トッテナム・ホットスパー・フットボール・クラブ(、:)は、イングランド・ロンドンのトッテナム地区をホームタウンとする、イングランドプロサッカーリーグ(プレミアリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。「トットナム」、「トテナム」とも。チーム名の「ホットスパー」はヘンリー・ホットスパー・パーシーに由来する。愛称はスパーズ (Spurs)。チームのモットーはラテン語で「"Audere est Facere"(英語訳は「To Dare Is to Do」、日本語訳で「挑戦無くして成功無し」)」。1882年に創設されたトッテナムは1901年に初めてFAカップを制した。これはフットボールリーグの設立以降にノン・リーグ・クラブがFAカップを制した唯一の事例である。トッテナムは1960-61シーズンにリーグカップとFAカップを制し、これらの大会の2冠(ダブル)を達成した20世紀初のクラブとなった。1962年にもFAカップを連覇した後、1963年にはヨーロピアンカップウィナーズカップで優勝し、欧州のクラブ大会を制した初のイギリスクラブとなった。1967年には、1960年代で3度目のFAカップ制覇を果たした。1970年代、トッテナムはリーグカップを2度制し、1972年にはUEFAカップの初代王者となった。異なる2つの主要な欧州タイトルを獲得したイギリスクラブはトッテナムが初めてであった。1980年代は、FAカップを2回、FAコミュニティ・シールドを1回、そして1984年のUEFAカップを制した。1990年代はFAカップとリーグカップを1度ずつ獲得した。そして2008年にリーグカップを制したことで、1950年代からの全ての年代における主要タイトル獲得を果たした(トッテナム以外ではマンチェスター・ユナイテッドのみ)。2015年現在はイングランド・プレミアリーグに所属している。数度の2部降格を経験しているが、1978年よりイングランドのトップリーグに所属し続けるイングランドを代表するビッグクラブである。地元のアーセナルとは長年ライバル関係にあり、両者の対戦はノース・ロンドン・ダービーと呼ばれる。デロイト・フットボール・マネー・リーグによると、トッテナムのクラブ収入は211億円で欧州第13位、プレミアリーグではリヴァプールFCに次いで第6位である。1882年9月5日火曜日に、教会の聖書研究会に所属するグラマースクールの学生によってホットスパーFCが結成された。彼らはホットスパークリケットクラブのメンバーでもあった。「ホットスパー」という名称は14世紀にこの地域に住んでおり、子孫が近隣に土地を所有していたヘンリー・"ホットスパー"・パーシーと関連している可能性がある。1884年に、既に定着していた「ホットスパーFC」との混同を避けるため、トッテナム・ホットスパーFCと改称した。2001年よりジョー・ルイスが率いるイギリスの投資会社ENICグループ(かつてSKスラヴィア・プラハやグラスゴー・レンジャーズFCを保有していた)がクラブの所有権を握り、ダニエル・リーヴィが会長に就任している。2005年にはダミアン・コモリをスポーツディレクターとして招聘、この時期にはガレス・ベイル、ルカ・モドリッチ、ディミタール・ベルバトフらを獲得している。2005-06シーズンはチャンピオンズリーグ出場まであと一歩のところで足踏みし、惜しくも5位。後にマルティン・ヨルやファンデ・ラモス監督に補強に関する権限が与えられなかったことからトラブルが起こり、チームは一時低迷する。2008年10月にはハリー・レドナップが監督に就任、同時にSD職を廃しチーム編成は監督と会長のリーヴィが主導するスタイルに改められる。2009-10シーズンのプレミアリーグウィガン・アスレチック戦では、プレミアリーグ史上2番目の得点差となる9-1で圧勝するなど、プレミアリーグ発足後のクラブ史上最高位の4位となり、UEFAチャンピオンズリーグ出場権をクラブ史上初めて獲得した。これによって、2005-06シーズンから2008-09シーズンまで続いたいわゆるビッグ4(アーセナル、チェルシー、マンチェスター・ユナイテッド、リバプール)によるチャンピオンズリーグの出場権独占が終わった。2010年にはENICが前オーナーのアラン・シュガーやイージーグループの総帥ステリオス・ハジ=イオアヌが持つ株式を買収し、クラブ株式の85%を持つに至る。2010-11シーズンの夏の移籍市場ではレアル・マドリードからラファエル・ファン・デル・ファールトを獲得するなどをして注目を浴びた。初のUEFAチャンピオンズリーグでは、イタリアの強豪インテルナツィオナーレ・ミラノを抑えてGLを1位通過するとベスト16では同じくイタリアの強豪ACミランを破ってベスト8進出をするなど健闘した。一方、プレミアリーグではFW陣の得点不足やキーパーの凡ミスなどが問題となり惜しくも5位と2年連続のUEFAチャンピオンズリーグ出場はならずUEFAヨーロッパリーグに出場することになった。2011-12シーズンでは得点不足を解消するためマンチェスター・シティFCからエマニュエル・アデバヨールをレンタルで獲得、加えてブラッド・フリーデルやスコット・パーカーなども獲得し、前シーズンの不安要素を中心とした補強がされた。また冬の移籍市場では元マンチェスター・ユナイテッドFCのルイ・サハなども獲得した。ELではターンオーバーに徹し主力を温存したこともあり、PAOKテッサロニキ、FCルビン・カザンに次ぐ3位でグループステージ敗退。プレミアリーグでは4位となり、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得したが、プレミアリーグを6位で終えたチェルシーがUEFAチャンピオンズリーグで優勝し前年優勝クラブ枠を手にしたため、トッテナムはUEFAヨーロッパリーグへ回ることとなった。2012年1月には、収容人数が4万人に満たないホワイト・ハート・レーンに代わる新たなスタジアムの建設に向け、クラブの非上場化の手続きを完了した。2012年6月14日、レドナップの退任が発表された。7月3日に新監督としてアンドレ・ビラス・ボアス就任を発表した。それに続いてギルフィ・シグルズソンとヤン・フェルトンゲンを獲得した。さらにはエマニュエル・アデバヨールを買い取り、フラムFCからムサ・デンベレとクリント・デンプシーを獲得し、フリーデルの後継者としてウーゴ・ロリスも獲得した。一方でモドリッチを移籍金3330万ポンドでレアル・マドリードに売却し、同時にRマドリーと業務提携を結んでいる。さらに冬の移籍市場では、シャルケ04から、サッカードイツ代表である、ルイス・ホルトビーを獲得した。2013年夏、チームの顔であるガレス・ベイル移籍の噂が大きく報道される中、移籍市場では積極的に動き、チームを強化するためこれまで主力選手だった、クリント・デンプシー、トム・ハドルストーン、ジェイク・リヴァーモア、前主将のウィリアム・ギャラス、さらには副主将のスコット・パーカーまでもを放出し、巨額の資金を投じてブラジル代表パウリーニョやクラブ史上最高額の移籍金となる約3000万ユーロで、スペイン代表ロベルト・ソルダード、ベルギー代表ナセル・シャドリ、フランス代表エティエンヌ・カプエを獲得するなど大型補強を敢行した。13-14シーズン開幕戦クリスタル・パレス戦、第2節のスウォンジ・シティAFC戦共に、新加入のソルダードのPKでどちらも1-0で勝利し、幸先の良いスタートを切った。さらに補強の手を緩めずエリク・ラメラ、クリスティアン・エリクセン、ヴラド・キリケシュといった各国の代表クラスの選手を獲得し、この移籍市場での投資額は、レアル・マドリード、パリ・サンジェルマンに次ぐと見られる約160億円に上った。特にエリクセンの獲得はチームの攻撃に大きなオプションを与えた。そして9月1日にベイルを史上最高額の8500万ポンドでレアル・マドリードに売却することを発表、背番号11はエリク・ラメラが受け継いだ。2013-14シーズンは前述の大型補強にも拘らず11月24日のマンチェスター・シティ戦で0-6の大敗、12月15日のリヴァプール戦で0-5の大敗を喫するなど調子が上がらず、12月16日にビラス・ボアスは解任された。後任として、ティム・シャーウッドがアシスタントコーチから暫定監督を経て正式に監督に就任、ビラスボアス時代に冷遇されていたエマニュエル・アデバヨールを起用して、彼が再びエースの地位を取り戻すチャンスを与えた。輝きを取り戻したアデバヨールに加え、エリクセン、レノンのコンディションも順調に整い、元日のマンチェスター・ユナイテッドFC戦で勝利するなどして短期間で一気に順位を上げる事に成功したが、その後も優勝争いには絡むことなく6位に終わりCL出場権を逃した。2013-14シーズン終了後にシャーウッドは解任され、新監督にサウサンプトンFCで好成績を残したマウリシオ・ポチェッティーノを招聘した。2014年6月9日にはベテランGKブラッド・フリーデルが1年間の契約延長発表と同時にクラブのアンバサダーに就任した。2014-15シーズンは、ベルギー代表ナセル・シャドリが開幕から5試合で4得点を決めるなど、前シーズンに「失敗」の格印を押された選手達が活躍を始めた。2015-2016シーズンはデレ・アリ、エリック・ダイアー、ハリー・ケインといった若手が活躍し、リーグ戦では3位に入った。同じ北ロンドンを本拠地とするアーセナルとはライバル関係にあり、サポーター同士のいがみ合いが強く両者の間には争いごとが絶えない。それをよく象徴するのが、かつてトッテナムからアーセナルへ移籍したソル・キャンベルに対してトッテナムファンがユダと呼んだという出来事である。アーセナルとの試合は「ノース・ロンドン・ダービー」と呼ばれ、マンチェスター・ダービー、マージーサイド・ダービーと並びダービーの一つに数えられている。トッテナムはイギリス、主に北ロンドンとホーム・カウンティーズに多くのファンを有している。1946年から1969年の間に5度、イングランドにおける平均観客動員数で最多となった。また、世界中にトッテナムのサポーターズクラブが存在する。2008-09プレミリーグにおける平均観客動員数は第9位であった。クラブの歴史的なサポーターにはアルフレッド・エイヤーなどがいる。トッテナムのサポーターは主にロンドン地域内の複数のクラブとライバル関係にある。最大のライバルは共に北ロンドンを本拠地とするアーセナルである。他にも同じロンドンを本拠地とし、チェルシーやウェストハム・ユナイテッドとの対戦もロンドン・ダービーの一つである。トッテナムにはロンドンの多くのクラブと同様に、多くのユダヤ人サポーターがおり、これがトッテナムサポーターに対する反セム主義的な挑発につながっている。トッテナムサポーターはこれに対抗してユダヤ人も非ユダヤ人も自分達を「イーズ(Yids)」と称する。ユダヤ人への侮蔑語である「イード」は、元々はスパーズの本拠地周辺がユダヤ人の多く住む地域であることに対し、口汚い相手ファンからの嘲りの言葉として使われ始めたが、やがてスパーズファンはそれを逆手に取って、誇らしげに自称するようになった。自称「イード」の大半はおそらく本当のユダヤ人ではないが、厳密な定義は必要とされず、彼らはドイツ人のユルゲン・クリンスマンが所属した時にも「Chimm-chimminee, chim-chimminee, chim-chim-churoo, Juergen was a German, but now he’s a Jew(ユルゲンはドイツ人だった、でも今ではユダヤ人だ; チム・チム・チェリーの節で)」というチャントを唄った。ユダヤ人団体や反人種差別団体からは「イード」の使用が人種差別を助長していると考えて、スパーズファンに自制を求める声もあるが、スパーズファンは自分たちが使用する「イード」はまったく無害なものだと考えている。著名人のファンとしては元プロサッカー選手の父親を持つNBAのスティーブ・ナッシュや水泳選手のイアン・ソープ、コールドプレイのジョニー・バックランド等が知られている。また、俳優のジュード・ロウもスタンド観戦する姿を度々中継カメラに捉えられている。007 スカイフォールの主題歌でオスカーを受賞したアデルもスタジアムに足繁く通い、インタビューにも「私は偽物じゃない。本物のファンよ」と発言している。()★※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
出典:wikipedia
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