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フェラーリ・156F1

フェラーリ 156F1 (Ferrari 156F1) は、スクーデリア・フェラーリが1961年から1964年にかけてF1世界選手権で使用したフォーミュラ1カーである。車名の156は「1,500ccの6気筒エンジン」をあらわす。フェラーリとしては初のミッドシップF1マシンであり、1961年にコンストラクターズタイトルとドライバーズタイトル(フィル・ヒル)の2冠を獲得した。1961年、F1のエンジン排気量制限が2.5リッターから1.5リッターに引き下げられたため、フェラーリは「ディーノV6」として知られるF2用1.5リッターV6エンジンを搭載する156F1を開発した。バンク角65度のTipo178エンジン(180馬力)はコヴェントリー・クライマックスエンジンやポルシェの空冷式水平対向エンジンを20馬力以上しのいでおり、シーズン中には低重心化とパワーアップを狙った120度広角タイプ(190馬力)も投入した。シャーシは遅まきながらFR方式に見切りをつけ、暫定テスト車246PとF2用の156F2を経てMR方式を正式に採用した。フロントのエアインテークは鼻孔のように左右分割されており、「シャークノーズ」というニックネームが付けられた。設計者のカルロ・キティにちなんで「キティ・ノーズ」とも呼ばれ、250TR61年型(250TR/61)などの競技用スポーツカーにも用いられている。短く尖ったノーズから車体後部へと絞り込まれていく個性的なボディラインは、フェラーリの歴代F1マシンの中でも人気が高いデザインのひとつである。156F1はデビューシーズンに大成功を収めたが、翌年にはイギリス勢の巻き返しにあい競争力を失った。キティに代わり開発責任者となったマウロ・フォルギエリがイギリスの技術的優位を取り入れた結果、後期型の156F1はオリジナルの面影を残さないほどの改修を施された。レギュレーション変更に乗じてフェラーリが圧勝するという展開は、1952年シーズンの再現であった。フェラーリは選手権8戦中5勝を挙げ、1958年に制定されたコンストラクターズタイトルを初めて獲得した。エースのフィル・ヒルとヴォルフガング・フォン・トリップスが2勝ずつし、フランスGPではプライベートチームFISAの新人ジャンカルロ・バゲッティがF1デビュー戦優勝を記録した。ベルギーGPではフェラーリが1-4位を独占。勝利を逃した2戦はロブ・ウォーカー・レーシングのスターリング・モスが類まれなテクニックで制したものだった。ヒルとフォン・トリップスのドライバーズタイトル同門対決は、地元イタリアGPでフォン・トリップスが観客14名を巻き添えに事故死する悲劇で決着がついた。フェラーリは最終戦アメリカGPを欠場し、アメリカ人初のF1王者となったヒルは母国凱旋を果たせなかった。コヴェントリー・クライマックスFWMVやBRMのV8エンジンの登場により、フェラーリの馬力優位は失われた。156F1は1勝も挙げられず、フォルギエリはシーズン中にシャークノーズをやめて一般的なノーズに戻し、足回りにも変更を施した。不振の責任を負わされたヒルはシーズン後ATSに移籍する。1963年型はボッシュ製の燃料噴射装置を採用し、156F1 Iniezione(イニエツィオーネ、イタリア語で「インジェクター」)とも呼ばれる。イタリアGPでは鋼管スペースフレームにアルミプレートをリベット止めして補強した「セミモノコックシャーシ」を投入。このシャーシ構造は航空工学の応用を意味するAero(アエロ)という別名をもち、フォルギエリはカーボンモノコックが登場する1980年代始めまで20年近く使い続けた。フロントのサスペンションアームとコイル/ダンパーユニットはダブルウィッシュボーン+アウトボード式からロッキングアーム+インボード式に改められ、ホイールはスポークから合金製ディスクとなった。この年加入したジョン・サーティースがドイツGPでロータスのジム・クラークの連勝を止める1勝を挙げ、チームは上昇機運をつかんだ。エンジニア的素養のあるサーティースは開発面でもチームに貢献した。V8エンジン搭載の新車158F1が登場し、156F1はセカンドドライバーのロレンツォ・バンディーニが4戦、スポット参戦のルドヴィコ・スカルフィオッティが1戦使用した。バンディーニはツェルトベク飛行場で行われたオーストリアGPで優勝した。

出典:wikipedia

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