海田町(かいたちょう)は、広島県安芸郡の町。古くは安芸郡役所が置かれていたこともあり、安芸郡の中心地として発展してきた。また、江戸時代は西国街道の宿場町として栄えていた。1956年(昭和31年)に海田町が誕生した当時は、人口が約12,000人であったが、広島市のベッドタウンとして開発が進んだことで人口が急増し、昭和40年代前半には20,000人を突破し、1981年(昭和56年)には30,000人を突破した。しかし、可住地面積が狭いことから人口増加は止まり、平成に入ってからは減少傾向である。1996年(平成8年)に30,000人を割り込み、1998年(平成10年)に一旦30,000人を回復したものの、2003年(平成15年)に再び30,000人を割り込んだ。広島県内では、同じ安芸郡の府中町に次いで人口の多い町である。また、江田島市よりも人口が多く、竹原市や大竹市とほぼ同じ人口規模である。また、人口密度は約2,000人と高く、県都の広島市(約1,300人)よりも高い。主要産業は、陸上自衛隊第13旅団司令部や多くのマツダ関連工場など。マツダの関連工場などに勤務するために南米や中国などから働きに来ている外国人も多く、町内には南米系の外国人を主な対象とした飲食店や、南米の食料品や雑貨を売る店が何店舗かある。日本人住民とは大きなトラブルを起こしてはいないが、外国人同士の殺人事件などが過去発生したことがある。町役場でも、日本語の他に、英語・ポルトガル語、スペイン語などの標記がある。広島市との合併話が出ているが、二転三転して合併問題は膠着している。一時は、広島市と2003年(平成15年)に合併の調印を行ったが、その後、反対意見の強まりにより、2004年(平成16年)8月22日に住民投票が行われ、合併は白紙になった。そもそも町内には、中国地方を管轄する陸上自衛隊第13旅団司令部や、多くのマツダ関連企業の工場が立地していることから、基地交付金や法人税・固定資産税等の収入で町財政は安定しており、合併に否定的な意見が多いとされている。同じ安芸郡の府中町にもマツダ本社があり、かつて麒麟麦酒広島工場からの巨額な法人税・固定資産税が入っていたために、広島市との合併を拒否してきたという似通った事情がある。また、当町の上水道は、主に町内を流れる瀬野川からの取水と、山陽新幹線のトンネルを掘削した際に掘り当てた湧き水を、町内の2箇所の浄水場で浄水し、給水する自主水道でほぼ全町域使用分を賄っているが、広島市との合併に当たっては、この自主水道を廃止して、広島市や府中町同様、太田川の水を浄水した水の給水を受けることも条件の一つとして上がっており、その結果として、他の市町並みの水道料金の高騰化が懸念されたことも、合併拒否の理由とされている(海田町水道局の水道管は海田町内にしか流れていないので、維持管理費が安く、水道料金は近隣市町と比較して安価であると言われている。合併論議の際に町民に配布された比較データとしては、一般家庭で同じ水量を使用した場合、約1.7倍の水道料金になると試算されていた)。現在の町役場のすぐ南側を隣接してJR西日本山陽本線が走っているが、広島県とJRの間でこの周辺の区間の立体事業化計画(高架化)が決定している。それに伴い、工事用地・建設用地の確保のため、2012年度末までの町役場の移転を余儀なくされていた。そのため移転地を決める無作為の町民に対するアンケートなどを行うなどしていたが、結論は未だ出ていない。しかし、この財政難の折、2013年8月には遂に高架化事業自体の中止が決まり、役場移転問題は白紙に戻ったと言える。しかし2015年になって再度高架化の論議が始まった。移転候補地としては、の3案が出されている。現町長は2.案を、町議会議員の多くは3.案を支持していると言われている。広島市との合併問題とも複雑に絡んで、移転先は未だ不透明である。1.案は、町役場以外の海田町の施設(水道局などがある加藤会館や町保健センターなど)に近いが、町役場前を走る旧山陽道(西国街道)は道幅も狭く、駐車場も今の町役場以上に広く取れないなどとして、あまり支持する人はいない。2.案は、海田町の玄関とも言えるJR海田市駅南口に町役場が入る26階建ての民間との複合商業施設を建設する(町長案)ことで、交通の便も良く、町外からの利用者も利用しやすくできると言うメリットはあるが、海田市駅自体が、海田町と広島市安芸区との境にあり(駅から数10メートル進むと広島市安芸区)、肝心の海田町民の大部分が利用しにくくなる。駐車場の土地確保が難しい。土日祝日は基本的に閉庁するので、駅前の活気に欠ける。などの問題がある。しかし、現町長はこの案を強く推進している。3.案は、地理的にも海田町の中央部分にあたり、現在工事中の東広島バイパス沿いで、土地も広く、駐車場も多くの台数分のスペースが取れるため、車での利用者には便利であるが、海田市駅からは徒歩20分程度の場所になり、東広島バイパス経由のバス便もまだまだ少なく、町外からの利用者には不便ではないかとの声が上がっている。この案は町議会議員の多くが支持しており、無作為の町民アンケートでも過半数には届かなかった(43.3%)ものの、3案の中では最多の支持を集めている。町は移転に掛かる費用の概算を、1.は15億4,000万円程度、2.案は19億1,000万円程度、3.案は18億5,000万円程度としている。期限が迫った今、広島県海田庁舎への仮庁舎移転も視野に入ってきたが、この財政難の折、批判が集まっている。現在、町議会では、無人の建物となった、旧広島県海田庁舎への移転を求める決議を採択しているが、町長が移転拒否をしている。海田市駅南口か、旧広島県海田庁舎への移転かの二者選択の膠着状態のままである。2015年11月に投開票が行われた町長選挙では、合同庁舎跡地への移転を推進する元町議の新人候補が、4選を目指した現町長を下し、初当選を決めたことで、合同庁舎跡地への役場移転が進むものと思われる。日の浦山、洞所山、金ケ燈籠山が町を囲み、町の中央を瀬野川が流れている。西は海田湾に面している。なお、平野部の殆どは、かつては海で、鼓浦(包浦)と呼ばれていた。瀬野川からの土砂の堆積や干拓、埋め立てにより、面積を広げていった。「海田」という地名の由来は、土地が開いていたことから「開田」になり、その後「海田」に変わったとされている。干拓や埋め立てを繰り返し、今の土地が形成されていった。そのため、干拓前に海岸が近くにあった場所の地名に「蟹原」や「西浜」などがある。また、近年埋め立てられた場所は「海田新開」と呼ばれる。町の地形は、旧海田市町と旧東海田町で大きく異なる。旧海田市町は、瀬野川の河口にあり、平地が多いのに対し、旧東海田町は、瀬野方面へと続く山地の中にあり、平地は瀬野川沿いのみである。1956年(昭和31年)9月30日 - 海田市町と東海田町が合併して誕生。2002年(平成14年)の農業産出額は7000万円、年間商品販売額は563億円、製造品出荷額等は1085億円である。マツダ関連の工場が数多く立地。東洋シート、ヨシワ工業、ワイテック、黒石鉄工、キーレックスが本社を構える。南米系の外国人(日系人)や中国人労働者も多数働いている。この他、スーパーマーケットチェーンであるユアーズが本社を構える。マルイシとして海田町で創業したのが始まりである。コンビニエンスストアは、町内にセブン-イレブンが6店舗、ポプラが2店舗、ファミリーマート・ローソンが各1店舗ずつ出店している。以前はココストア・ヤマザキデイリーストアが各1店舗ずつ出店していたが、撤退した。ポプラやセブン-イレブン・ローソンでも撤退した店舗もある。かつてはブドウが特産品で、「海田ぶどう」というブランド名もあったが、現在は特産品は無い。牡蠣が特産品とされることがあるが、海田町の出荷業者は1件を数えるのみで、殆どは瀬野川を挟んだ対岸の広島市安芸区船越地区からの出荷である。2005年(平成17年)、社団法人 海田町シルバー人材センターが、「ひまわり煎餅」、「海田おこし」、「海田名所煎餅」の販売を開始した。主に、町内のイベントなどで販売されている。詳細は、『広報かいた』(平成17年12月号5ページ)参照。海田町内の小学校は、1988年(昭和63年)4月より、校名が一斉に変更になった。町立保育所は再編計画が進んでおり、畝保育所、西浜保育所、幸保育所を統合する予定。当面は西浜保育所と幸保育所を統合して、幸保育所に集約する予定過去、海田湾埋め立て地の北岸付近で、南区月見町と隣接していたようだが、現在、当該地区は安芸区矢野新町2丁目になっている。広島都市圏東部地域の交通の要衝となっている。国道2号線と国道31号線、県道164号線が交差する大正交差点が有名で、毎日のラッシュ時は1 - 2kmに及ぶ渋滞が起きるところでもある。ラジオの交通情報でもおなじみの地名である。しかし、高速道路のインターチェンジは遠く、東方面に行く場合は山陽自動車道志和インターチェンジ、西方面に行く場合は廿日市インターチェンジまで行く人が少なくない(広島東インターチェンジ・広島インターチェンジ・五日市インターチェンジは大きく広島市内を迂回し、国道2号線とは全く接していないところに設置されているため、それらまで行くより、国道2号線と接している志和・廿日市インターチェンジまで行く方が、時間も高速料金も効果的に使えるため)。西日本旅客鉄道山陽新幹線が町内を通り、国道2号・瀬野川・山陽本線の上を立体交差するが、町内の通過区域の殆どがトンネル(安芸トンネル・府中トンネル)であり、駅はない。芸陽バス・広電バス・海田町じゅんかんバスの路線がある。2003年3月末までは中国JRバスも運行されていた。戦前、海田市駅から陸軍被服支廠海田市倉庫(現在の自衛隊)へ延びる引き込み線があった。海田市駅南口から分岐し、鉄橋(現在はひまわり大橋に架け替え)で瀬野川を渡り、南大正町交差点で国道2号と交差し、海田西小学校を通り、自衛隊へと続いていた。海田市駅南口が出来る前は、瀬野川手前まで軌道が残っていたが、今は道路となっている。尾崎川に斜めに架かる小さな橋が唯一の遺構である。
出典:wikipedia
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