Mk.39 5インチ単装速射砲は、54口径長の5インチ(127mm)Mark 16 砲などからなるアメリカ海軍の艦載砲システム。アメリカ海軍は、1930年代中盤以降、38口径長のMk.12 5インチ砲による各種の砲システム(単装のMk.30、連装のMk.32やMk.38など)を開発し、駆逐艦級艦艇の主砲、あるいは大型艦の副砲/対空砲として広く搭載した。第二次世界大戦において、これらの38口径5インチ砲は艦隊防空の一翼を担うこととなった。その一方で、太平洋戦線における日本軍の航空攻撃は極めて苛烈なものであり、とくにその末期において日本軍が実施した特別攻撃において、当時のアメリカ海軍が配備していた防空システムは性能的な限界を露呈することとなった。当時のアメリカ海軍は、艦隊防空用として長射程のMk.12 5インチ砲、個艦防空用として中射程のボフォース 40mm機関砲および短射程のエリコンFF 20 mm 機関砲という、3段構えの対空火網を構築していた。アメリカ海軍は、艦隊防空用としてはMk.12よりもすぐれた大口径砲、個艦防空用としては高発射速度でVT信管を使用できる中口径砲を開発・配備することで強化することを計画した。中口径砲としてはMk.33 3インチ連装速射砲が開発され、1948年より配備された。一方、艦隊防空用の新型大口径砲として開発されたのが本砲システムである。計画においては口径から再検討が行なわれ、6インチ、5インチ、4.5インチが検討された。6インチ口径としてはウースター級軽巡洋艦に搭載されたMk.16 6インチ砲があり、4.5インチ口径についてはイギリス海軍がを配備していたが、最終的に、従来使用されてきたMk.12と同様の5インチ口径が採用され、1940年1月、54口径長の5インチ砲が選定された。当初の計画では、単装の"Mk.39"と連装の"Mk.41"が開発されるはずであったが、連装モデルについては、搭載予定であったモンタナ級戦艦の建造が中止されるとともに開発も打ち切られた。本砲システムは、新しい5インチ砲であるMk.16と、砲塔などの付随的システムによって構成される半自動砲システムである。Mk.16は、従来のMk.12が38口径であったのに対して54口径長と長砲身化されており、自己緊縮()式の加工を採用しているため、2,432キログラムと比較的軽量である。また、長砲身化したことによって射程も延伸されており、最大射程は、Mk.12が16,200メートルであったのに対して23,700メートルとなっている。尾栓は垂直鎖栓式である。砲室は密閉式の角型砲塔で、防楯の外板は厚さ19ミリの鋼板である。操作要員は計16名、砲塔内に10名と給弾薬室に6名である。給弾薬室中央部には半自動式2筒型の揚弾筒が配置されており、電動・油圧によって上下する。弾薬は半固定式であり、これは、Mk.12砲で採用されていた分離式弾薬包よりも軽量(HEのMk.41砲弾が31.45キログラム、装薬が14.5キログラム)で、高発射速度を維持できるという特性がある。本砲システムは、当初はMk.12砲による5インチ砲システムの後継として駆逐艦などへの搭載も検討されていた。しかし、倍以上の高発射速度を実現した次世代の5インチ砲システムであるMk.42が1953年より就役しはじめたことで、製造は50基程度で打ち切られ、アメリカ海軍においてはミッドウェイ級航空母艦に搭載されたのみとなった。また、ミッドウェイ級においても、シースパロー個艦防空ミサイル・システムやファランクスCIWSなど次世代の防空システムに代替されるかたちで、1977年までに全砲が撤去された。ミッドウェイ級から撤去されたMk.39は日本の海上自衛隊に供与され、初代むらさめ型および初代あきづき型護衛艦に搭載された。小型の護衛艦に搭載されるに当たって、重量を軽減するため、砲室の防楯は厚さ6ミリの高張力鋼に変更された。これらの艦に搭載されて、海上自衛隊においては1993年まで運用が継続された。
出典:wikipedia
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