日本でのグループ活動休止を発表し、これをもって東方神起は活動全面休止に至った。 分裂で一番ショックを受けたのが5人の中で最年少のチャンミンだった。デビュー当時から同じ夢に向け頑張ってきてどんなに苦節のときでも一緒に乗り越えてきたのに…3人のことを兄のように慕ってきたのにこんな形で別れなければならない…日本でも新人としてどんなときでも5人で頑張ってきたのに…なんでこんなことになってしまったのか?とチャンミンは引きこもりがちになりいつも自問自答していた。「悪いのは自分なのか?」と。チャンミンは声にならない声で叫んでいた「ヒョン…僕はずっとみんなと一緒にいたいよ」と。いつしかチャンミンからはトレードマークの笑顔は消えていた…そんなチャンミンを積極的に外へ連れ出したのがユンホだった。チャンミンはユンホや待っててくれるファンのみんなのおかげて立ち上がることが出来た。口ではユンホに、「来ないでよ!ほっといてよ」などと言うがユンホが近くにいると常に笑顔だ3人のメンバーはSMが東方神起の活動をやる意思はあるかという問いかけの答えの期日である12日までに3人からの返事は来なかった…2人も3人に復帰を呼び掛けたが3人からの返事はなかった…2人が5人での活動を諦めて2人で活動を再開することを決めた。2人が復帰のwhy?を出したとき複雑な心境だったのがジュンスだった…2人がSMに感謝を歌っていることからジュンスは自身のツイッターにこう残した「信じていたのに…5人の敵だと信じていたのに…離ればなれになっていた間に色んなことが起こったみたい…もう疲れたよ」分裂騒動でユチョンは音楽活動をやめようとまで思っていた。弱音をはかないユチョンだったが…その時、ジュンスがユチョンがやめるなら自分もやめる。ユチョンがいなければ僕も続けられないと言ったそうだこれがユチョンの活動再開を決意させた言葉だった。SMに対して監禁という言葉で作詞した名前のない歌 part1を作詞した。この歌詞が本当ならユチョンの心情が悲しい…その後、エイベックスと独自に契約を結んで新ユニット「JUNSU/JEJUNG/YUCHUN」を結成したジュンス、ジェジュン、ユチョンの3人とは対照的に、ユンホとチャンミンの2人はしばらくの間、揃って表舞台に立つことはなかった。しかし、3人の活動は新所属事務所の代表者の前科をエイベックス側がコンプライアンス上の問題と看做し始めるに当たり、2010年9月に休止。また翌10月にグループ「JYJ」として正式に韓国での活動を始めるなど事務所への復帰の可能性が見えない状況が続いたことから、同年11月、SMは5人での活動を断念し、ユンホとチャンミンだけで東方神起の活動を再開することを表明。同時に、一旦訴訟組に付いていたエイベックスもSMとの関係を再構築し、2人となった東方神起の日本での活動を支援することを明らかにした。そして2011年1月、東方神起は、韓国で「SMミュージック・パフォーマンス」(SMP) に回帰した歌をタイトル曲にした5集『Keep Your Head Down』を、また日本で同タイトル曲の日本語版シングル「Why? (Keep Your Head Down)」を発表し、新たな活動を開始した。この2人だけで東方神起の名を使うという状況に対して、JYJの3人は事務所を離れたとはいえ我々もまだ東方神起であるとして遺憾を表している。だが、チャンミンは「群れを離れた鳥が『まだ群れにいる』と言うのは矛盾している」とJYJ側の主張を一蹴。加えて、ユンホとチャンミンは、分裂の原因であるJYJとSMの対立が解消されるまで、サイクルの早い韓国ではすでに忘れられつつあるグループを誰かが守らなければならないと、2人での活動再開の事情を説明した。2013年12月、デビュー10周年を記念して「Time Slip」というタイトルに合わせ、2人は東方神起のこれまでの活動をファンと振り返りながら、10周年記念コンサートを行った。デビュー曲「HUG」から「Catch Me」などヒット曲をはじめ、日本でリリースした曲、季節感のあるキャロルなど多彩なステージを披露し、ファンへ感謝の気持ちとさらなる活動への期待を伝えた。分裂騒動が収まった頃2人が出した復帰第1弾シングルwhy?(keep your head down)の歌詞が問題になった。JYJファンからは最後の「愛を容易く捨ててしまう君を。誰かが心配するとは考えてはしなかったの?僕の中で君は死に君はもういない」という歌詞が東方神起を捨てて新たなスタートを切った3人への決別宣言と受けとるファンも少なくなかった2004年11月25日に来日記念のシングルとアルバムを発売。その後、生活の拠点を日本にも置いて、日本語を習い、ボイストレーニングを重ねていった。そして、2005年4月27日に日本の音楽プロデューサーのもと、シングル「Stay With Me Tonight」でJ-POPシーンの一新人グループとして正式にデビューをした。この年のオリコン年間ランキング(アーティスト・トータル・セールス部門)の順位は525位。そこから、日本中心の活動を展開した2007年春から2008年前半の間に知名度を上昇させて、デビューから4年後の2009年には同ランキング3位にまで登りつめた。初めてオリコンチャートで1位を獲得したのは、アルバム『T』の先行シングルだった2008年1月発売の16thシングル「Purple Line」。その後、2010年3月発売の30thシングル「時ヲ止メテ」まで通算8作がオリコンシングルチャートで1位となった。このうち、2008年7月発売の23rdシングル「どうして君を好きになってしまったんだろう?」はオリコン1位のほか、2008年度USEN年間リクエストランキング1位、第50回日本レコード大賞優秀作品賞を獲得し、初出場となった『第59回NHK紅白歌合戦』では歌唱曲にも選ばれ、翌2009年には着うたフルの有料配信でゴールド認定(同年4月度)を受けるなど息が長い楽曲となった。同じくオリコン1位となった2009年7月発売の「Stand by U」も第51回日本レコード大賞で優秀作品賞を受賞し、2年連続出場となった『第60回NHK紅白歌合戦』でも歌唱された。単独のライブツアーは2006年のライブハウス規模のツアーが最初で、2007年には追加の日本武道館公演を含むホールツアー、2008年にはアリーナツアー、2009年にはアリーナツアーと東京ドーム公演を行った。「a-nation」などの音楽イベントにも毎年複数参加。ファンとの交流は、主に公式ファンクラブ「Bigeast」のイベントで行われた。マスメディアのレギュラー出演は早く、デビュー直前の2005年3月には深夜テレビ番組のひとコーナーを担当。その後、日本中心の活動展開をし始めた2007年2月に初めてゴールデンタイムのテレビ番組に出演し、同年4月には初となるラジオの冠番組を開始した。このラジオ番組の放送は、5人での活動を事実上終えた2009年12月まで続いた。このほか、2008年4月から1年間、テーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」のアジア親善大使を務めた。5人全員が揃った最後の表舞台は、2010年1月1日の未明に生放送された『CDTVスペシャル! 年越しプレミアライブ2009→2010』。その4か月後の2010年4月に活動を休止し、直後に結成が発表されたユニット「JUNSU/JEJUNG/YUCHUN」も、同年8月29日に行われた野外ライブツアー「a-nation」東京公演をもって公での活動を終えた。2011年1月5日に、2人での活動再開の5集アルバムを韓国で発売したのち、1月26日にこの韓国アルバム表題曲の日本語盤シングルを発売し、日本での活動も再開した。そして、2011年9月には、2人になってから初めてのオリジナルアルバム「TONE」を発表し、2011年1月発売の31stシングル「Why? (Keep Your Head Down)」で第53回日本レコード大賞優秀作品賞を受賞した。この曲は出場3回目となった『第62回NHK紅白歌合戦』でも歌唱された。2012年、35thシングル「ANDROID」がオリコン週間シングルランキングで1位を獲得し、シングル全作の売り上げは301万4000枚となり、米国の兄妹デュオ・カーペンターズが持っていた海外グループの総売上枚数300万2000枚を10年10カ月ぶりに更新し、歴代1位になった。また、2013年現在、36thシングル「Catch Me -If you wanna-」で、シングル通算12作目首位となり、海外歌手「シングル首位獲得数」の記録を更新し続けている。2013年のライブ観客動員数は1位のEXILE(112万)につづき、2位(89万)となっており、5大ドームツアーと横浜国際総合競技場でのコンサートを成功させ、海外アーティスト最多動員数の記録を塗り替えた。2015年4月2日、東京ドームでのライブツアーWITH最終公演において、今公演をもち、母国での兵役義務のため活動を休止する事を発表。兵役が終わったら必ずまた活動再開してライブで必ずまた会おうとファンに約束した本国韓国には「カシオペア」(Cassiopeia)、日本には「Bigeast」(ビギスト)と2つ公式ファンクラブがある。このほか、韓国には「ファンカフェ」と呼ばれる会員制ファンサイトが複数存在し、このうちポータルサイトのダウムにあるファンカフェ「ユエルビ」(留愛婁緋)には2010年現在、約77万人の会員が参加している。公式ファンクラブ「カシオペア」はSMエンターテインメントによる運営で、デビュー2年目の2005年には10万人超の会員数を誇る規模となり、2006年には「オフィシャル・グローバル・ファンクラブ ‘カシオペア’」に衣替えして、韓国国外のファンにも開放された。しかし、2007年を最後に会員募集が行われなくなり、次第に「カシオペア」という言葉は東方神起のファンの総称として用いられるようになった。そのため、一般的に「カシオペア」の会員数として挙げられる「80万人」という数字には、公式ファンクラブの会員以外も含まれている。この「カシオペア」には、「2008年に世界最多の会員数を持つファンクラブとしてギネスブックに掲載された」という前置きが付くことが多いが、実際はギネス世界記録の公式本である『ギネス・ワールド・レコーズ』の2008年度版や2009年度版(2008年初版発行)に「カシオペア」に関する情報は一切記載されていない。もうひとつの公式ファンクラブ「Bigeast」はエイベックス・マーケティングの運営。2006年に設立され、2010年の活動休止をもって一旦新規入会を停止したが、活動再開後の2011年8月から入会受付を再開した。

出典:wikipedia

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