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中山七里 (小説家)

中山 七里 (なかやま しちり、1961年12月16日 - )は、日本の小説家、推理作家。岐阜県出身。花園大学文学部国文学科卒業。男性。既婚者で、家族構成はエレクトーン教師の妻と息子と娘。1961年、岐阜県の呉服屋の家に生まれる。幼稚園に入る前からどこでも常に本を読むような子供で、保育園の保母さんにも「本を書く人になりたい」と言っていた。小学生の時にアーサー・コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズ、モーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパンシリーズを読み尽くし、中学生の頃にはアガサ・クリスティーやエラリー・クイーンなどのミステリの有名どころはほとんど読み終える。1970年代半ば、映画『犬神家の一族』を観て横溝正史と江戸川乱歩にのめり込み、江戸川乱歩賞を知って受賞作を読みつくす。そして自分でも書いてみようかと思い立ち、高校時代から創作を始める。小説新人賞などに投稿していたが、大学時代、「謝罪」というタイトルで東大の安田講堂の落城の話を書き、江戸川乱歩賞に応募したところ予選を通過。しかし2次選考で落選した。その後、就職とともに創作から一旦離れる。2006年、大阪単身赴任時にファンだった島田荘司の『UFO大通り』のサイン会に行って初めて生で小説家を見て、「今小説を書かなければ、もう一生書かないに違いない」と思い立ち、難波の電気屋でノートパソコンを買い求め、20年ぶりに執筆を開始した。この時に書いたのが『魔女は甦る』であり、このミステリーがすごい!大賞に応募したところ、最終審査まで残るも落選。しかし2009年、『さよならドビュッシー』で第8回このミステリーがすごい!大賞を受賞し、48歳での小説家デビューとなった。受賞作のほかに「災厄の季節」(のちに『連続殺人鬼カエル男』として刊行)も同賞初のダブルノミネートし、話題となった。ペンネームは本人の故郷にも程近い岐阜県下呂市にある渓谷・中山七里(飛騨木曽川国定公園)にちなんでつけられた。当初は会社員との兼業だったが、連載を6本抱えるまでになると有給休暇を使い切っても両立が難しくなったため、専業作家となる。岐阜の自宅とは別に東京に仕事場を持ち、行き来しながら執筆を続けている。明るく爽やかな音楽ミステリー路線、ダークでシリアスなサスペンスや法律路線など幅広い作風の作品を手掛ける。これは普通に続けるだけでは一発屋で終わってしまう、どうしたら長く小説家として続けられるだろうと必死に考えた結果、警察小説に音楽ミステリー、法廷ものやコージー・ミステリなど様々なジャンルに手を出してある程度保っておけば、どれかひとつが廃れても生き残っていけるだろうと考えたからであったという。ミステリ評論家の佳多山大地は、なかでも「露悪的社会派ミステリー」の書き手として異彩を放っていると評価している。『さよならドビュッシー』からはじまる岬洋介シリーズはクラシック音楽を題材とした作品であるが、中山本人は音楽に関して素人であり、楽器も何も演奏できない。脇役と主役が入れ替わるなどして作品ごとに主人公は異なるものの、ほとんどの作品で出版社の枠を超えて話や世界観、登場人物がリンクしている。これについて本人は、「本格派の方たちとは違って“犯人は誰か”(フーダニット)や“どのようにやったのか”(ハウダニット)という謎だけで最後まで楽しませる自信がないから」「付加価値としてより読者に楽しんでもらうため」と話しており、自身の作品はそれよりも動機である何故の部分(ホワイダニット)に重心を置いて執筆している。背景世界がひとつにつながるという作風は海堂尊の桜宮サーガに通じるものがあるが、それについては海堂本人に「すみません、ちょっとやり方を真似させてもらいました」と言ったところ「いや、私は東野圭吾さんの真似をしたから(笑)」と返されたというエピソードがある。また、ミステリ=驚きの文学であるという思いから、最後の数ページで世界観ががらりと変わるどんでん返しが仕掛けられていることが多く、いつからか「どんでん返しの帝王」などと呼ばれるようになった。登場人物に関しては何かが欠けている人物を描くことが多く、複数の作品に登場する古手川和也に関しては“成長するキャラクター”として描き続けたいと話している。また、まだ誰にも気づかれていないが登場人物の名前には共通点があるのだという。作家にとっては書き続けていけることこそが一番のステイタスだと考えており、求められることを正確に汲み取り、かつ迅速に世に送り出すということを常に意識している。そのため、小説を書く時はいつも編集者に「どんな話がいいですか?」とリクエストをするところから始まり、その返答や出版社のカラーによって登場人物やテーマが決まる。そしていつも3日ほどでプロットを出すが、その時にはすでに章の構成や物語の山場、最後の一行までが出来上がっており、本人曰く「あとは頭の中をダウンロードするだけ」なため、日によって執筆の調子が良い・悪いの波も無いという。基本的に取材をしたり資料を読むことは無く、メモもとらない。これは物書きとして必要だと考えている文章力・構成力・想像力を取材をすることで削ぎ落としたくないという理由から。物語を読ませる速度にもこだわりがあり、テーマやストーリーに応じて原稿用紙1枚あたりのエクスクラメーションマークやクエスチョンマークの個数を決め、緩急を調整している。昔から見聞きしたものを忘れない性分で、読んできた小説や観続けてきた映画はおもしろいものからつまらないものまで含め、ストーリーや配役、タイトルバックなど様々な要素まで覚えている。そのため、作家になってからも物語のアイデアはその頭の中のアーカイブから常に生まれてきていて、バーゲンセールをするくらいにあるとインタビューでは話している。また、書いた作品がどこで何と評価されようとも、デビュー作である『さよならドビュッシー』刊行時にもらった84枚の読者からのハガキが励みになっており、書き続けることのモチベーションになっているという。作家としての一番の目標は、寝食を忘れて一気読みしてもらえる小説を書くこと。そして物書きの使命は「記憶させること」と「皆さんが思っていてもなかなか形にしづらいものを文章化すること」だと話している。趣味は映画観賞。中学1年生の時に『ジョーズ』を観てのめり込み、中学・高校時代は土曜日の最後の授業を休んでまで毎週末映画館に通い詰め、公開されている作品を手当たり次第に全部観ようとしていた。大学時代はアルバイトと学校の合間に睡眠時間を削ってまでも1日2本を見続ける生活を続ける。就職してからも転勤するたびに家を映画館の近くにするなど映画漬けの日々を送り、現在も執筆を行う書斎は大型スクリーンや音響装置を完備するシアタールーム仕様にし、もう1つの趣味であるフィギュアとともに数千作品のコレクションを並べている。映画は観るのが専門で、自分で制作したり批評したりすることには興味がない。映画は自分にとっての「学校」であり、学校で教えてくれないことは全て映画から学んだと話している。その中でも自分にとってのオールタイムベストは1982年のアメリカ映画『E.T.』であり、伏線の回収や緩急のつけ方、キャラクター造形など物語作りの基本はすべてこの映画から学び、初観から数十年たった今でも年に1回は必ず観るという。自身と同じ第8回このミス大賞出身作家の太朗想史郎、七尾与史、伽古屋圭市とはプライベートで同期会を開催したことがある。「」内が中山七里の作品

出典:wikipedia

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