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十二次

十二次(じゅうにじ)とは、古代中国天文学における天球分割法の一つで、天球を天の赤道帯にそって西から東に十二等分したもの。各次の名称は、星紀(せいき)・玄枵(げんきょう)・娵訾(しゅし)・降婁(こうろう)・大梁(たいりょう)・実沈(じっちん)・鶉首(じゅんしゅ)・鶉火(じゅんか)・鶉尾(じゅんび)・寿星(じゅせい)・大火(たいか)・析木(せきぼく)。戦国期以降に行われ、太陽・月・惑星の位置や運行を説明するための座標系として使用された。特に重要な用途が二つあり、第一は木星の十二次における位置で年を記すことであり、第二には、季節ごとの太陽の位置を十二次で示し、二十四節気の移動を説明することである。十二次を一年に一次ずつ進み、約十二年で天球を一周する惑星が木星である。これによって木星は「歳星」と呼ばれ、十二次の位置で年を記述するのに利用された。これを歳星紀年法といい、「歳在星紀(歳、星紀に在り)」といったように記録された。これは『春秋左氏伝』や『国語』といった書物に見られる。これが後には子・丑・寅…といった十二辰で年が記述されるようになり、現在まで使われている干支紀年法につながることになる。二十四節気は、冬至を基準にして一太陽年を二十四等分したもので、太陰太陽暦において季節を知る目印であり、月名を決めるための道具である。十二の「節気」と十二の「中気」で構成され、これが交互に配置されており、中気によって月名が決められることになっている。たとえば冬至を含む月が11月、大寒が12月、雨水が1月、春分が2月となる。十二次との関係は、太陽が十二次の初点(始まり)に来たときは節気、中点(中央)に来たときは中気が来ることになっている。すなわち、太陽が星紀の初点に来たときは大雪、中点に来たときは冬至である。古代中国天文学において十二次以外の天球分割法に十二辰や二十八宿がある。十二辰(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)は配当の方向および順序が東から西へと逆になっているが、区分領域は十二次と全く同じである。二十八宿は天球を二十八分割するものであるが、十二次が均等分割であるのに対して、個々の星宿に応じてそれぞれ異なる広度をもち、不均等に分割されている。同じ部分を分割したものなので、十二次は二十八宿の度数で表すことができる(ただし歳差によって時代とともに少しずつずれていく)。十二次、二十八宿、二十四節気の関係は、班固の『漢書』律暦志・次度に詳しく書かれている。ただし、冬至となる星紀の中点が牽牛(牛宿)初度となっており、牽牛の距星が冬至点になる年を計算すると紀元前451年頃の星空を反映していると思われる。また二十四節気の順序が現在のものと若干の異動があり、啓蟄と雨水、穀雨と清明が入れ替わっている。また本文にないが、十二辰との対応関係も書き入れた(『晋書』天文志・十二次度数には十二辰との対応が記されている)。中国古代占星術に分野説がある。分野とは地上の州・郡・国と天上の区画が対応し、天上で起こった天体現象によってその位置に該当する地上の地域の吉凶を占うといったものである。古くは戦国時代に見られ『春秋左氏伝』には木星の十二次の位置で地上の国の吉凶を占う例がある。以後、十二次による分野と二十八宿による分野があったが、後には互いに関連づけられるようになった。以下は『晋書』天文志・十二次度数にある十二次の分野である。十二次はバビロニア天文学起源の黄道十二宮とかなりの点で類似しており、伝播による成立の可能性も否定はできない。十二宮との対応は以下の通り。星紀 - 人馬宮(いて座)15度から磨羯宮14度まで
玄枵 - 磨羯宮(やぎ座)15度から宝瓶宮14度まで
娵訾 - 宝瓶宮(みずがめ座)15度から双魚宮14度まで
降婁 - 双魚宮(うお座)15度から白羊宮14度まで
大梁 - 白羊宮(おひつじ座)15度から金牛宮14度まで
実沈 - 金牛宮(おうし座)15度から双子宮14度まで
鶉首 - 双子宮(ふたご座)15度から巨蟹宮14度まで
鶉火 - 巨蟹宮(かに座)15度から獅子宮14度まで
鶉尾 - 獅子宮(しし座)15度から処女宮14度まで
寿星 - 処女宮/室女宮(おとめ座)15度から天秤宮14度まで
大火 - 天障宮(てんびん座)15度から天蝎宮14度まで
析木 - 天蝎宮(さそり座)15度から人馬宮14度まで

出典:wikipedia

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