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ブリーラム・ユナイテッドFC

ブリーラム・ユナイテッドFC(, )は、タイの東北部、ブリーラム県にホームを置くサッカークラブである。旧称はプロヴィンシャル・エレクトリシティ・オーソリティFC(, 、略称PEA FC)。1970年に創設された。ホームタウンはバンコクから約400km、カンボジアと国境を接するタイ東北部のブリーラムである。数多くのタイトル獲得やACLでの活躍により、今やタイを代表するビッグクラブとして国内外で注目を集める。ブリーラムの名士であり副首相や各副大臣などを歴任した政治家ネーウィン氏が2009年に当時国内の強豪クラブであったPEA(タイ電力公社)を買収。本拠地をアユタヤからブリーラムに移し本格的なクラブ運営・強化が始まった。2011年には建設費約17億円(当時レート)をかけたホームスタジアム”New i-mobile Stadium”が完成。欧州のような雰囲気・設備を持つスタジアムは国内No.1スタジアムと言ってよい。サポーターも非常に多く熱狂的で、アウェーにも毎試合のように大型バスを連ねて駆けつけるほどである。2002-03シーズン、タイ・ディヴィジョン1リーグ(2部)で3位となり昇降格プレーオフに進んだが、タバコ・モノポリーに敗れて昇格はならなかった。2003-04シーズン、タイ・ディビジョン1リーグで2位となり、翌シーズンのタイ・プレミアリーグ昇格を決めた。2004-05シーズンのタイ・プレミアリーグでは2位となり、翌年のAFCチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。しかし、期限までに選手登録を済ませなかったため、失格処分となった。2008シーズンのタイ・プレミアリーグでは、勝ち点61で2位のチョンブリーFCに勝ち点差2をつけて初優勝した。2010シーズンを前にして、クラブはブリーラム県の有力政治家ネウィン・チットチョープに買収された。本拠地はアユタヤ県から400km以上離れたブリーラム県に移され、クラブ名もブリーラムPEA FCに改められた。2011年はプレミアリーグ、FAカップ、リーグカップの国内三冠を達成した。2012年、新たにタイ・プレミアリーグに昇格してきた同じブリーラム県にあるブリーラムFCを吸収合併し、クラブ名称をブリーラムPEA FCからブリーラム・ユナイテッドFCに変更。2012年2月には「TOYOTA PREMIER CUP2011」でベガルタ仙台に勝利を収めた。AFCチャンピオンズリーグ2012ではグループリーグ初戦の柏レイソル、第2節の広州恒大に連勝したが、その後、四連敗して最下位で敗退した。2013年5月1日、AFCチャンピオンズリーグ2013のグループリーグ最終節を引き分け、E組2位で初めて決勝トーナメントに進出した。現行のAFCチャンピオンズリーグでタイ勢がグループリーグを突破したのは、第1回大会のAFCチャンピオンズリーグ2002-2003で準優勝したBECテロ・サーサナFC以来だった。しかし、5月3日、2010年に監督に就任して以降、7つのタイトルを獲得するなどブリーラム・ユナイテッドFCの成功に大きく関わってきたアッタポル・プスパコムの辞任が発表された。後任監督にはイングランド人のスコット・クーパーが就任したが、9月にはスペイン人のアレハンドロ・メネンデスが新監督に就任した。AFCチャンピオンズリーグ2013は準々決勝(ベスト8)まで進んだ。準々決勝ではエステグラルのアミル・ガレノイー監督がブリーラムのファンの妨害で試合前日に睡眠を取ることができなかったとして批判した。2013年はプレミアリーグ、FAカップ、リーグカップ、コー・ロイヤルカップの国内四冠を達成した。2014年2月にはトヨタプレミアカップ2013で名古屋グランパスに勝利し、2013年シーズンの獲得タイトルは5個になった。2014年4月、成績不振によりアレハンドロ・メネンデスが解任され、オリンピアコスなどで監督を務めたセルビア人のボジダル・バンドヴィッチが就任した。2011年6月11日、アイモバイル・スタジアムに代わり、ニュー・アイモバイル・スタジアムがブリーラム・ユナイテッドFCのホームスタジアムになった。建設費用は約5.5億バーツで、収容能力は32,600人。ニュー・アイモバイル・スタジアムはサンダー・キャッスル・スタジアムとも呼ばれている。ブリーラム県中心部から南西に約3kmの場所に位置している。

出典:wikipedia

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