『ゴーマニズム宣言スペシャル・天皇論追撃篇』(ゴーマニズムせんげんスペシャル・てんのうろんついげきへん)は、小林よしのりによる日本の漫画作品。『ゴーマニズム宣言スペシャル・天皇論』の続編である。『SAPIO』(小学館)誌にて、2009年8月26日号より2010年11月24日号まで連載され、また『女性セブン』(小学館)や『WiLL』(ワック・マガジンズ)にも番外編が掲載された。2010年12月15日には、新規描き下ろしページを追加した単行本『ゴーマニズム宣言SPECIAL 新天皇論』(全1巻)が刊行された。『ゴーマニズム宣言スペシャル・天皇論』の続編にあたる。より正確には『天皇論』の最終章の続編と言うべき内容となっており、皇位継承問題に関する小林の主張が内容の大半を占める。その点に注力するあまりに資料の曲解や理性万能主義の驕りという観点からの批判も多い。『ゴーマニズム宣言スペシャル・天皇論』及び関連作品である『皇后論』より引き続いて、また『WiLL』に連載の『本家ゴーマニズム宣言』などと連携して皇位継承問題について女系天皇を容認し、男系維持論者を批判して旧皇族皇籍復帰論に反対している。これらは『天皇論』においての女系天皇反対派からの批判に対しての反論である。容貌の醜悪なカリカチュア化も見られ、男系維持論者の「Y染色体による男系の維持」論について人類の祖とされるラミダス猿人の化石「アルディ」が女性であることから、歴代天皇を醜悪な猿人の姿に戯画化されたアルディのすぐ前に直接の子孫であるかのように描き「アルディが天照大神だったとでも言うのか」と叫ぶ描写がある。男系維持論者・支持者に対しては「男系絶対主義者」後には「男系固執主義者」とし、また男系論者を「皇室論の専門家ではない」と発言。男系維持論者の中でもY染色体論者は少数にもかかわらず、男系維持論者=Y染色体論者などと決め付けた発言もしている。個々の論者に対しても廃太子論などを唱える橋本明、西尾幹二らについて「シナ病」「人でなし」「日本の国情にそぐわない易姓革命を唱えている」などと批判、肖像をゴミあさりや蛸の姿に戯画化し「批判はやっかみである」と発言(ただし一方で竹田恒泰らに対する小林の「ゴミあさり」はそれらをはるかに超えた讒謗である)、小堀桂一郎を「男系派の大ボス」と称するなどしている。このほか「女系になったら腹を切って自害するのか」との発言もあり、著者は「天皇は男系でも女系でも問題ない!」とし、直系優先、女系容認であると主張するが、実際には女系推進の立場に立つと判断できる。『SAPIO』2010年5月12日号以降は又、ことにも触れていない。自説を主張・補強するに際して権威付けを行うことも多く天壌無窮の神勅を持ち出し女系への支持を訴えたり、昭和天皇、今上天皇をはじめ天皇・皇后の発言を要所で部分的に引用することが多い。引用の際には発言意図を憶測し「女系容認に賛同している」と解釈、「大御心が女系容認だったらどうするのだ」(『SAPIO』2009年12月16日号)など反対者を威嚇することも多く、大御心が女系容認拒否である可能性については全く述べておらず、皇室問題を巡る小林の論敵側の一部からは、天皇を恫喝又は侮辱していると唱える声もある。皇太子徳仁親王、秋篠宮文仁親王ら皇族の発言について女系容認論者の推測による解釈のみを載せて論の補強に用いることも行っている(『SAPIO』2010年3月10日号ほか)。その一方で男系派と看做した皇族へは三笠宮家に対して「親子2代で天皇陛下に心配をかけた」といった趣旨の中傷を行うなど攻撃対象にし旧皇族の男系子孫の代表的人物である竹田恒泰に対しては言動、行動を批判するほか「竹田から小林へ送られたメール」の内容についても触れ人格攻撃としか採りようにない讒謗に終始している。『SAPIO』2010年5月12日号において昭和天皇が香淳皇后との間に結婚後9年間4人続けて女児が誕生した際、側室を拒否し香淳皇后には「男児が生まれなくとも皇位は弟宮が継げばいいと仰った」と主張しているがこの大御心を現在に当て嵌めると皇太子徳仁親王、秋篠宮文仁親王、悠仁親王の現行の皇室典範に定める皇位継承順序となる。旧皇族の皇籍復帰については「血が遠い」「400年も遡らなければ天皇に繋がらない」として否定する。否定されるべき代表例として竹田について「父の代から平民」(『SAPIO』2010年5月12日号)と唱えているが、第60代の醍醐天皇が、源姓を賜り臣籍降下した実父・宇多帝の子として臣下の身分に生まれながら皇籍に列したことには全く触れていない。そればかりか同じく源姓を賜り臣籍降下した四辻善成のみを取り上げ、降下後に皇族に戻れなかったと自説に都合よく解釈し、改めて旧皇族復帰の否定する根拠だと主張した。また伏見宮流を皇室との血縁が薄いために軽んじられ、皇籍離脱になって当然であるという描写を行い同家を貶めている。『SAPIO』2010年3月31日号では香淳皇后を侮辱している。男系皇族としては小林の云う通り旧皇族は「血が遠い」が、孝明天皇は伏見宮に譲位を提案されたことがあるし(正確には伏見宮と有栖川宮)、明治天皇は皇子がのちの大正天皇お一人だったということで、いざというときのために永世皇族を強く望まれ、皇女4人を伏見宮系の宮家に嫁がせになられた等の歴史的事実についても触れていない。竹田宮家・朝香宮家・北白川宮家・東久邇宮家は明治天皇の皇女である常宮昌子内親王(竹田宮恒久王妃)・周宮房子内親王(北白川宮成久王妃)・富美宮允子内親王(朝香宮鳩彦王妃)・泰宮聡子内親王(東久邇宮稔彦王妃)が嫁いだ宮家であり、明治天皇の子孫であり女系男子に当たる。東久邇宮家は昭和天皇の第1皇女の照宮成子内親王(東久邇宮盛厚王妃)が嫁いだ宮家で東久邇信彦は昭和天皇の初孫として誕生した皇族で女系の男子に当たる。この事から男系皇族の三笠宮家より「血が近い」血縁者となる。女系賛成の立場なら、明治天皇と昭和天皇の女系男子も認めるはずだが認めていない。皇室が初代神武天皇から125代今上天皇まですべて男系による継承がなされたことについて日本独自の伝統とは捉えず、中国・朝鮮の家族制度を十分に日本化せず不十分に模倣した「因習」に過ぎないと述べている。更に、儒教に立脚した男系文化が日本に浸透した時期を7世紀であると断言している。なお、中国では易姓革命・王朝交代が何度も起きている。前作『天皇論』においては「日本は元号においても最も早くから、一貫して中華文明から独立した文明を築いていたのである。独自の元号を持つということが独立の証だった。」と述べていた。他方、小林の自著の『ゴーマニズム宣言スペシャル・昭和天皇論』の後半では、第38代の天智天皇の治世を描いた中で、即位前の天智帝と実母である斉明天皇が指揮した白村江の戦いを、華夷秩序に対抗するための予防的先制攻撃と位置付け、天智帝の実弟・大海人皇子(後の天武帝)も同様の認識だったと述べている。なお、現実に日本においては律令こそ浸透したものの、科挙や宦官、同姓不婚の原則は定着せず、第40代の天武天皇には天智天皇の娘、持統天皇、大田皇女など4女が嫁いでいる、とされている。この歴史的背景を念頭に入れると、これまでの慣習だった近親婚は以前よりも深く浸透していた可能性があるため、小林の発言にはブレがあるとも解釈できる。女系を認めれば皇位の安定的継承が保障されるかのような言辞を多用し今上天皇の孫・曾孫世代における男子皇族の誕生の可能性は描かず、「将来皇族がいなくなってしまう」と唱える。皇后美智子・皇太子妃雅子がバッシングを受けた事例を挙げ悠仁親王が妃を見つけることの困難さを繰り返し主張する一方、皇籍にとどまる皇族女子、特に愛子内親王が女性皇太子となった場合の配偶者を見つけることの困難さについては全く言及していない。旧皇族の皇籍復帰について「民間に生まれ育った一般人を皇族とする」と批判している一方、女系容認論が「民間で生まれ育った一般人を皇族女子の婿とし皇族とする」制度であることについては全く述べていない。歴史的に女子が皇太子になった事実があると主張しているが天皇の弟が皇太弟になった例が多数あることは全く述べていない。ちなみに皇室はこれまで125代のうちで皇位が親→子と継承(直系継承)されたのが66例、兄弟継承が27例、女性天皇は10代8人、女性皇太子は孝謙天皇の1例のみで孝謙天皇は生涯独身であった。女系天皇は史上例がなくすべて男系による継承がなされた。当時の天皇や上皇が直系継承にこだわった結果保元の乱、南北朝の分裂が勃発したことにも触れていない。『SAPIO』2010年5月12日号においては「皇室典範を改正すれば愛子内親王にも皇位継承権はある」と唱え、内親王の皇位継承を主張している。同号においては、「男性は欠陥品」との、差別発言ともとれる主張も行っている。女系容認後の皇位継承順序については、「直系優先・兄弟姉妹間長子優先」を支持し「直系優先・兄弟姉妹間男子優先」(高森明勅などの主張)には反対している。現在の皇位継承順序を変更しない「男系男子優先」については全く言及していない。天照大神は女性神である、ならば日本の天皇は女系だったと考えることもできると主張している(『ゴーマニズム宣言スペシャル・天皇論』)。『日本書紀』においては神武天皇以前を神代、以後を人代としている。皇祖神が女神であることと初代神武天皇から第125代の今上天皇まですべて男系による継承がなされたことは同時に成立する概念であるが、神武天皇以降の男系継承の伝統を主張することは「神話と歴史の分断工作」と批判している。また神社本庁が女系容認に反対しているのは寛仁親王の影響下にあるためと主張しているが、「皇室典範改正問題に関する神社本庁の基本見解」の内容には触れていない。また、神道が天照大神を祀る伊勢の神宮大麻を最も尊ぶ教えであることについては全く述べていない。『SAPIO』2010年6月9日号で、秋篠宮文仁親王は天皇になるための教育を受けていないと主張。また、秋篠宮文仁親王は高齢での即位が予想され、「例えば80歳の天皇誕生ということになった時、国民の天皇への関心や求心力は保たれるだろうか」と主張。また、秋篠宮文仁親王の在位期間は短いことが予想され、元号が短期間で変わってしまうと主張。また、皇太子徳仁親王が即位した時点で皇太子が空位になることを指摘し、現行の皇室典範に定める、皇太子徳仁親王から秋篠宮文仁親王への皇位継承を批判している。昭和天皇即位(1926年12月25日)から今上天皇の立太子の礼(1952年11月10日)までの期間、皇太子が空位であったことや、大正が14年数か月であったことは全く述べていない。『SAPIO』2012年4月4日号で、「現在の皇位継承順位は明らかにおかしい」と主張。『SAPIO』同号では秋篠宮文仁親王を「秋篠宮」と敬称をつけずに表記している。『新天皇論』第35章で渡部昇一の「秋篠宮家の親王殿下は、皇位継承の順序において、愛子様より下ると断定してよいか」との質問状に対して「私が尊重するのは男系よりも直系だから傍系男子の悠仁親王よりも直系女子の愛子内親王の方が上になる」と回答している。『新天皇論』第36章で女性週刊誌は毎号毎号皇太子妃雅子と愛子内親王の記事ばかりであると指摘し、無意識のうちに庶民が「直系」の正統性を感じてしまうからだと主張している。なお、『SAPIO』2010年3月10日号、『新天皇論』第13章で、「私の意図は、天皇陛下、皇太子、秋篠宮両殿下に、自由な(心理的)決定権を与えることである」との記載もある。『SAPIO』2010年11月10日号で、6世紀に武烈天皇が嗣子なく崩御し、しばらく皇位は空位とされたが、やがて武烈天皇から10親等離れた継体天皇が践祚した事例をあげ、現在はこの時代以来1500年ぶりの皇位継承の危機であると述べている。実際は、室町時代の称光天皇崩御時と江戸時代中期の後桃園天皇崩御時も皇統断絶の危機であった。前者は伏見宮家から後花園天皇が、後者は閑院宮家から光格天皇が傍系継承することにより乗り切った。光格天皇が現在の皇室の祖先であることや、現在のところ最後の女性天皇である後桜町天皇が光格天皇の後見補佐をしたことについても全く言及していない。
出典:wikipedia
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