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温泉マーク

温泉マーク(おんせんマーク、)または温泉記号とは、地図(地形図を含む)において温泉・鉱泉の位置を示す地図記号である。またそれが拡張されて公衆浴場施設を示す記号にも用いられる。2万5千分1地形図図式(平成14年式)における通し番号は125。ユニコード2668、JIS X 0213 1-6-76。地形図の地図記号として最初に現れるのは、1884年(明治17年)の「假製2万分1地形圖圖式」(仮製図式)においてである。この図式は、1884年(明治17年)から1890年(明治23年)にかけて陸軍参謀本部陸地測量部が測量した大阪地方の准正式地形図に用いられたものである(この図式の記号の数は約295と多数であり、温泉記号を始め後の地形図図式の起源となった記号も多い。その中では、営林署(林務署)、裁判所、立像などがあげられる。)。また、建設省地理調査所(後の国土地理院)の菊三郎氏の研究によれば、最古の地図記号としての温泉マークは1884年(明治12年)に内務省地理局測量課で制定された点図が事の始まりとされる。これ以降、地形図の記号として一貫して使用されている。ただし、その名称は、明治17年(仮製図式)〜明治28年式においては「温泉」、明治33年式〜昭和17年式においては、「礦泉」、昭和30年式〜昭和35年式においては「温(鉱)泉」、昭和40年式以降は「温泉・鉱泉」となっている。明治時代から公衆浴場や旅館、赤線などの施設を示す記号として使用されていた。また、クラゲを上下逆にしたような形状であることから、隠語としてさかさくらげとも呼ばれ、連れ込み旅館やラブホテルを意味する。1960年代、旅館に温泉マークを使用することが禁止される。その後、徐々に浴場を示すマークとして定着した。台湾や朝鮮半島でも日本統治時代以来、旅館などで使用され続け、韓国では現在でも温泉マークが旅館を表す記号として使用されている(温泉施設、公衆浴場にも使用されている)。2万5千分1地形図における温泉記号は、温泉法(昭和23年7月10日法律125号)に基づく温泉及び鉱泉のうち主要なものに表示される。記号は、主要な泉源の位置に表示される。ただし、泉源と浴場が離れている場合には浴場の位置にも表示されることがある。温泉記号の寸法は縦1.5mm、横1.5mm、線幅0.1mm、色は黒である。記号の真位置は、記号下辺の中央である。地図記号は、湯壺を表す部分と湯気を表す3本線の部分とに分割できる。湯壺の形状は1884年(明治17年)以来ほとんど変わっていないが、湯気の形状は時期により変化しており、そのうち1895年(明治28年)以降は大きく3期に分けられる。曲線に戻された理由は(1)温泉の記号としては湯気が曲線の方が実態と合っているため、(2)スクライブ法による記号の刻印では難しかった曲線の表現が2002年(平成14年)にはデジタル方式による地形図作図に全面的に変更となり、容易になったためである。湯気の形状を曲線に変更する過渡期にはその向きに混乱が生じた。すなわち、2002年(平成14年)の地形図図式規程では逆S字状の波線と規定されていたが、翌年の2003年(平成15年)に、以下の事情により現在の正S字状に変更された。温泉マークの起源には2つの説がある。一説で群馬県安中市にある磯部温泉が「温泉マーク」発祥の地であるとされている。1661年(万治4年)3月25日、農民の土地争いに決着を付けるため、評決文「上野国碓氷郡上磯郡村と中野谷村就野論裁断之覚」が江戸幕府から出され、添付図の磯部温泉と記した記号が2つ存在した。これら記号が日本最古の温泉記号とされており、温泉から水蒸気が上がる様相を現す記号として具象化されている。また、前述の温泉近くの赤城神社に最古の温泉記号が書かれた関連とし、記念碑がたてられている。19世紀のドイツの地図に描かれていたらしいが起源がどうかは定かではない。日本では陸軍参謀本部陸地測量部が、1884年に地形図記号に採用した(前述)。なお、明治末期に、油屋熊八が人の手形からこの形を思いついたとの説があるが、油屋が別府に定住したのは1911年であり、地形図に温泉マークが採用されたのは1884年であることから、この説は成り立たない。油屋は別府温泉の宣伝に温泉マークを多用したに過ぎない。別府温泉が有名になるとともに、温泉マーク=浴場というイメージが一般化したといわれている。

出典:wikipedia

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