ストゥヴァー("Stoewer" )は、第二次世界大戦まで活動していたシュチェチンに本社を置くドイツの自動車製造業者である。エミール("Emil" 、1873年 - 1942年)とベルンハルト("Bernhard" 、1875年 - 1937年)のストゥヴァー兄弟により1896年にシュチェチンでミシンの製造会社として設立された。1899年に「ストゥヴァー兄弟自動車製造」("Gebrüder Stoewer, Fabrik für Motorfahrzeugen" )を設立し、自動車の製造を始めた。彼らの最初の自動車は出力6.5hp(4.8kW)で最高速度17km/hの「グロッサー・モトールヴァーゲン」("Großer Motorwagen" 、大型自動車)であった。1908年にストゥヴァーは「ストゥヴァー・G4」を製造し、このモデルは非常に成功を収め1,070台が生産された。1910年にストラスブールのマティス()の車をライセンス生産した。1916年に会社の同族経営の形態を「ストゥヴァー製造株式会社」("Stoewer-Werke AG, vormals Gebrüder Stoewer" )という株式会社に改組した。1920年代半ばに直列4気筒エンジン搭載の「D3」、「D9」、「D10」や直列6気筒エンジン搭載の「D5」、「D6」、「D12」といった新しいモデルが導入された。1921年120hpの6気筒航空用エンジンを搭載した「D7」という特殊なモデルは、当時としては最強の出力の車であった。1928年にストゥヴァーは「S8」と「G14」という直列8気筒エンジンを搭載したモデルの製造を開始した。1930年代の初めにストゥヴァーは「G15 ギガント」("Gigant" )、「M12 マーシャル」("Marschall" )、「P20 リプレゼンタント」("Repräsentant" )といった看板モデルを発売した。これらのモデルは60から120hp(45から90kW)の出力の直列8気筒エンジンを搭載し、最高速度は130km/hであった。2,500台が生産された後、世界恐慌の影響でこれらのモデルの生産はキャンセルせざるを得なかった。1931年にストゥヴァーは25hp(19kW)で最高速度80km/hの「V5」という世界でも初めての量産前輪駆動車を製造した。「グライフ ユニオール」("Greif Junior" )というモデルはタトラのライセンス生産モデルであった。この車の前モデルである「V8グライフ」("V8 Greif" )はストゥヴァー自身が製造に関わった最後のモデルであり、「アルコナ」("Arkona" )と「ゼディナ」("Sedina" )はストゥヴァーが生産した最後の民間市場向けの自動車であった。第二次世界大戦が始まるとドイツ国防軍向けの「"l.E.Pkw"」("Leichter Einheits-Personenkraftwagen" 、小型制式乗用車)の生産を開始した。この多用途四輪駆動車の多くは四輪操舵機構を持っていた。ストゥヴァーの生産能力の問題により同じ設計の車両がBMWとハノマーグでも生産され、この3社合計で総計約1万台が製造された。第二次世界大戦後、赤軍が残った製造設備を差し押さえ、分解した後ソビエト連邦へ送った。この有名な工場での自動車生産の日々の最後であった。
出典:wikipedia
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