


シャーツク(; Shatsk)はロシア連邦のリャザン州南東部にある都市。モクシャー川の左支流ツナ川()の、さらに支流であるシャーチャ川沿いに建つ。州都リャザンからは南東へ145キロメートル。人口は7,563人(2002年国勢調査)、1989年ソ連国勢調査では8,181人、2006年の推計では7,157人。シャーツクとはシャーチャ川からきており、川の名はこの地の先住民が使ったフィン・ウゴル語派のモルドヴィン諸語の言葉によるものとされるが、その語源には諸説あり定まった見解はない。16世紀、この周辺は深い森の中にある開けた土地であり、ステップに住むタタール人が森に囲まれたモスクワ大公国へと侵入するための通路となっていた。「シャーツクの門」と呼ばれるこの土地を守るため、モスクワ大公国は要塞(クレムリ)を各地に築いた。1553年、モスクワ大公国の南東の国境を守るためにシャーツクの要塞が建てられ、その周囲にシャーツキー・ゴロドクの町が成立した。1774年にはシャーツクの住民の多くがプガチョフの乱に加わった。1779年、市の地位が与えられ、タンボフ県に属する郡の中心地となった。18世紀から19世紀にかけては亜麻の取引が盛んな交易の中心地であったが、次第にその重要性を失い、1897年に13,928人を数えた人口は1920年代頃をピークにして落ち込んでいった。1923年にはリャザン州に管轄替えされている。シャーツクから18km離れたスタロチェルネエヴォ村には、チェルネエヴォ=ニコリスキー修道院()が建つ。これは17世紀から19世紀にかけて建てられた聖堂建築の集合体である。シャーツクには繊維工業や食品工業(精肉、ウォツカ製造)が立地している。また付近には石灰石の石切り場もある。最寄り駅は30km離れたところにあり、モスクワ=リャザン=ルザエフカ=シズラニを結ぶ鉄道上にある。またシャーツクにはモスクワ=リャザン=サマーラ=チェリャビンスクを結ぶM5幹線道路が通り、ここからモルシャンスクを経てタンボフへ向かう国道A143、およびサーソヴォを経てカシモフへ伸びる地方道R124が分かれる。
出典:wikipedia
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