ヴェスニン兄弟(Vesnin brothers)は、ロシアの建築家で、長男:レオニード・ヴェスニン(Leonid Aleksandrovic Vesnin、1880年-1933年)、次男:ヴィクトル・ヴェスニン(Viktor Aleksandrovic Vesnin、1882年-1950年)、三男:アレクサンドル・ヴェスニン(Alexander Vesnin、1883年-1959年)の、3兄弟をさす。ロシア・アヴァンギャルドの代表的建築家で、3人の兄弟は年齢が近いことの他、それぞれがそれぞれの得意分野を発揮し、密な協力関係によっていくつかの優れた建築作品を残している。社会学方面と地域計画的なデザインアプローチを主とする現代建築家同盟「オサ」の創立者。長男レオニードは芸術アカデミー卒業後、レオン・ベノワに師事。MVTU(モスクワ高等技術専門学校)、モスクワ建築大学にて教鞭を執る。M・パルヒン、L・ヴェリコブスキー、N・ポリャコープ、ローマン・クレイン、アレクサンドル・ブーロフらが大学時代に師事している。主に兄弟の総括と実務方面を専らとし、また都市計画方面の分野でも活躍。1930年以降は、社会主義都市計画ソツゴロドを受けてロシア諸都市の地域計画マスタープラン作成に兄弟らは参加していく。次男ウイクトルはサンクトペテルプルクの民間技術大字を卒業。ヴフテマス、MVTUで教鞭を執る。ヴフテマスでは1924年ごろ自身らのスタジオが開設。技術分野に明るく、産業建築家として数多くの産業建築を残した。1929年には「新都市建設の条件」を発表。このころから都市計画分野の仕事を多く手がけ、学校のスタジオでも新都市の計画の課題を多くとりあげていた。1939年から1949年まではソ連建築アカデミー初代総裁をつとめた。RIBAゴールドメダルを1945年、受賞。三男のアレクサンドルはベテルプルク民間技術大学卒業。モスクワにあるいくつかの芸術工房でも学び、ウラジーミル・タトリンにも師事した。ウイクトルとともに1908年から2年間ほど、ヴェリコフスキーの事務所で助手をつとめている。独立後はヴフテマスでも教鞭を執る。当時の教え子にはイワン・レオニドフなど。インフク(InkhukまたはInhuk, 芸術文化研究所:ИНXУK (Инхук) = Институт Художественной Культуры)の会員であり現代建築家同盟議長もつとめた。芸術集団「オクチャープリ(十月)」、「レフ」の会員。劇場芸術・舞台美術も手掛け、1923年にモスクワで上演された演劇「木曜だった男」の舞台セットはつとに有名である。また、「5×5=25」展にも、ロドチェンコ、ステパーノヴァ、エクステルらとともに出展参加する。
出典:wikipedia
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