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西村朗

西村 朗(にしむら あきら、1953年9月8日 - )は、日本の現代音楽の作曲家。父は大阪市城東区で自転車店、母は大阪市城東区役所の職員の息子として生まれる。幼い頃の夢は比叡山で僧侶になることだったが、小学校5年のとき放送部に入ったことでクラシック音楽に惹かれ作曲家を志す。大阪では下村米太郎・大橋博・山田光生らに教えを受けた後、大阪府立旭高等学校時代、池内友次郎に師事。東京藝術大学大学院まで矢代秋雄、野田暉行に師事。1980年修了。母校や尚美学園などで勤務後、東京音楽大学に勤務し大学・大学院教授となる。2003年4月から2009年3月までNHK-FM「現代の音楽」の番組担当を務めたのち、2009年4月から2012年3月の番組終了までNHK教育「N響アワー」の司会を務めた。2015年4月からは再びNHK-FM「現代の音楽」の解説を担当している。武満徹作曲賞2007年度、ガウデアムス作曲賞2009年度などの多数のコンペティションの審査員もこなす。2000年よりいずみシンフォニエッタ大阪にて音楽監督を、2010年より草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル音楽監督を務めている。「既成音楽への適応不全から始まった独自のアジア的試み」が作風の特徴とされ、多くの評論でもアジア色が強調されている。原則的にはオンビートのままで丹念にフルスコアを埋めるテクニックは日本のアカデミズムで培った書法の直系であり、20代前半に個性を完成させた早熟の若手として世に出る。「交響曲第二番」ではハープやピアノの用法に新規ある音響を開拓しており、当初お蔵入り予定であった「交響曲」と同様音楽的変化の激しさや管弦楽法のスリルに焦点が置かれていた。ピアノ協奏曲第1番「紅蓮」は初期の代表作で、その後の作品の傾向もはっきりと打ち出している(初演は園田高弘のピアノ、山田一雄の管弦楽指揮)。新ロマン主義的な側面を多く持つ「ピアノ協奏曲第2番」のような作品から、自己の出発点を刻印した打楽器アンサンブルの為の「ケチャ」まで、アジア的な感性に頼った作品とそうでないものとで、はっきり作風が分かれている。この時代に「二台のチューブラーベルと二台のヴァイブラフォンのトレモロ」、「ピアノの単音トレモロ」、「周期的アクセントおよびクレッシェンド、ディクレッシェンド」など、後年の個性に繋がるイディオムを発見する。「ケチャ」はユネスコ国際作曲家会議で優勝した。この時期は『音楽芸術』を中心に、作曲論を含めた膨大な文章が残された時期でもある。自己の作曲法からベートーヴェンなどの古典まで、対象は幅広い。1988年に「二台のピアノとオーケストラの為のヘテロフォニー(1987)」で第36回尾高賞を受賞する。この作品の第三楽章でみられるパルス書法は、「鳥のヘテロフォニー」、「星曼荼羅」でも活かされている。その後、1992年に「ヴァイオリン、ピアノとオーケストラのための二重協奏曲『光の環』(1991)」で第40回尾高賞を、1993年には「永遠なる混沌の光の中へ(1992)」で第41回尾高賞を受賞している。この時期の作品として、「デュオローグ」(ピアノはティンパニの音域を越えない)や「トッカータ」(J.S.バッハ作品の編集)などがある。また、この時期には首都圏以外のオーケストラからの委嘱も増加するが、難易度を上げて現代音楽に慣れていないオーケストラの団員に苦労を強いるのではなく、可能性の範囲内で実験する新たな展開を見せ始めた。いずみシンフォニエッタ大阪のような小編成オーケストラの名人芸へ関心を移している。管楽合奏のための「秘儀I」、ピアノのための「スケルツォ」などの近作は断章のモザイク化も顕著であり、ユニークな形式感覚への嗜好も目立っている。2008年には「幻影とマントラ(2007)」が第56回尾高賞を受賞した。

出典:wikipedia

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