外人レスラー(がいじん-)は、日本のプロレス用語。外国の団体から日本の団体に招聘された外国籍のプロレスラーを指す。ガイジンレスラーと全てカタカナで表記されることもある。外国人レスラー(がいこくじん-)、海外レスラー(かいがい-)とも呼ばれ、「レスラー」を「プロレスラー」「選手」に置き換える場合もある。大手団体においてはアメリカ、メキシコ、時にはヨーロッパのマットから来日したレスラーが多く見られる。なお、昭和期の韓国人レスラー(大木金太郎など)については、外国陣営で試合をすることもあったが、総じて「外人レスラー」には含まないことが多かった(一般社会における「外人」の用法と同様である)。さらには、一時期のザ・デストロイヤー、メデューサのような「日本陣営に参加した外人レスラー」や、太陽ケアやバッドラック・ファレ、デビー・マレンコのようにデビュー時から一貫して日本のプロレス団体に正式に所属しているレスラーも存在する(後述)。この場合、外人レスラーとして扱われないケースが多い。一方、ケニー・オメガやジョー・ドーリング、ヘイリー・ヘイトレッドのようにフリーランスながら日本に定着するレスラーも少なからず存在するが、これについては参戦団体によりけりである(例えばケニーの場合、団体によってはレギュラー参戦していたDDTの選手として扱われる場合もあった)。また、タッグマッチにおいて両チームが「日本組」「外人組」と表現されることもあった。日本のプロレス史が力道山・木村政彦VSシャープ兄弟による日米対抗戦の形式で始まったこともあり、日本のプロレスは他のスポーツには見られないほど外国人選手が大きな位置を占めるジャンルとして推移してきた。ジャイアント馬場の全日本プロレスとアントニオ猪木の新日本プロレスの抗争においても、「重要な外人ルートはアメリカ・マット界に顔が広い馬場が抑えている」というのは馬場にとって大きな利点で、猪木の日本人対決や異種格闘技戦もそれに対抗するために編み出された面があった。1980年代以降日本人対決が主流になったが、それでも外国人抜きでメジャー団体の長期シリーズが行われることはまずない。ビル・ロビンソン、ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク、ミル・マスカラスなど外人のベビーフェイスも日本のプロレス史には存在するほか、位置付けとしてはヒールだったがヒールの枠を越えた人気者になった例としてアブドーラ・ザ・ブッチャー、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディなどがいる。かつての全日本女子プロレスでは、日本人ヒールが定着した1970年代後半以降、来日外国人を日本人ヒール(ブラック軍団、極悪同盟など)と組ませることが多く、後にブル中野のアメリカでの活躍にもつながった。最近では前出のマスカラスやビッグバン・ベイダーのように日本で興行を手がける外人レスラーも存在する。日本以外でも「外国人」「外国系」というのはヒールの基本的な要素の一つである。特に右派色が強いWWEでは、反米的な国の出身者や関係者という設定のヒールレスラーがたびたび登場する。湾岸戦争の際にサージェント・スローターがフセインの友人というギミックで登場したり、イラク戦争の際にはイラク攻撃に反対したフランスに対する当てつけとして反米フランス人ギミックのラ・レジスタンスが登場している。日本のプロレス団体に一時期、あるいはデビューから一貫して正式所属選手として契約する外人レスラーも存在する。この場合は、便宜上、外人レスラーとして扱わない場合がほとんどである。また、留学生として来日した選手の場合は、その扱いは時と場合により分かれる。以下に、代表的な選手を挙げる(五十音順、名称は所属当時の最も新しいもの)。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。