鶴間(つるま)は、東京都町田市の地名。現行行政地名は鶴間一丁目から八丁目。人口は8,636人(住民基本台帳 2016年8月1日現在)。東京都町田市南部に位置する。東は小川・神奈川県横浜市緑区長津田町、西は神奈川県大和市下鶴間、南は横浜市瀬谷区北町、横浜市瀬谷区五貫目町、北は南町田と接している。住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、鶴間3丁目13番14の地点で21万9000円/mとなっている。律令時代には古代東海道が町内北部、町谷に通っていて、店屋駅(まちやのうまや)があったともいわれる。鎌倉時代には鎌倉街道上道、江戸時代には大山道や浜街道も通っていた。元は武蔵国多摩郡鶴間村。当村をはじめとする境川(高座川)左岸(東岸)の各村(現町田市西南部:旧堺村・忠生村南部・南村)の一部は近世初期まで右岸(西岸)と同じ相模国高座郡に属していた。「鶴間」は現在の相模原市南区(上鶴間)および大和市(下鶴間)にまたがって広がる地名である。1878年(明治11年)の郡区町村編制法による郡の分割で南多摩郡に所属。1889年(明治22年)、町村制施行のための明治の大合併で南多摩郡南村の一部となり、1954年(昭和29年)に同郡町田町と合併した。この間、1893年(明治26年)の三多摩移管により、神奈川県から東京府(現東京都)に所属が変更されている。名前の由来は昔、鶴が飛来したという「鶴舞の里」から。下鶴間村(現在の大和市下鶴間付近)は大山道の宿場町として、鶴間村(現在の町田市鶴間)は鎌倉街道や絹の道の宿場町として賑わったとされる。鶴間は元々、現在の大和市・相模原市・町田市にまたがる広域地名となっていた。現在でも各地域の名称として使われている。 東京急行電鉄神奈川中央交通により、以下の路線が運行されている。
出典:wikipedia
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