Gew88(独:Gewehr 88、Gewehr 1888)は、1888年にドイツ帝国で開発されたボルトアクション式小銃である。Gew98とKar98kの直系の先祖である。一般に委員会小銃(コミッションライフル、Commission Rifle)とも呼ばれる。19世紀後半にフランスの化学者、ポール・ヴィエイユによって実用化された無煙火薬の発明は、直ちに黒色火薬を使用する大口径の小銃を全て、時代遅れの存在とした。それまでドイツ帝国では口径11 mm×60R弾の、黒色火薬を使用する、単発式のモーゼルM71(1871年制式化)を採用しており、1884年にはモーゼルM71を管状弾倉式連発式に改良したモーゼルM71/84を採用(生産は1886年から)したばかりだった。しかしフランスでは1886年に、世界初の無煙火薬を用いた、管状弾倉式連発式小銃である、ルベルM1886を開発、採用し、M71/84はわずか2年で旧式化してしまった。遅れを取ったドイツはフランスに歩調を合わせるために、「ドイツ小銃試験委員会」(Gewehr prüfungs kommission、G.P.K)を組織し、その設計による、無煙火薬と、フランスの8 mm×50レベル弾に範を取った7.92 mm×57I弾(Iは歩兵の意味。円頭弾。88年式実包、M/88)を使用する新型小銃の開発に着手した。しばしば本銃はモーゼル小銃と誤解されるが、gew88の前後に開発された小銃と異なり、この小銃の開発は"ドイツ小銃試験委員会によって行われ、その開発と生産にパウル・モーゼルあるいはモーゼル社は一切関わっておらず"、モーゼル社はGew88を生産しなかったわずかな、ドイツの主要な兵器生産企業の1つだった。Gew88は専用の銃剣を持たず、M71/84の銃剣が流用された。この小銃にはKar88(Karabiner 1888)と呼ばれる騎兵銃型もあった。1898年には後継であるGew98(Gewehr98)がドイツ帝国の制式小銃として採用された。改良された後期型の、Gewehr 88/05と、Gewehr 88/14は、第一次世界大戦終了まで使用され続けた。総計で1,675,000~1,801,000挺が生産された。この数字には騎兵銃型のKar88とその派生型であるGew91も含まれるが、ほとんどは歩兵銃型のGew88とその改良型で占められた。Gew88のボルトアクション設計は、いくつかのモーゼルの特徴を持つマンリッヘルの改良型とされているが、それをモーゼルと呼ぶのは不正確である。実際には、Gew88の銃身とライフリングは、フランスのルベルM1886小銃の模倣であった。Gew88の銃身には薄い鋼板製のバレルジャケットが取り付けられていた。これは銃身が直接、銃床に接触するのを防ぐ事で命中精度を出す事を意図した物だが、隙間に水が溜まり、錆の発生の原因となった。Kar88はバレルジャケットを省略して、市販のスポーツ用ライフルの物に似た、異なったボルトハンドルを利用していた。Gew88は時々「モーゼルM88」と呼ばれるがそれは正しくなく、本銃の本質はマンリッヘル小銃の設計に基づいていた。ドイツはシュタイヤー=マンリッヒャー社からの特許侵害のクレームを解決するために、Gew88の製造メーカーの1つになるようにオーストリアの会社と契約した。エンブロック式装填機構は設計上の欠点だと証明されたが、今日でもそれを保有しているGew88に出会うことは珍しい事ではない。それらのGew88のいくらかが、Gew98で使われていた装弾クリップが使用できるように、機関部の左側に親指が嵌るスロットを削ることと、機関部の先端にクリップ用ガイド溝を加えることによって、改良された。小銃の底のクリップ排出口は薄い鋼板の板(ダストカバー)で覆われている。後に設計された多くの小銃と異なって、Gew88のボルトヘッドはボルト本体から取り外すことができた。この部品は分解整備の間に頻繁に紛失した。さらにボルトに付いているエジェクターとエキストラクターの両方が、分解と再組み立ての間、注意しないと脱落する傾向があった。この銃の問題点は、ライフリングに発射の際に出る金属カス(主に鉛)がつきやすいのが欠点であったため、技術者の改良により溝をわずかに深くすることにより解決したとされる。ドイツ帝国軍が採用し使用したほか、ボーア戦争、第一次世界大戦でも使用された。
出典:wikipedia
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