


63式自動歩槍 ()は、中華人民共和国で設計された自動小銃である。アサルトライフルと分類される場合もある。と56式自動歩槍の長所を共に備える小銃として開発された。63式はSKSカービンをベースとした設計ではあるが、回転ボルト閉鎖機構など内部機構の一部はAK-47系統のアサルトライフルに由来する。西側諸国では"Type68 rifle"とも呼ばれた。(SKSカービンのライセンス生産品)から派生したとされる。63式自動歩槍は、(SKSカービンのライセンス生産品)をベースとした設計であり、ショートストロークピストン方式のガス圧利用方式を継承するが、ボルト閉鎖機構をティルティング・ボルト方式から56式短機関銃(AK-47のライセンス生産品)を参考にしたターンロックボルト方式に変更し、ガスバイパス部分に規制子を追加、弾倉を固定式から着脱可能な箱型弾倉に変更、連射機構を追加する等、内部機構の一部に56式自動歩槍に由来する改良を行っている。63式はセミ/フルを切り替えられるセレクティブ・ファイア方式の銃である。セレクターは銃の右側にあり、人差し指で操作する。「切短型」と呼ばれる専用の20発箱型マガジンの他、AK47用の30発箱型マガジンが使用出来る。ただし、AK47のマガジンを使用する際にはボルト開閉装置の除去など小改造が必要である(1979年再設計型では無改造で使用できる)。そのほか、備え付けの折り畳み式銃剣や実弾ないし空砲でライフルグレネードを使用する為のガス圧調整装置が特徴である。63式は4つの方法で銃弾を装填できる。第二次世界大戦後、ソビエト連邦による対中軍事援助が始まった。この中で大量の小火器が供給され、中国側はソ連邦側による技術的・資金的援助のもとこれらのコピーと国産化を押し進めた。しかし1960年代の中ソ対立を経て、ソ連邦製兵器をそのままコピーすることはなくなり、中国における小火器開発は徐々に独自の道を歩み始めた。これに伴い「独立自主、自力更生」の原則に従った独自の自動小銃開発が求められていたこと、人民戦争理論を前提として全ての人民に支給可能な小銃が求められていたことが63式開発につながっていった。中国初の独自設計火器となる新型自動小銃には、56式半自動歩槍と56式短機関銃の長所を共に備えることが期待された。56式半自動歩槍は射撃精度と銃剣格闘能力が長所とされ、一方の56式短機関銃は精度や銃剣格闘能力では劣るものの、フルオート射撃が可能なので中近距離における火力が優れていた。この要求は「」(小銃と短機関銃の統一)と表現された。新型自動小銃の開発は重要なプロジェクトの1つと考えられており、詳細な指導が行われた。一方で大躍進政策の最中において早急な設計完了も求められていたこと、また前例のないプロジェクトであったことから、正規の研究プロセスは重視されなかった。開発時には以下のような指示が与えられていた。1959年、「三結合」体制のもとで開発が始まった。開発チームには多数の学生が参加していた。砂地や寒冷地、あるいは渡河といった特殊状況での運用を行う信頼性テストが小銃としては初めて行われた。1963年、新型自動小銃が制式名称63式7.62mm自動歩槍()として採用された。1963年に設計が完了した際、毛沢東主席や中央軍事委員会幹部による視察が行われた。この時点では63式の性能は十分満足のゆくものと評価されていた。その後、1969年になると「戦に備えよ、災害に備えよ、人民のために」()という原則に従った政策のもと、63式の本格的な部隊配備および増産が始まった。およそ10万丁の新規調達が予定されていたが、文化大革命による混乱の最中にあって品質管理が徹底されず、また工場の生産能力を超えた要求も行われたため、次第に品質の低下が目立つようになっていった。後に生産効率の向上を目的として行われた再設計も性能悪化の原因となった。63式は中国人民解放軍が掲げる「多数の兵士が長距離射撃で敵を足止めし、最終的に銃剣を用いた肉弾戦に持ち込む」という第二次世界大戦以来の古典的戦闘ドクトリンを踏まえて設計された、いわば第二次世界大戦型の自動小銃だった。実際、63式は十分な射程と威力を誇り、中国人民解放軍の設計要求に適した小銃だったが、同時期各国で運用が始まっていたAK-47やM16に代表される各種の近代的アサルトライフルと比べると、SKSカービンに由来する63式はあまりにも重く長すぎ、フルオート射撃時の火力も劣っていた。さらに設計上の欠陥や不備、品質低下、再設計に伴う性能低下が露呈するにつれて、使用者たる兵士達からは「信頼できない銃」という評価を下された。1978年、生産終了および人民解放軍からの退役が宣言された。最終的な生産数は100万丁ほどだった。1979年、中越戦争の勃発に伴い56式短機関銃が不足し始めたため、残されていた63式の在庫の再配備および63式の生産再開が決定した。この際、何点かの改良を加えて再設計が行われ、56式短機関銃の弾倉が無改造で使用できるようになったほか、内部機構の強度が向上した。ただし、全長は変わらず長大なためジャングルでは枝などに引っかかりやすい、56式の弾倉を装填した場合に抜けやすいといった問題が指摘されていた。再生産と再配備も長くは続かず、81式自動歩槍の採用によって63式は再度退役した。なお、81式は63式をベースに設計されたアサルトライフルである。退役した63式の一部は中国国内の民兵組織などに配備された。1980年代後期、中国人民解放軍を退役して余剰品となった数千丁の63式はセミオートのみに改造され、民生用ライフルとしてオーストラリアなどに輸出された。だが、これらはある程度の知識と工作機械があれば簡単にフルオート機能を復帰させることが可能で、各国の税関はすぐさま回収を試みた。しかし大多数は現在も流出したままであり、そのうちどれほどがフルオート改造を受けたかは明らかになっていない。中国人民解放軍以外では、アルバニア軍が大量に運用したことが知られている。1968年のワルシャワ条約機構脱退以来、アルバニアは自国同様にソ連との対立を深めていた中国とより強固な関係を得て、63式を大量に輸入した。ベトナム戦争が勃発すると、軍事援助の一環として大量の63式が北ベトナムへ輸出された他、1970年代にはカンボジアなど東南アジア諸国やアフリカ諸国に一定数が輸出され、ソ連のアフガニスタン侵攻に際してはムジャヒディンの軍事援助として送られた。インドネシアの西パプア州(旧西イリアン・ジャヤ州)では反政府組織パプア独立運動(Organisasi Papua Merdeka,OPM)の装備の中に63式が見られた他、バングラデシュにおける紛争でも63式が使用された。これらがオーストラリアなどで改造を受けたものなのか、あるいは中国から輸出されたものなのかはわかっていない。
出典:wikipedia
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