献公(けんこう、? - 紀元前361年)は、秦の第24代公。姓は嬴、名は師隰。霊公の子。出公2年(前385年)、庶長が霊公の子である献公を河西から迎えて秦公に就かせ、出公とその母を殺して深淵に沈めた。また、晋がこの混乱に乗じて河西の地を奪っていった。献公元年(前384年)、献公は殉死を禁じ、翌年(前383年)には、(れきよう)に都を遷した。献公4年(前381年)、子の渠梁(のちの孝公)が生まれる。献公11年(前374年)、周から太史儋がまみえ、「17年経つと秦から覇王が出ましょう」と告げてきた。献公21年(前364年)、章蟜は晋と石門で戦い、6万人を斬首し、周の天子から黼黻(ほふつ)の衣服を賜った。献公23年(前362年)、魏・晋と少梁で戦い、その将の公孫痤を捕虜とした。献公24年(前361年)、献公が薨去し、子の渠梁が立って秦公(孝公)となった。
出典:wikipedia
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