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同期の桜

「同期の桜」(同期の櫻、どうきのさくら)は、日本の軍歌。太平洋戦争(大東亜戦争)時、好んで歌われた歌である。華々しく散る姿を、桜花に喩えた歌である。大村能章作曲。原詞は西條八十による(後述するように直接作詞したわけではない)。この歌が転じて「同期生」を表す言葉になった。原曲は「戦友の唄(二輪の桜)」という曲で、昭和13年(1938年)1月号の「少女倶楽部」に発表された西條の歌詞が元になっている。直接の作詞は、後に回天の第1期搭乗員となる帖佐裕海軍大尉が、海軍兵学校在学中に江田島の「金本クラブ」というクラブにあったレコードを基に替え歌にしたとも、同じく潜水艦乗員であった槇(旧姓岡村)幸兵曹長とも言われていた。1984年(昭和59年)5月5日、当時呉軍楽隊に勤務していた谷村政次郎(後に海上自衛隊東京軍楽隊長)が金本クラブを訪れ、割れてはいたが「戦友の唄」のレコードが見つかり(現在は江田島市ふるさと交流館1階に展示)、帖佐の証言が正しいことが証明された。ただし、5番まである歌詞のうち、3番と4番は帖佐も作詞していないと証言しており、人の手を経るうちにさらに歌詞が追加されていき、一般に知られているもののほかにも様々なバリエーションが存在することから、真の作詞者は特定できない状態にある。1980年(昭和55年)、ある元潜水艦乗組員である山下輝義という人物が「同期の桜は自分の作った『神雷部隊の歌』の複製である」として、レコード会社6社を訴えた事件が発生した。しかし流行歌研究家の長田暁二がこのレコードの存在について東京新聞の並木智彬記者に話し、彼自身が埼玉で、前述の「戦友の唄」(樋口静雄歌唱)を収録したレコードが発見されて訴えは棄却された(同期の桜事件:東京地方裁判所判決昭和58年(1983年)6月20日)。時局に合った悲壮な曲と歌詞とで、陸海軍を問わず、特に末期の特攻隊員に大いに流行した。帝国軍を代表する軍歌とも云え、戦争映画等ではよく歌われる。また、この歌詞にも、当時の軍歌ではよく現れた「靖国神社で再会する」という意の歌詞が入っている。その一方で、戦争映画でみられる兵士が静かに歌うシーンは実際には無かったという説もある。兵学校71期生の卒業間際に、指導教官が「死に物狂いで戦っている部隊で歌われている歌」として紹介して以来、教官の間で広まっていき、大戦末期に海軍兵学校から海軍潜水学校で一気に広まったとされており、兵学校に在学していても、戦後まで全く知らなかった人物も多い。1945年(昭和20年)6月29日と同年8月4日のラジオ番組で、内田栄一によって歌われているのが、この曲に関する最も古い記録といえる。作曲大村能章は、1962年(昭和37年)没であるため著作の保護期間は満了している。原詞西條八十の著作権は有効である。戦時中、特攻機の整備をして特攻隊員を見送っていった鶴田浩二は、曲を伴奏に、特攻隊員の心情を日記形式にして読み上げる作品を自ら作詩し、レコードに収録した。これは当時所属していたレコード会社間の著作権の関係で、西條八十の詩を歌うことが出来なかったことによる苦肉の策であった。後年は問題が解決したため、朗読と歌の双方を披露したレコーディングもしている。1976年(昭和51年)第1次長嶋茂雄監督時の読売巨人軍がリーグ優勝を果たした際、ビールかけ会場で長嶋監督以下、王貞治、張本勲、柴田勲ら巨人軍選手が輪になり、同期の桜を「巨人の桜」と替え歌で唄った。

出典:wikipedia

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