三無事件(さんゆうじけん)は、1961年(昭和36年)12月12日に日本で発覚したクーデター未遂事件。川南工業社長の川南豊作を首謀者として旧陸軍出身者らが日本政府の要人の暗殺を計画し、未遂に終わり警視庁により逮捕された。発生当初は国史会事件と称された。1970年の三島事件に影響を与えた。破壊活動防止法が初めて適用され、有罪判決が下された。1961年12月12日に警視庁等が32箇所を捜索、川南豊作他13人を逮捕し、日本刀8振、ライフル銃2丁、防毒マスクなどを押収した。三無(さんゆう)とは無税・無失業・無戦争の三つの無の主張である。無気力・無関心・無責任の1970年代の若者気質をさした「三無主義(さんむしゅぎ)」とは関係がない。年齢は全て当時 直接の容疑は川南らは殺人予備、川下は銃刀法違反首謀者・主犯格者は揃って九州の出身とりわけ北部の者が多かった。。三無塾の他、右翼団体の「菊旗同志会」が決起に参加する予定だった。自衛隊の一部部隊にも参画するよう工作されていた。事件への関与を認めた池口は検察側証人として出廷し、事件発覚の二ヶ月前の10月はじめに川南の紹介で衆議院議員・馬場元治の秘書になり、国会議事堂内の電源・通信機器の配置や警備員の数の調査を依頼されたこと、200人で国会を襲撃するに際しては議員秘書の池口が国会内部から突入のタイミングの合図を送る役割だった、と証言している。池口本人は関与の度合いが薄いとして不起訴、釈放されている。
出典:wikipedia
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