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弘法寺 (瀬戸内市)

弘法寺(こうぼうじ)は岡山県瀬戸内市牛窓町に所在する寺院。宗派は高野山真言宗。山号は千手山(せんずさん)。本尊は千手観音であったが本堂の焼失により現在は遍明院が管理している。塔頭は遍明院と東壽院の2院が現存する。遍明院は山陽花の寺二十四か寺第十五番札所となっている。伝承によれば、天智天皇元年(662年)天智天皇の勅命により建立されたと言われる。その後、火災に遭い衰退していたが、天平年間(729年 - 749年)報恩大師が備前四十八ヶ寺の一つ報恩山興法寺として再建し48坊を擁したと言われている。平安時代初期の大同2年(807年)空海が方三丈の堂を建立し千手観音を安置して以後、千手山弘法寺と称するようになったと言われている。鎌倉時代から南北朝時代にかけて最も隆盛した。朝廷の祈願所となっており、当寺院には後醍醐天皇の綸旨の写しがある。また、観応元年/正平5年(1350年)には足利尊氏が足利直冬討伐のために中国地方に遠征した際に当寺院で戦勝祈願した。その際の足利尊氏御教書(県指定重要文化財)が現存している。桃山時代には当時の領主であった宇喜多秀家から寺領として110石の寄進を受けた。江戸時代になっても岡山藩主池田家の庇護を受けた。寛文5年(1665年)池田光政が寺院の淘汰を行った際に、天台宗から真言宗に改宗された。宝暦8年(1758年)の記録では15院3坊の塔頭があった。明治8年(1875年)に塔頭は4院に合併された。本堂の周囲は度々落雷に見舞われ焼亡を繰り返した。昭和42年(1967年)本堂・普賢堂・鐘楼・多宝塔・坊舎など主要な建造物を焼失し、本堂の本尊厨子脇に安置されていた鎌倉時代の作といわれていた二十八部衆像も焼亡した。なお、本尊の千手観音は僧侶らの手によって持ち出された。常行堂・御影堂・一切経蔵・鎮守社は一段高いところにあるため類焼を免れ現存している。昭和42年の火災で塔頭の1つ善集院も類焼し廃院となり、現在の塔頭は2院のみとなっている。本坊遍明院(ほんぼう へんみょういん)と称する。本尊は五智如来(国の重要文化財)と前仏不動明王。弘法寺の塔頭の中で以前より中心的役割を果たしてきた。山陽花の寺二十四か寺第十五番札所となっている。御詠歌:わきて世に 誓もふかき 心かな たのむ千手の 山の月影(池田綱政/作)東門坊東壽院(とうもんぼう とうじゅいん)と称する。本尊は阿弥陀如来(国の重要文化財)。岡山県道28号岡山牛窓線沿いにある。山王社(さんのうしゃ)は、当寺院の鎮守社として境内の南側に鎮座している。日吉神社(ひえじんじゃ)と千次神社(せんじじんじゃ)が並立している。岡山藩12代藩主池田章政の揮毫による「山王社」の扁額がある。

出典:wikipedia

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