積石塚(つみいしづか)は、石を積み上げて墳丘を造っている墓である。石塚・築石塚などと呼んだ時代や、他にケルンなども提唱されたが、近年はこの名称に定着している。この用語は他の時代(縄文時代・中世)や地域(例朝鮮半島等)でも使用されるが、この項では、古墳時代に限って説明する。古墳時代にこの墓形式が存在する地域は、香川県から徳島県の一部の地域と長野県、山梨県の甲府盆地北縁など一部の地域に顕著に見られる。また、長崎県の対馬、山口県の見島、そのほか、宮崎・愛知・静岡・群馬県などにもみられる。なかでも長野市大室古墳群、香川県高松市石清尾山古墳群、山口県萩市見島ジーコンボ古墳群などが著名である。香川・徳島のものは古墳時代前期(3~4世紀)を中心とし、香川石清尾山古墳群では積石塚の前方後円墳9基、双方中円墳1基、円墳30数基がある。長野・山梨のものは中期後半から後期(5~6世紀)にかけて形成された群集墳にみられる。約500基からなる長野市松代町に所在する大室古墳群は、日本最大の積石塚古墳群で、大部分が積石塚であり、埋葬施設の多くが横穴式石室である。長野県史跡である積石塚古墳群の八丁鎧塚古墳(長野県須坂市大字八町)は、第1号から第5号まである。出土品として鏡・碧玉製勾玉(へきぎょくせいまがたま)・貝釧(かいくしろ)などがあるが、その出土鏡によって、これまでは6世紀以降の築造とされてきたが、5世紀代に溯るものと改められた。
出典:wikipedia
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