LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

外旭川

外旭川(そとあさひかわ)は、秋田県秋田市の大字。住居表示未実施地区。また、住居表示実施済み地区である外旭川八幡田(そとあさひかわはちまんでん)と外旭川八柳(そとあさひかわやつやなぎ)を含めた広域地域名としても使われる。郵便番号は大字外旭川010-0802、外旭川八幡田010-0804、外旭川八柳010-0803。大字外旭川と各町を合わせた人口は12,763人(2012年10月1日現在、住民基本台帳による)。本項では、1954年(昭和29年)10月1日に秋田市へ編入された南秋田郡外旭川村、及び秋田市編入時に外旭川として統合され廃止された大字である神田(かんだ)、笹岡(ささおか)、水口(みなくち)、八柳(やつやなぎ)についても併せて解説する。秋田市の北部に位置する。東部から北部にかけて丘陵地となっており、中央は広大な農地に、南部は新興住宅地になっている。南端付近をJR東日本奥羽本線が通り、秋田貨物駅が設置されている。北東部を秋田自動車道が通過している。北は上新城中(字南波掛)、上新城道川(字長沼、字出崎、字二ツ沼、字鳥木沢、字大沢)、東は濁川(字西沢、字腰巻沢、字鎌ノ沢、字井戸尻、字後田、字堀尾田)、南は泉(字五庵山、字三嶽根)、泉三嶽根、泉釜ノ町、泉菅野二丁目・一丁目、泉(字登木)、西は寺内(字イサノ、字三千刈)、寺内高野、将軍野南四丁目・五丁目、将軍野向山、将軍野桂町、将軍野青山町、寺内(字通穴)、飯島(字田尻堰越)、将軍野塚越、飯島(字大袋、字南場掛、字東上谷地、字東中谷地、字船堰外谷地、字潟端)、下新城岩城(字糠塚)に接する。旧大字神田に6、旧大字笹岡に10、旧大字水口に5、旧大字八柳に19、計40の小字が設置されていたが、字向山は住居表示実施に伴う区画整理で全域が他地区へ編入され消滅した。農業地帯であり、区画整理された水田が広範囲に広がっている。かつては八橋油田の一部である油井があり、農地の中に櫓が多数立つ光景が見られた。現在ではほとんどが廃止され面影もないが、数基の石油掘削ユニットが設置・稼働し、当地域の景観の特徴となっている。南西部の字待合、字四百刈に秋田市公設地方卸売市場(水産及び青果)及び秋田市中央卸売市場(花卉)で構成される秋田市卸売市場があり、秋田市で流通する畜産を除く生鮮食料品等の取引を一手に担っている。外旭川は、1889年(明治22年)の町村制施行時に、神田村(かんだむら)・笹岡村(ささおかむら)・水口村(みなくちむら)・八柳村(やつやなぎむら)の4村をもって発足した外旭川村に由来する地区である。名称は、旭川の上・中流域に設置された上旭川村、下流域に設置された下旭川村に対し外側に位置することから名付けられた。外旭川村において旧4村は大字として継承されたが、1954年(昭和29年)の秋田市編入時に大字外旭川として統合された。その後、秋田市街中心部や土崎港地区などの都市部や幹線道路に面した部分で宅地化が進行するに伴い、一部が外旭川八幡田、外旭川八柳、あるいは将軍野地区などの新たな町丁へ分割されている。外旭川の基となった神田、笹岡、水口、八柳は、いずれも江戸時代を通じて久保田藩領の農村であった。神田村は、堪田とも書かれ、中世以前に古四王神社の神田として開発された。笹岡村は、草生津川の水源の1つである笹岡潟があり、太古には飯島方面から海が湾入していたという言い伝えがある。日吉八幡神社が最初に鎮座した地ともいわれ、また文化期の菅江真澄による遺跡描写から館と館林もあったとされる。「秋田家分限帳写」に「笹国村 251石余」とあるのが初見史料である。水口村は、水ノ口(みのぐち)とも呼ばれ、穴堰で旭川の水を引いた用水口にあたり、中世から開発が行われていた。但し「享保郡邑記」によると、元禄3年(1690年)に寺内村のうち668石余が帳分けされ、川尻村枝郷のうち49石余を移管した枝郷山崎と合わせて、宝永2年(1702年)に黒印を受け成立したとなっている。八柳村は、古代の一ノ坪条里制地帯として開発された。「豊臣秀頼朱印蔵入帳写」に「八柳村 348石」とあるのが初見史料で、「秋田風土記」によると秋田実季の家臣である八柳氏の古城があったという。以下はすべて住居表示実施に伴う変更。JR東日本奥羽本線が地区南部を横断しており、字水口、字八幡田、字在家、字田中と泉菅野一丁目、寺内字三千刈に跨って秋田貨物駅が設置されている。最寄りの旅客駅は、中通七丁目の秋田駅、または土崎港中央六丁目の土崎駅。なお、秋田貨物駅と泉菅野二丁目にある旧秋田機関区との間に新駅を設置する構想があり、これを推進している秋田市長穂積志が「外旭川泉駅」と称している他、「泉・外旭川新駅」「羽後いずみ駅」の仮称がある。1966年(昭和41年)までは秋田市電が八柳の南西部を掠めるように通っており、現在の将軍野南四丁目にあたる草生津川岸に八柳駅が設置されていた。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。