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鴨池

鴨池(かもいけ Kamoike)は鹿児島県鹿児島市の町名。旧鹿児島郡鹿児島近在中村、鹿児島郡中郡宇村大字中、鹿児島市鴨池町。鴨池一丁目及び鴨池二丁目が設置されており、鴨池一丁目及び鴨池二丁目の全域で住居表示を実施している。郵便番号は890-0063。人口は6,631人、世帯数は4,233世帯(2009年9月末現在)。「鴨池」という地名は地内にあった黒木島津家の別荘を、島津家29代当主である島津忠義が譲り受けて庭にあった池を広げ、池を禁猟区にしたため池に鴨が増えたことによる。鹿児島市の中部、新川の下流域に位置している。町域の北方には下荒田、荒田、南方には郡元、真砂町、東方には与次郎、西方には郡元がそれぞれ隣接している。町域の中央を南北に鹿児島県道20号鹿児島加世田線が通り、県道20号の路線上を鹿児島市電谷山線が通る。南端部には鹿児島市電唐湊線が東西に通っており、谷山線に鴨池電停と郡元電停の2電停が所在している。当地には鴨池動物園が所在していたが、1972年(昭和47年)に平川町へ移転し平川動物公園となった。鴨池動物園の跡地は現在鴨池公園として整備されている他にダイエー鹿児島店の敷地となっている。鴨池は1934年(昭和9年)までは中村もしくは中という地名であり、中村という地名は南北朝期より見え、薩摩国鹿児島郡のうちであった。文和3年の一色範氏宛行状に見えるのが初見であると考えられる。応永24年に中村と郡本(現在の郡元)が島津忠国によって町田飛彈に宛行われた。江戸期には鹿児島郡鹿児島近在のうちであった。村高は「天保郷帳」では1,067石余、「旧高旧領」では1,004石余であった。村内に谷山街道と谷山別街道が通っていた。1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、鹿児島近在のうち中村、郡元村、宇宿村の3村の区域より中郡宇村が成立し、それまでの中村は中郡宇村の大字「中」(なか)となった。1934年(昭和9年)には中郡宇村が鹿児島市に編入され、それまでの大字中は鹿児島市の町名「鴨池町」へ改称した(中の一部は郡元町に編入)。その後1970年(昭和45年)に一部が紫原一丁目から紫原七丁目、1971年(昭和46年)には荒田一丁目及び荒田二丁目となった。1973年(昭和48年)に一部が下荒田一丁目から下荒田四丁目、1974年(昭和49年)には郡元一丁目及び郡元三丁目に分割され、一部が鴨池一丁目及び鴨池二丁目となった。1976年(昭和51年)10月12日には鴨池町及び下荒田町の各一部が鴨池二丁目に編入され、1990年(平成2年)に鴨池町の一部が紫原六丁目に編入された。1993年(平成5年)には鴨池町の一部が唐湊一丁目から唐湊四丁目の一部及び郡元町の一部となり、鴨池町の残余部が田上台一丁目に編入され、これにより「鴨池町」の名称は消滅した。鹿児島県立鴨池野球場、鹿児島県立鴨池陸上競技場は同市与次郎に、鹿児島市立鴨池中学校、鹿児島市立鴨池小学校は同市真砂本町に所在する。市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる。

出典:wikipedia

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