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クリスティーヌ・ド・ピザン

クリスティーヌ・ド・ピザン(Christine de Pisan, Cristina da Pizzano, 1365年頃 - 1430年)は、主にフランスのパリ宮廷で活動した、中世のヴェネツィア出身の詩人、文学者。フランス文学最初の女性職業文筆家とされる。反フェミニスト的な論調を取る『薔薇物語』続編に対抗し、『薔薇のことば』で女性擁護を訴えた。1365年頃、ド・ピザンはヴェネツィアに生まれ、4歳になったばかりの1368年、ボローニャ近郊ピサーノ出身で医師、もしくは占星術師としてフランスのシャルル5世の宮廷に仕えていた父、トンマーソ・デ・ベンヴェヌートのもとへ赴く。この時代の女性としては珍しく、幼いド・ピザンは父から教育を受けた。1379年から1380年に国王秘書官エティエンヌ・ド・カステルと結婚し、同時期の他の女性と同じように家庭を守る女性として生きるはずだったが、25歳のときに父親と夫が相次いで死去し、3人の子供を抱える未亡人となる。その後再婚することなく文筆家の道を選んだド・ピザンは、主にフランス貴族に向けて作品や詞華集を執筆した。詩作を行っていたド・ピザンは徐々に散文にのめりこみ、女性の地位向上に専心した。才能が読者に認められ、政治についても影響を及ぼすようになった。平和の必要性を訴え、王政改革議論に参加し、ブルゴーニュ公フィリップ豪胆王からはシャルル5世の伝記を書くよう求められたという。百年戦争が勃発すると、ド・ピザンはポワシーの修道院に隠遁し、1429年に最後の詩となった『ジャンヌ・ダルク讃』を刊行した翌年に亡くなった。ド・ピザンは女性の宮廷での身分を擁護し、1399年の『愛の神への書簡』や、1402年の『薔薇のことば』で、『薔薇物語』の続編として1270年頃、聖職者ジャン・ド・マンによって描写された自由恋愛と女性蔑視的な表現に対抗し、15世紀になって勃発したフランス文学史上の大きな論争に女性擁護の立場で参加した。1404年には『婦女の都』で女性の「理性」や「公正さ」が治めるユートピアを描いた。物語は当時フランス知識人の間でも知る者の少なかったボッカッチョやダンテの作品に着想を得たとされ、ラテン語やイタリア語が理解できる彼女ゆえの作品となった。

出典:wikipedia

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