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デニス・ボーヴェル

デニス・ボーヴェル(Dennis Bovell、1953年5月 - )はバルバドスセントピーター教区 () 出身のマルチプレイヤー(ギター、ベース他)、音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニア。レゲエバンドマトゥンビ () のリーダーであり、ブラックベアード (Blackbeard) という別名義でも活動している 。1953年5月、バルバドスのセントピーターにおいてセブンスデー・アドベンティストの家庭に生まれる。12歳のとき家族とともにイギリスのサウスロンドンに移住する。そこでボーヴェルはジミ・ヘンドリックスなどアフロ・ロックに影響を受け、ギターを始める。その後ジャマイカの文化、特にダブに没頭するようになり、1970年にサファラーズ・ハイファイというサウンドシステムを設立する。このサウンドシステムの運営中、警察とトラブルが起こり、ボーヴェルは逮捕され6ヶ月間拘留されるが、後に釈放された。ボーヴェルの通っていた高校にはスタジオがあり、後にミュージシャンやプロデューサーとなるニック・ストレイカー () や、トニー・マンズフィールド () が同級生だった。この二人はともに後にボーヴェルと作品を残した。1971年、サウスロンドンでマトゥンビを結成。1979年9月にシングル「ポイント・オブ・ビュー」が、全英チャート(レコード・ミラー)35位を記録した。アルバム「ポイント・オブ・ビュー」では、自身に影響を与えたエロール・トンプソンをプロデューサーに迎えている。また、マトゥンビの活動と並行し、1976年に、ダブ・グループの4thストリート・オーケストラを、エディ・タンタン・ソーントンらと共に結成した。ライブは行わずスタジオ・レコーディングのみの活動をしていた。1978年、ボーヴェルは詩人のリントン・クウェシ・ジョンソンによる世界初のダブ・ポエトリー・アルバム『ドレッド・ビート・アン・ブラッド』をプロデュースした。ボーヴェルは以後ジョンソンの作品のほとんどをプロデュースしており、ダブ・ポエトリーというジャンルを音楽面で定義した人物の一人となった。ボーヴェルはラヴァーズ・ロックの創始者の一人でもある。1979年にはジャネット・ケイ の「シリー・ゲームス ("Silly Games")」をプロデュースし、同楽曲は全英シングルチャート2位を記録するヒットとなった。1980年には坂本龍一のセカンドアルバム『B-2ユニット』において「ライオット・イン・ラゴス」などの楽曲のエンジニアリングを行った。彼はイギリスのレゲエ歌手ボビー・クレイとも多くの共同作品や共同プロデュース作品を制作した。また、ボーヴェルは多くのレゲエミュージシャンだけではなく、バナナラマやトンプソン・ツインズ、シャロン・シャノン ()、ザ・ポップ・グループ、スリッツ、フェラ・クティ、オレンジ・ジュース () 、マッドネスなど様々なジャンルのミュージシャンをプロデュースし、ニュー・ウェイヴムーブメントにも影響を与えた。ボーヴェルは映画音楽をも手がけている。1980年のフランコ・ロッソ監督作品『バビロン ()』をはじめ、1983年のテレビドラマ『ザ・ボーイ・フー・ワン・ザ・プールズ (The Boy Who Won the Pools)』、2006年の『グローバル・レボリューション (Global Revolution)』で音楽を担当している。

出典:wikipedia

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