第1次キャメロン内閣(だいいちじきゃめろんないかく)は、イギリスの首相デーヴィッド・キャメロンによって組閣されたイギリスの内閣。2010年5月6日に行われた総選挙により、第一党となった保守党と、第三党となった自由民主党との連立内閣。総選挙後、第二党に転落した労働党のゴードン・ブラウン前首相が辞任。女王エリザベス2世の任命により2010年5月11日にキャメロンが首相に就任し、翌日の5月12日に組閣を実行。翌13日に初閣議を行った。2010年の総選挙ではどの政党も議席の過半数を占めることができず、議会はハング・パーラメント(少数派議会)と化したため、内閣は第一党となった保守党と第三党の自由民主党による連立内閣となっている。連立を組む自由民主党からは副首相となったニック・クレッグ党首を含め、5人が入閣した。英国で連立内閣が組まれたのは、第二次世界大戦中のチャーチル挙国一致内閣以来、戦後初。なお、議会がハング・パーラメントと化したことは以前・1974年2月の総選挙後にも生じた事態ではあるが、この際は第一党のウィルソン労働党が少数与党として組閣し、同年10月の総選挙にてウィルソン労働党が過半数を回復、事態は収拾された。通常、イギリスで政権交代が起きた際は、それまでの野党が組んでいた影の内閣の「大臣」がそのまま正式な大臣に就任することが通例である。しかし、キャメロン内閣では連立政権のためにいくつかのポストを自由民主党に譲ったため、影の内閣の名簿と、組閣後の閣僚名簿にズレが生じている。また、自由民主党側も、実際に就任したポストと影の内閣の名簿の間には若干の差異がある。デービッド・キャメロン、ニック・クレッグという現職の党首2名に、ウィリアム・ヘイグ、イアン・ダンカン・スミスという過去に党首を経験した2名を加えた、党首の経験者を4名も抱える異例の布陣である。また、日本人の血を引く(8分の1・母方の曾祖母が日本人)イアン・ダンカン・スミスに、日本で英語教師を務めた経験(2年間)を有するジェレミー・ハント、そして、父親が大和日英基金の理事で母親(オランダ人)が幼少期にインドネシアで日本軍によって抑留された体験を有するニック・クレッグと、様々な形で日本に縁のある閣僚も目立つ。※略称については以下を参照
出典:wikipedia
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