甘草屋敷(かんぞうやしき)は、山梨県甲州市塩山上於曽(かみおぞ)にある江戸時代後期に建築された民家で、国の重要文化財に指定されている。重要文化財指定名称は旧高野家住宅。高野家はこの地で長百姓(おさびゃくしょう)を務めた家柄で、代々伊兵衛を名乗り、幕末には名主として苗字帯刀が許されていた。高野家は江戸幕府に納める甘草を栽培していたことから、甘草屋敷と呼ばれている。高野家住宅の主屋は、切妻屋根の前面上部に2段の突き上げ屋根を設けた甲州民家と呼ばれるこの地方特有の建築である。江戸時代後期の建築で、蔵などの付属建物や宅地も含め、重要文化財に指定されている。高野家は江戸時代初期頃より薬草である甘草の栽培を始め、八代将軍徳川吉宗治世の享保5年(1720年)、徳川幕府の採薬師であった丹羽正伯により同屋敷内の甘草を検分され、その結果幕府御用として栽培と管理が命ぜられた。一反十九歩の甘草園は年貢諸役を免除され、その後同家が栽培する甘草は、幕府官営の小石川御薬園で栽培するための補給源となり、また薬種として幕府へ上納を行った。これらの経緯により高野家は古くから「甘草屋敷」と呼ばれてきた。以下の物件が「旧高野家住宅」として重要文化財に指定されている。1953年(昭和28年)3月31日に、主屋が国の重要文化財の指定を受けたが、所有者が実際に居住しており長らく一般公開はされなかった。1993年(平成5年)所有者より当時の塩山市に寄附され、同市により住宅とその周囲が整備され一般公開された。その後1996年(平成8年)7月9日には敷地内の付属建物5棟(巽蔵、馬屋、東門、文庫蔵、小屋)ならびに宅地が国の重要文化財に追加指定された。なお、日本の民家建築が多数重要文化財に指定されるようになるのは1960年代以降のことで、1953年指定の当住宅は、指定年度の古いものの1つである。主屋は切妻造の茅葺型銅板葺で、切妻屋根の前面上部に2段の突き上げ屋根を設けた一重三階、桁行13間半(24.8メートル)、梁間6間(10.9メートル)の建物で、江戸時代後期の建築である。建物内部は三階構造になっており、上層階は甘草の乾燥に用いられた。上層階を設け、採光と通風のための突き上げ屋根を設けた形は、かつてこの地方で盛んに行われていた養蚕に使用された建築形式を受け継いだものである。蔵などの付属建物は、居室等に改造されていたが、塩山市への寄附後、旧状に復元されている。高野家住宅は、主屋とともに、付属建物、庭園、石垣などを含む屋敷構えが良好に保存され、文化遺産としての価値が高い。JR中央本線塩山駅北口の正面にあり、交通の便は至って便利である。
出典:wikipedia
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